新食魂島

王様は裸です、と叫びたい夜。

ヘブンバーンズレッドをやってみよう①

まず最初にヘブンバーンズレッドのキーワードに釣られる人は、鍵作品が大好きで褒め称えられている感想を求めてくる人、またはヘドが出るほど嫌いでアンチ記事を求めてくる人のどちらかになると思う。

 

なので最初に私の立場を明らかにしておく。

私は鍵作品が嫌いだ。

人生経験がコンドームより薄い、Vtuberマジ恋勢が好きそうなのが鍵作品だと思っている。

アニメだけの評価ではあるが、ONEは全く知らない、Kanonは良作、AIRはイミフ、リトバスはきつすぎる麻枝流ギャグが前面に出捲くっててきつい、1秒が2時間に感じるほどすっとろい空気が苛立たしい、Rewriteは全くわからないが、最初ティザーサイトをみたときは「サナトリウムものか?」と思うくらいだった。

正直summer pocketは見てみたい気もするのは確かである。

さてここであえてCLANNADを挙げなかったが、これに関しては一記事書けてもいいくらいのむかつきがあるので、簡略にまとめておく。

あれは、逃げて逃げて逃げまくったやつがなぜか報われるクソだ。それを京アニの最高の演出でごまかしてる。

15年前、ケータイ小説の全盛期、CLANNADのディスに恋空が使われていた時代、恋空の原作を徹夜で読んだ俺が言う。あっちの方がマシだ。キャラクターの心理も言動も恋空の方が理解できる。

ちなみに恋空の映画は少しだけ切り抜きをみた程度だが、クソだと思った。ガッキーと亡き三浦春馬が夜通し会話して気が付いたら朝、というシーンで、まったく時間の経過を感じさせないのにもう空が白んでるというキングクリムゾン演出をしてたからだ。

さらに言えばアレのヒロインにガッキーは美化何100%だよと思う。何アキラ100%が必要になるかわかったものではない。

 

と話が余談にすぎた。かくもこのように鍵作品、引いていえば麻枝准という人物の作品を嫌悪する私だ

https://shokutamalog.hateblo.jp/entry/020/12/28/005542

猫狩り族の長、レビュー:これは小説ではない - 新食魂島

詳しくはここを読んでほしい。

ここでヘブンバーンズレッド、ヘブバンを見るうえで、ルールをいくつか定めることにした。

 

ルール1:ギャグはスルーする

 

これは、もはや麻枝准作品と私との相性といっていいだろう、いや正直あのギャグを面白いと思う頭便座カバーはどんな頭をしてるんだといいたくなるのだが、そこに突っ込むのは不毛だ。もうあわないとわかりきっている諦めた。

 

ルール2:ネタバレしない

 

これは公式からのお達しだ。何をどうネタバレと定義するのかはわからないがとりあえず心理描写にだけ注視してれば、ストーリー根幹には触れないだろうし大丈夫だと思うが。

 

ルール3:ストーリーだけでなくソシャゲ部分やグラフィックも評価する。

 

ゲーム部分がよければ、グラフィックなどドラだといって聞かない私ではあるが、たぶんそこだけだと評価することが消えてしまうかもしれないので。

 

こんなところだろう、さてどうなることやら。

 

電波デッカーはマッドサイエンティスト

諸君、電波デッキは好きか?

何、貴公はガチデッキしかつくらない?さては理系だな?

理系の人間というのは理を尊ぶ。それはよい、しかしだ、理屈が通ってんだから正しいとは常にそうとはいえないことを学べ。端的に換言するともののあわれをしれ。

開幕ゆにっち店長失礼する。とかく電波デッキを作る人間というのは、いまだかつてないものを求めるが故、参考レシピがほとんど存在しないということが大半である。なので、一からデッキをつくるという行為を他の嗜好をもったプレイヤーよりしているともいえるのだ。

ガチデッキを色々いじくることを好む人間はデッキビルディングよりデッキチューニングを好むといえるしそこに善し悪し、どちらが優れている劣っているということはない。

もちろんチューニングもしない、デッキをいじることそのものより、カードゲームで遊ぶ楽しい経験を重視する人もいるだろう。

各々が考える最高に楽しいカードゲームとは人の数だけあっていいのだ。

 

