新食魂島

王様は裸です、と叫びたい夜。

スピッツにおけるチェリーの異物感

大のスピッツファンである、私は、どこか出かけるたびにスピッツのアルバムを流し、そして車の中でカラオケ大会を開催する。

最近はその開催も危ぶまれているが。そうドライブレコーダーだ。

私の声域は基本的に低音に強いが、高音域を地声で行くのはかなりつらい。裏声やミックスボイスを使えば出ると言えば出るのだが・・・そこがスピッツを歌う上で難しいところで、地声の高音域じゃないとかっこ悪くなる場面がある。

そんなわけで無理に声を出した結果、裏返ったり、むせたりするラビッシュシーンをレコードさせるわけにはいかない。プライドを守る、ただひたすらむなしいプライドだが、そのチンケなプライドのために私はドライブレコーダーを付けない。

 

インディゴ地平線というアルバムがある。

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B4%E5%9C%B0%E5%B9%B3%E7%B7%9A-%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%83%E3%83%84/dp/B00006HBF4

 

シングル曲は「渚」と「チェリー」、発売時期はおよそ御世間様の考えるスピッツの全盛期だ(いつでも今が最盛期なのになwww)

このアルバムの構成は

1:花泥棒→ウェスタンさのなかに、ぐにゃぐにゃした感をまぜこぜにしたような曲。

要するに、よくわからんが陽気。

 

と来てから、

2:初恋クレイジー 3:インディゴ地平線 4:渚 としっかり聞かせにこさせ

 

5:ハヤテ 6:ナナへの気持ち ですこし外してくる。

かと思えば

7:虹を越えて でまたぐにゃぐにゃして

8:バニーガール で聞かせに来る

 

9:ほうき星 10:マフラーマン でまーた外してぐにゃぐにゃさせて

 

11:夕日が笑う、君も笑う でまた聞かせに来て

12:チェリー で締め となっている。

 

これらの楽曲のうち、花泥棒はギターのテツヤ、マフラーマンはベースのリーダー(田村)が作曲している。

つまりこの2曲がスピッツの曲として外しがかかっているのは当然であって、この2曲の後に続く、初恋クレイジーと 夕日が笑う、君も笑う というTHE 草野マサムネ感の曲を強く印象づけたらしめてくれる。

 

だからこそ、だからこそ。

夕日が笑う、君も笑うで「スピッツっていったらこれだよなぁ」感を植え付けられ気持ちよくアルバムが終わるという爽快感(特に最後の残響は最高だ)を、チェリーがぶち壊しているように思えて仕方がないのだ。

別にチェリーが嫌いというわけではないのだ。ただなんか気に食わない。

アルバム全体でみると、確かに入れるところはラストしかないのはわかる。それでも、ぬぐえない違和感。

 

スピッツ四天王と言えば「空も飛べるはず」「チェリー」「ロビンソン」「楓」だろう。人によってはスターゲイザー、正夢が入ったりはするかもだろうが。

チェリーと楓の間のシングルリリース間隔が明らかにスピッツのペースでない、本人たちの同意なしのベストアルバム作成を鑑みるに、元所属事務所、ポリドールの「売れるときに売っておこう」スタンスが見え隠れするのもなんともいやらしい話である。

 

シングルの売り上げ最高ランキングが楓で10位と2桁台になり、次の流れ星で26位(まあこれはリカバーという性質を考えるとうん)となったことと、recycle hitの収録が楓までなことに今更ながら悪意を感じてしまうのは私だけだろうか。

 

この時期のスピッツのアルバムというのは基本シングル曲だけポップすぎるという傾向があるのだが、それでも、空も飛べるはず、ロビンソン、楓にはチェリーほどの異物感を覚えない。

 

そもそもチェリーは歌詞からして異物感が強い。直球でわかりやすく、また妙に前向きだ。

草野マサムネの魅力のダークさがなく、虚ろな退廃感もない。

 

比較するとこうである。

 

普段の曲:陰のある男の言う「ま、なんとかなるでしょ」

チェリー:陽キャの言う「なんとかなるって(バンバン」

 

ただ最大の違和感は、ギターの主張を感じないという事だろう。前奏にカッティングで主張してるだろう、と思われるかもしれないが、テツヤといえばアルペジオなのだ。

なんというのか、チェリーは草野マサムネソロでも成り立ってしまう感がひどい。

 