デッキを作るということは、理を紡ぐことと言って差し支えない。数学的根拠を持ったマナカーブをつくり、カード毎の適正を把握し、そのデッキにあったカードを採用する。これらは理性のもと執り行われ、その理を閉じ完結させるものだ。

ある程度の経験を持ったプレイヤーならこの理を作ることは容易だろう。ある程度の指針さえあればそれに沿ったカード選択ができる。

 

しかしだ。電波デッキは少々趣が異なる。

正気のままでは狂うことができないのだ。正気のまま狂っているというのならそれは真の狂人だろう。

狂気に身をゆだね、そして狂気の理を描く。

もともとのしたいことが狂っているせいで参考レシピすらない、何が正しく、何が間違っているのかを己の力で切り開かねばならない。いや間違っているのは本当にその採用カードなのか、真に間違っているのは世界の方ではないだろうか。

そうだ、寛容なるは高揚感。端的に言うとワクワクだ。

舌をだして白目剥いた顔で、「なんか楽しくなってきたwww」と宣い、(゜∀ 。)アヒャヒャヒャヒャと笑う。

ゲームというものは誰にも咎められるものではない(親を除きます)。

そして一人、試し回しをしてほくそえむのだ。

そのときの気分はまさに店に堆く積まれた本の上に、檸檬を置いて逃げ、あの檸檬が爆発したと仮定したときのすがすがしい気分に違いない。

環境で最強のレアカードを入れなくたっていいデッキは作れるんだ、と満足を得たらそのデッキは封印となる。下手に対人戦にもっていけば環境の暴力にさらされるだけだ。電波デッキを使うのは電波に理解のある同志だけだ。

 

そして放置すること数か月、改めてそのデッキをみて一人ごちるのだ。

「なんだこのクソデッキ!?」

 

 

小学校に学力別クラスは必要か

webニュースで小学生の13%が「授業が簡単でつまらない」と回答したという記事があった。そこによせられたコメントに

「小学校の時点で格差あるし学力別クラスにすべき」

というものがあった。

いや無理だろと笑い飛ばしてはみたものの、考察するには面白そうなものだったため、ここに記したいと思う。

 

まずは学力別クラスの利点を考えよう。

正直な現実(私が知る範囲の)でいくと、先生の技量に依存しない高い学力を持っている層を10%、上の下から中の中程度の学力を20%、個別に対応が必要な層を70%と見積もってみる。

一学年150人程度として、出来すぎて浮くのが10人(通常の学級でクラスに2,3人)、これで一クラス作るべきだろう。通常のクラス割なら正直この層がいないと円滑な授業をするのは難しい、間違った答えを延々と引っ張ると授業が進行しないからだ。

それだけにこの浮遊層はひとまとめにしてより高いレベルを目指すべきだろう。

残り140人。

さきほど20%とおいたそこそこできる層は30人。これを15人15人に分割し、個別対応が必要だがまだましな20人を合流させて、35人学級を2つ形成。

ここは上位の15人に下の子のレベルをあげさせる、教えることで自身の理解も深めるパワーレベリングを図りたい。

残った60人。

これで二学級作れば、とはならない。学習に問題のある子ども30人をまとめるのは荷が重すぎる。2担任制でも無理だろう。

そもそも今回の仮定では学力に問題がある層は105人、通常の学級で5学級あるとすれば、20人はクラスにいることになる。これでは浮きの層は助けられても沈みの層は何も変わらない。

15人で4クラス。これがギリギリの妥協案ではないだろうか。

 

これによって理想通りにいけば学力の違いによる退屈や学習困難が解決するとは思う。

 

だが、最初にも触れたが私は無理だと思う。

第一に教室が足りない。

学校という建物はそう容易に改修できるものではない。オープンスペースの教室でさえパーティションが決まってるのだからスペースなど確保できない。

この現実問題を解決するには学力順に並べた児童を教室数で割って序列づけていくしかないが、先ほども言った通り学力下位の教室ではほぼ授業にならない。そのクラスだけ担任を増やすしかないが、それでは児童にお前はアホだといっているのと変わらない。

授業を成り立たせるとすれば、話をきかずに一方的な教授をするしかない。しかしそんな授業、児童は耐えきれないだろう。

 

第二に、差別意識の問題だ。

子ども、というか幼稚な人間は序列をつけるのが大好きだ。

自己で自己認識ができず、他者との比較によって自己を確立するのだ。そういったものをもった恥ずかしい大人もいるが、子供のうちはしょうがない。

反抗期を経て己とは何者かを認識するのだから、それより前の段階ではせむかたようなしだ。

運動が得意な子がいたとする。しかしそういった子はあまり「俺〇〇できるぜすげーだろ」とはならない。

自分より劣った周囲をみて、自身の中で「自分は運動できる」という自己肯定を得られるからだが、大事なのは自身の中でというところだ。

序列化は自身の中で行う分にはなんら問題ない。

自己肯定をすることで自己を高めることは崇高なことだ。

しかし、他者から「あなたは優れています」という肯定を得るのは、得難い経験だが、これは時に歪んだ自己肯定にもつながるし、気が付くと他人に称賛されたいがために頑張るようなことになってしまう。言ってしまえば虚栄心ばかりが育ってしまうのだ。

学力でクラス割をするというのは「あなたは優れているからこのクラス」という肯定そのものであり、私は危険だと思う。

 

まだまだ問題はあるだろう。私に思いつくのはこの程度だがもっと勉強していきたいと思う。

遊戯王マスターデュエル雑感

超楽しい。

 

Steamでプレイしてます。

画質えっぐいですが動きます。

iOSでも動くらしいので、こっちはこっちで別アカウント作って遊びます。

ちなみにアカウントを合流させることもできるので同じカードストックで戦いならそうしましょう。

無課金でもそこそこ遊べます。というか課金してもそこまでうまみがなく、廃課金でないとあまり意味がないような気がします。(パック購入の1000ジェムがリアル1000円と同等なのはおかしいと思う、もっと課金の価値あげていいと思う)

 

ゲーム内のカードレアリティは一部おかしい(弱いのに異常にレアリティが高い)のがありますが、まあいいでしょう。

 

UIは多少不満はありますが、基本無料のものとしてそれ以上のものを望むのはナンセンスでしょう。カードの処理もKONMAIのくせに正確(バグはあるのかな?)で、チェーン処理もわかりやすく整理されていてグッド。

ぶっちゃけADSとグラフィック以外は大して変わらない。

デジタルゲー特有のガバムーブに気を付けましょう。

以下、使用デッキ紹介

 

f:id:shokutamalog:20220123012910j:plain

リアルでも使ってる蟲惑魔です。リアルはここにドラグマが入っているのですが(パワーカード+パワーカード+パワーカード=超強いのゴリラ理論)レアクラフトが厳しいのでやめた。

エクストラのコードトーカーアレイスターガイアセイバー、ブラックコーン号にパールさんは適当です。正直ライトニングが欲しいけどURなので我慢。というかアルメロスもフレシアもそんな使われてへんしSRでええやん・・・ひどいわ。

各カテゴリで主要になりそうなのは大抵URになってるのつらみ。

先行の盤面固めに蟲惑魔、後攻の返しにエルドリッチ、ニビルをケチったガメシエルをケチった壊獣で制圧モンスターをどけます。

 

f:id:shokutamalog:20220123014359j:plain

閃刀姫です。

なんかたんねーなと思ってたらエンゲージを忘れてました。

なくてもなんとかなるのでスルーしてます。

丁寧にプレイしないと弱いので神経が削られます。楽しいですね。

伏せ環境になると思ってジャミングウェーブ多め。そんなことはなかったんだけど。こいつら行きがけの駄賃で破壊していくからタチ悪い

麻雀は確率が収束したときの実力が大事か?