とこのように、私はスピッツの楽曲としてチェリーを受け入れがたく思う。でもインディゴ地平線は聞く。

夕日が笑う、君も笑うのラストがマジすきだからね。

卓球における「0点回避マナー」

延期されていた、東京オリンピックで市井はにぎわっている。

開会式がしょぼいだの、そもそも開催すべきではないとの声があるが、後者は議論の余地があったとして、前者はとやかく言うのは野暮だろう、どうせ次の日本開催のオリンピックは冬季で30年後くらいだろうし、反省したところで感がむんむんだ。

 

さて私、今日は信大附属病院に赴く必要があり、我が家から移動にかかる時間を考えれば、家を出なければならない時間を20分ほどオーバーして出発した。

野球をみてたのだ。

栗林が打たれたときは「死んだー!」と叫んでしまった、それでも最後の打者2人を三振で締めてくれたのはありがたやありがたや。

 

本題に移ろう。卓球における「0点回避マナー」というやつだ。

0点回避マナーという名称自体はどっかのニュースサイトからパチったものだが、これは1ゲーム11点先取の卓球において、10-0になったときは相手に1ポイントわたして10-1にしてから真剣に最後の一本をとりにいくというものだ。

もちろんルールブックに記載があるわけではない、いわゆる不文律、アンリトンルールというやつだ。

アンリトンルールで検索すると、野球が多くヒットする。

野球だと、大差で盗塁するな、連続ホームランのあとの初球は見逃せ、大差での3-0の球は見逃せ、など。

サッカーにもある。私が知る限りでは負傷者がいたらボールを外にだせ、だけだが。

 

私はこのアンリトンルールを好ましく思っている。

誰がやり始めたかはわからない、でも確かにその行為をすること、されることでお互いの意思を確認し合うことができるのはよいことだと思う。

野球で大差で盗塁した場合、打者に対して死球がとんでくる。さすがに頭部に投げたらアレだが、肩なら大きなけがなく受けられるだろう・・・クッソ痛そうだけど。

そしてこれで遺恨はなし気持ちよくプレイを再開する。それだけの話だ。

そもそも誰かが初めてそれがいい行為だと皆に認められたからこそ、アンリトンルールとなっているのであって、無駄なルールなはずがないのだ。

 

さて日本人の中にはアンリトンルールが大嫌いな人種というのがいて、

「真剣勝負なんだから全力を尽くすのが当たり前だ」

「勝負がついていないのに」

という。

 

私からすれば彼らは真剣なようでその実ただの勝利至上主義者でしかない。

競技者がいうのならまだしも、ただの観戦者がこのようなことを抜かすのは滑稽極まりない。

そもそもアンリトンルールは競技者自身がそれをするかしないか、どうするかを決めるものであるはずだ。

1-10からひっくり返されるようなことがあって、それを10点側の選手が「あいつにマナーとして1点やったらそこから逆転するなんてマナー違反だ」というのなら無くなっちまえと思うが。

マナーのお情けで点をもらうのが嫌なら0-10になんてしなければいい。屈辱的行為じゃん、とアンリトン大嫌いマンはいうが、0-10の時点でどうみても屈辱的です本当にありがとうございました。

そうなった時点で逆転はほぼほぼ不可能、相手の実力なら追い付く前に決められる、このセットは勝てない、私の負けです、と自ら負けを認める方がよっぽどリスペクトに満ちていてクールだと思うのだが・・・

 

このアンリトン大嫌い星人は、「ならルールとして明記しろ」というが・・・

なんだ、この情緒を解さない退屈な人間は。もののあわれを知り給え。

 

都会と田舎における「私立」の認識の違い

大学の時、都会生まれの連中にきいておけばよかったです。

 

先日のブログに書いたか・・・書いたとは思うのだが、田舎、こと長野における高校選びというのは選択の幅が狭く、偏差値の幅はバカに広い。

私の住む東信エリアには、私立高校は佐久長聖、上田西の2校、この2校はサッカーや野球でインターハイ、甲子園に出場することの多い学校だが、スポーツに特化したというものでもなく、むしろ進学をメインに据えているふしがある。

 

東信の高校受験生は、この2校(偏差値の差は10くらいあるか)を基本的に滑り止めとして受験する。本命としている人は少ないだろう、少なくとも私の時はそうだった。長聖のほうは、しなの鉄道で小諸まで行き、そこから小海線に乗り換え岩村田までいかなくてはならないので、通学はひどく面倒だ。

 

しかしそこはクソ田舎のお私立様のなせるわざ、寮暮らしという選択肢もあるぞ!駅伝では名の知れた当校だが、駅伝部専用の寮があるらしい。すごい。

ちなみに電車通学を選び、小海線に乗り換えてからうっかり寝過ごすと県境を越え小淵沢で目覚めることになるだろう。こわい。

高専に通っていた私の友人は、寝過ごしたら湯田中である。

 

とにもかくにも、田舎における私立というのは基本的に積極的選択されるものではないということだ。公立高校の倍率はどの偏差値帯でも1,0何倍で競争などなきにひとしい。

さて、都会の公立学校の倍率をみてみると。。。

 

定員割れする高校もあるが、1,5倍近い倍率の高校がほとんどだ。そして私立の選択肢も恐ろしく広い。

つまり無理に競争しなくても、内申点が悪いから、という理由で私立を選ぶことに違和感がないのだ。

そもそもこの格差は中学選びの時点でもっと悲惨だ。田舎にはそもそも私立の一貫校などない。

 

教育の格差とはこうやって生まれるのだなぁ

 

オタクは人生経験が薄いとはよくいったもので

世界のパヤオ

「ロクに人生経験もないオタクを雇うつもりはない。火を表現するには火に触れないと駄目だ」

と言っている、たぶんそうなんだろう、しかしオタクの正気の度合いは判断が難しいからな。

 

はまあ冗談としておいて。

私も「人生経験のないオタク」はダメだと思う。

とはいえ人生経験とは何だろうとも思う。

自分自身を振り返ってみよう。

私のようなクソニートには社会経験がないというクソでかマイナス要素がある。

恋愛経験・・・ないわけでもないが、あまりに独りよがり今井なものなので思い出したくない。今でも当時の行動に悶絶することもある。

・・・

 

やめとくか。

となりかけたが一つだけ他人より優れていると思える点があった。

書経験だ。

中学3年~高2期はそれなりに本を読んだ、といっても小説ばかりではあるが

 

貧乏生まれの成り上がりの医者が、ふとした慢心から人生の頂点から転落する話や

https://www.amazon.co.jp/dp/4101104336/ref=cm_sw_r_tw_dp_Q1ACGMDQ5N0KVCQRC4K6

偶然、いるはずのないもう一人の自分と出会い、激しく憎しみ合ったり

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ババアの衣服を分捕ったり、鼻がもげたり、かたじけのうござるを連呼したり

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時に、部屋においた檸檬を爆弾と見立てたり、殺す予定のなかった強欲な老婆の娘に手をかけてしまった罪の意識を抱え込んだりしたが、これらは当時は意味が分からずとん挫した。

さて、このようにいろいろな物語の人物の人生に思いをはせることが人生経験というのかはわからない、がムダであるとは私には思えない。

一般のオタクというのはどうだろう。私が知る限り、オタクという人種はラノベばかり読んでいたように思える。

自分のクラスのクソオタク(この女どもはマジでクソだった)はキノの旅を愛読していたし、すこしオタク趣味のあった友人は金田一のノベライズを読んでいた。

 

私が忌避する存在に鍵厨がいるが、彼らの言う名作である「CLANNAD」は人生だそうだ。

彼らの感想は

「人生について考えさせられた」

「家族のことについて考えさせられた」

だそうだ。中学生あたりが読書感想文で書くレベルの内容だな。

私なら人生の意味を考えさせられるのなら、billy joelpiano manを聞く、そっちの方が手短で明朗だ。

そもそも彼らは考えさせられたそうだが、それが人生に反映されているように思えない。岡崎がなぜ苦労する羽目になったか?彼がアホだからだ。オタクくんは頑張っているか?

あれのいいところなんて、雰囲気づくりだけだろ?ちゃんと話みろよ?