結論からいえば、大事です。しかし私はそんな話がしたいのではないのです。ならばなぜそのタイトルにした、とおしかりを受けそうですが、格好つけたかっただけなんです。

私がしたい話、それは実力云々いうと頭おかしくなるからその場のハッピーポイントの多寡で楽しもうという話だ。

 

運の上振れ、というのは実力を鑑みるうえでは邪魔なファクターだが、ハッピーという点では最も重要なポイントだ。

吸い付くような牌の流れ、どう適当に撃っても形になる、振り込まない、これが気持ちいい、私は気持ちよくなりたいがために麻雀をやる。

もう実力云々なんぞかなぐり捨てて久しいが、それでも不必要なパオ、暴牌、咲かぶれが大好きな無駄なカンはしない。

特に無駄なカンをする奴は滅びてほしい。雀魂銀の間でもまだいやがるんだ。この手の批判をすると、人のスタイルに口をだすな、というバカが湧くが、自由と身勝手の区別がつかないならお家から出ないことをオススメする。

 

さて、確率の収束の話である。

これは大数の法則によるものである。

wikiコピペ

独立同分布に従う可積分確率変数の無限列 X1X2, … が与えられたとき、その平均を μ とおく。標本平均

のとる値が平均 μ の近傍から外れる確率は、十分大きな n を取れば、いくらでも小さくできる[3]

これを大数の弱法則という。また同じ条件下で、n → ∞ とするとき、  は μ にほとんど確実に(almost surely, 確率 1 で)収束する[4]

これを大数の強法則という。

 コピペここまで

 

標本平均とは、ある大きなデータからいくつかを適当に取り出したものの平均である、Xnとは無限個のデータからn個とりだして、それらを全部足してn個で割ったもの、つまり我々がよく知る平均そのものだ。

Pというのは平均μのまわりから外れる確率を示すパラメータで、6行目の数式は標本平均から全体の母平均μから引いたもの、それの符号に左右されないよう絶対値をつけ、それよりも小さいεという0より大きい幅をもってきたとき、nが十分に大きいものならば、ばらつきの幅は限りなく0に近づくということだ。

下は、ばらつきがなくなった時、Xで起こりうる事象すべてが起こりうる確率をPで表している。

また弱収束のほうに中心極限定理があり、ぶっちゃけてしまえば、大体の確率は標本がでかければテンプレになる、すなわちよくある確率になるよっといっていいだろう。

 

これらのロジックで、考えてみよう。

まず実力を反映するものは着順でいいだろう。麻雀が点棒をいっぱい集めるものではなく一位を目指すものだとするならばこれが妥当だ。

・・・しかし母平均が存在しない。母分散すらわからん。

少なくとも、母平均は中心極限定理より正規分布に近似することは確かで、適当にとった標本の数が十分に多ければこの標本平均は母平均に収束する。

この時は分散はχ^2分布し、(かいにじょう)不変分散s^2=1/(n-1)×Σ(i=1;n)(Xi-X) ただしXiは標本の値、Xは標本平均であるが、この不変分散から母分散を推定することができる。

また母平均の信頼区間は普遍分散を用いることでt分布(スチューデントのT分布)で求められる、これで95%、98%の精度で母平均の信頼区間が求められる、とはいえ標本平均を母平均としてもバチはあたらないだろう。

分散を推定することで、平均とあるプレイでの自分の着目との差が分散の範囲内であればまあまあ実力通りに打てたといえるし、はみ出すことがあれば超幸運、もしくはクソガバであることがわかる。

母平均が2.5以上なら負けてる、以下なら勝ってるとも判断できる。

 

そんなに統計ができたわけでもないのに書いたので間違ってたらすまない・・・

カツカレーが食べたい

年末から、いやそれより以前から親父と「カツカレーが食べたい」という話をしている。幸いにも近くにココイチカレーがあるのだから、言って食べてくればいい。

終わり。

 

とはならないのが私という人間である。以前も行ったのだが、私はココイチをクソ扱いしているのだ。

shokutamalog.hateblo.jp

 

ココイチのカレーというのはお家カレーの範疇を少しはみ出したお店カレーとでもいうもので、それはカツと積極的にあうと思わない。

そもそもココイチのカツはカツ!という感じがしない。

もっとカツがカツとして主張してほしいのだ。

その点では松乃家も同じだ。カレーはザ・お家カレーという感じでとてもいいのだが、カツの主張がいかんせん弱い。

 