リアルのしがらみのなにもかもから逃げて逃げて逃げまくってそしたらなぜか救われるストーリーだぜあれ。

 

わたしは白い巨塔が好きだ。財前を庇うことなく己が信じる医療の道を突き進んだ里見も尊く思えるし、持たざるものであったという飢えから権力も何もかもを欲しがった財前の獣の生き方もわかる。

互いに相反する二人が、だからこそ互いに認め合えるという美しい関係もよい。

財前と里見の最期の会話で財前がいう「ただ・・・無念だ」という言葉は非常に短いセンテンスでありながら私の心に刺さっているし「がんの専門医としてがんで死ぬことを恥じる」財前の手紙もまた胸を打つ。

 

別にこういった話の濃度の問題でなく、明らかにレベルの低いものを「名作」とたたえることは、文化の先細りそのものでしかなく

言ってしまえば「本ビールは濃すぎて苦い、第3のビール軽くて飲みやすい神」なんていう風潮は許してはならないのだ

高校1年の時の「こどものおもちゃ」

私は信州は上田、東信の民なり。長野を4分割すると、大体の人が長野の都市の配置など知らないとは思うが、

更埴、長野、須坂、中野あたりを北信

大町白馬、どこまで南下するかはわかんないがそのあたりが中信

伊那、飯田当たりの南信

そして上田、佐久、軽井沢あたりが東信である。

面倒なので細かくは地図をみてくれ。

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かつての長野では、高校でも進学人数の割り振りがあり、学区をまたぐ場合の人数にはそれなりの制限があった。(はず)

その制約が緩くなったのがたしか自分の代だったのだが、それでも大抵の生徒は上田市内の高校に進学、優秀な生徒は上田高校(サマーウォーズの陣内了平の学校、ちなみにここ20年で甲子園の出場はない)、または佐久長聖(野球や陸上で有名ですね)、並みなら染谷が丘、上田東、その他もろもろに進学する。ちなみにここ数年甲子園にも出場、阪神のドラ7ルーキーを輩出した上田西だが公立ではなく私立で、また上田駅からではなく上田西駅から行くばぶれもんである。ちなみに学食はクソまずかった。

 

そんな私も市内の高校に進学するのだとまわりからは思われていたが、私は北信地区のある高校を選んだ。そのことで友人と大喧嘩したのだがそれはまた別の話だ。

上田から篠ノ井信越線と合流)まで40分、長野までは60分かかるわけで、朝の起床がクソザコレベルの私がなぜそんな遠いところを選んだか。

理由は単純だ。

中学のクソどもとなるべく距離を置きたかったからだ。

私の友人もそういった理由だろう、彼の中学のクラスをみると今にしてみれば彼がいかに苦悩してたかが想像に難くない、彼は高専を選んだ。ちなみに彼の家からは2時間ちかくかかる。

都会のお住まいの方にはわかりづらいかもしれないが、田舎には私立中学という選択肢は基本的にない。私の時代に存在したのは佐久長聖の中等部だけで、そもそも私立受験という選択肢がないので、私もそのことについては深く考えたことはなかった。

つまりそれがどういうことかというと、自分の周りのくそったれのゴミ共と時間を共有することを強制されるということだ。

そして、卒業前に起こったある二つの出来事は純朴な青少年であった私の心を凍てつかせるのには十分な物であり、その凍った心のまま私は高校へ進学した。

 

高校入学にあたって、普段履きの学校指定サンダルの購入を忘れて、母に頭を下げ、1時間以上の時間をかけ車で買いに行ったのは密としておこう。

 

さて入学して数日、名簿順に並んだ座席、さぞ機嫌の悪そうな顔の私に話しかけてくれたあの2人には本当に感謝しかない、今でも良い友人だと私は思っている。

冷たく暗く生きようとしてた私は彼らに光明を見出し、少しは明るく生きようと思えるようにはなったころ、私はある異変に気付く。

 

ものすごく視線を感じる。その視線の先にこちらも目をやると、3人の女子が色めきだっていた。

別に隠しているわけではないが、高校生の時の私は今より20kgは痩せていて、さらに日本人っぽくない見た目、いってしまえばイケメンであった。

冗談めかして痩せれば俺はイケメンだと言い張っているが割と真面目に言っているのだ。

そんな彼女たちが先の友人たちに話しかけている、なんのこっちゃと思いつつも家に帰ると、メールが届いてる。

その彼女たちからのメールである。

いや人のメアド勝手に教えんなやとは思ったが、求められるというのはとてもいい気分なものでそんなイラっとした気持ちは消えていった。

とはいえだ。

女子と何メールで会話すればいいのかわからん私は基本待ちのスタイルをとることにした。

ある朝、目覚めたら一通のメールが届いてた。「私たちの挨拶は●●なの!」と書いてあった。

意味が分からん。しかも深夜の2時にこのメールが送られてきた。

こんなわけのわからん内容を、非常識な時間に送る、なんなんだこの女と思った。

その彼女だが情報の時間で異様なスピードのタイピングをしていたのを覚えている、まだパソコンが一般的でない時代だったのでなんかドンビキした。

 