とグダグダ行ったところで気づく。そういったお店を除くとどこでカツカレー食えるんだ?と。

地味にありそうでないファミレス、トンカツ専門店。

町の大衆食堂にならあるのだろう、そして私の住むエリアというのはそういった店がまだまだ残っている。しかしだ。大都会はどうだろう、そういったお店がなくなって大資本の店が入る。そうなるとカツカレーを食う機会はそれこそココイチになってしまうのではないか・・・

 

いや、ある。現代に残る大衆食堂、どこにでもあって大衆的。

そう、高速のSA飯だ。ここでなら確実にカツカレーがある。そしてなにより、ソフトクリームを食後に楽しむことができる。これだ。

SA飯は地味に豚汁定食も好きだ。これも現代の大資本様では決してしてくれなくなった、古き良き日本を映すものだ。ごはんじゃなくおむすびだったらさらに最高だ。

ご飯におかず、汁物。完璧な組み合わせだ。男たるものこうでなければならぬ。ああ漬物も忘れてはならない。

 

カツカレーというものにどうしてこうまで心惹かれるのだろう。

家庭の食卓の主役を張れる二人が、同時にでてくるからだろうか。反町隆史と水谷豊、そんな組み合わせな気がする、よっ暇か?

ああ、辛抱ならん、カツカレーが食べたい、福神漬けも食べたい。たくあんでもいいぞ、ふふふ。

僕のHEROデッキ(アカデミア産):グロい白馬にまたがって、待って待ってと連呼した(遊戯王)

本日も、HEROデッキの話をしよう。

まず、新年になったからにはこれに触れないわけにはいくまいにと。

 

f:id:shokutamalog:20220109182501j:plain

呪!フュージョンデステニー禁止入り!

現環境におおくいた(と思われる)HEROはこれに大きく依存するところがあり、また単体でもお手軽デスフェニ出張ができてしまうこのカードの禁止は、多くのHERO使いの心に「dead.」と思わさせられただろう。

このカードの制約は発動後、闇属性のHERO縛りが発生するものなので

展開の最後に発動する、

最初に発動しても問題のないように組む、

どうせファリスで制約がかかってる

のように、あってもなくても大して変わらないようにするので、実質ないようなものである。余談だがファリスの制約は特殊召喚効果の①では発生せず、②のセット効果の制約で発生するものである。

いつも①の効果の次に即②の効果をつかうことになるため勘違いしてる人が多いんじゃないかと思う。というか普通そう思う。①の効果目当てで使う変態は私だけでいい。

 

さてそんなpervertな私にとってフュージョンデステニーは・・・

やはりどうでもいいと思うものである。

理由は簡単である、あのクソ弱いHEROリンクモンスター使いたくないからだ。

そんな偏屈な考えで組んできたデッキの変遷は

 

リンク時代でバハシャ餅→ナチュビなどのシンクロを入れたもの→サベージドラゴンも共存させたバハシャ餅→アウローラドンを使ってサベージとコズミックブレイザーを並べる→ダークロウとBlooDを並べるやつ→ダークロウとBlooDとバハシャ餅とメルカバー並べるやつ

 

となっていた。

それをみたD氏「これのどこがHEROだ」

もっともである。

コズミックブレイザー型ではボウテンコウの力を借りたし、やはりパワーカードは強かった。どれも組んでて楽しかったのは確かなのだ。しかしHEROらしくない。

そして組みなおしたのがこちらだ。

www.db.yugioh-card.com

なにやら不穏な鎌みたいなモンスターや、毒々しいドラゴンがいるがそれはそれ。

 

MAX展開には、アライブ+D-HEROが必要となり、その場合EXゾーンにクロシープ、場にダグザ、デスフェニサンライザー、伏せデスサイズ、相手の場にダークエンジェルという構成になる。+札でダークロウも立てられるはず・・・

 

装備カードを5枚、レベル4を安心して出せるよう入れているが、蘇生札+デュランダルはいい、再融合は・・・となるのだが、他に入れておけるようなものがないので仕方がない。一応デスフェニを蘇生、効果でデスフェニが破壊される分には除外されないので(再融合が破壊されると除外)いらないけどいれないといけないので我慢する。

この型にしたことで誘発を入れる枠(まあ抹殺の指名者制限で空いたんだけど)も増えたので、よくわからんがとにかくよし!