女ってよくわかんねーなー、と思いながら相変わらず待ちのスタイルの私だったが・・・正直自分から送ったメールを思い返すと「これはない」な内容ばかりなので待ちでよかったんだと思うことにした。

 

さて2か月ほどたち、ちょうど今くらいの時期、文化祭の準備といった頃合いだろう、そのころには私のメールアドレスは完全にフリー素材と化していたようで、あまり親しくないやつからも「登録ヨロ」メールが届いていた。

傑作だったのは、あるオタク女子からのメールである。彼女の風貌は・・・メガネに片目隠れのキタロースタイル。まごうことなきオタクである。

そんな彼女からのメールは

「食魂氏は2ちゃんねらーでござるか?」

・・・

・・・・・・

うん、いやまあ否定しないけど、FLASHとか好きだったよ?ていうかテンション高いね君。クラスでもそれくらい大きな声でしゃべればいいと思うよ。(彼女の名誉のため言っておくが彼女はぼそぼそ系陰キャではなく、特定のジャンルにだけ声がでかくなっちゃう系オタクだと思います)

ちなみにその当時のワイはDQ小説同盟を読み漁る系のオタクだったが、誰かとそれをシェアするとかそういうタイプではなかったのを付け加えておく、あの当時の私は今と同等レベルの活字中毒だったので。

 

さて。そんなこんなで1年がたった。2年からはクラスを再編することになっているので、クラス替え。うん話せる奴もいるな安心安心、ってこいつと同じクラスか不安だとも思いつつ教室に向かうのであった。その不安の元凶は遅刻の常習犯で、1年の授業開始日ののっけから遅刻してくるというインパクトある行動をかまし、私の脳裏にはそいつの名前が焼き付けられた。さらにいうなら文化祭でメイド服きて女装して、という大変変態なアグレッシブナードである。彼の中でその高校時代の奇行はどう思い出に残っているのか、問い詰めたいものである。

 

ところで、さきほど、女子からのメールは待ちに徹するといった。

その結果だが。

メアド登録よろー、メールから一切のメールなしだった。

ただしくは2,3やり取りがあった相手もいるのだが、本当に一切のやり取りなしという人もいた。

というか彼女たちとサシで会話したことがない。話しかけなかったし話しかけられなかったからだ。

一体なんだったのだろう。

いやこれは一つ推測がある。俺は高校は文化班を選択したのだが、ある時その班の女の子と帰りで一緒になったので、声をかけ一緒に下校した。その時の下校ルートというのはテニスコートをとおらなければならないので、周りに見られていたのだろう。それでなんか冷めたとかそういうのではないのだろうか。

その子も結構俺との仲を勘繰られたのか、「そういう関係じゃないよ」的なことを言っていた。

なんでそれを俺が知っているかというと、その子が間違えてそのメールを俺に送ってきたからだ。

他人の悪口言うメールを、うっかりその本人に送っちゃうあるあるなやつだ。

 

つまり結局はだ。

フリー素材のように扱われていたのは、メアドでもなんでもなく俺自身だったということだ。

それに気づいた俺は一つのoathを立てることにした。

 

もう女なんて信じない。

俺はデブだ、と強く自覚させられたこと

デブである、というのはある種の人格的な異常である。

つまり真っ当な精神を持つ人間なら、デブである自分を嫌悪し、真っ当な体重に戻そうとするということだ。そうしない人間は、著しく自己愛が強いか、ただのクソなまけ豚である。

 

さて自己愛が強く、クソゲロ豚の私だが、昔からデブだったというわけではない。

無駄に骨格がでかく、身長173cm(別に70表記でいいじゃんと思われるかもしれないが、ここは譲れぬ男の見栄というものだ)なのにそれ以上に威圧的に見えるのが私という人間だが、それでも高校卒業時では63kg程度だった。

そして大学に入った私は・・・はじけた。

都会のおいしいごはんに僕はもう帰れない、そんな太りゆく私を見る母には涙拭く木綿のハンカチーフを贈っておいた。嘘だけど。

大学3年の教育実習の時には1年次に買ったスーツが入らず、新しくスーツのズボンだけを買うことになった。クールビズのシーズンで本当に助かった。

それでも大学卒業の前後で75㎏だった体重は、今では84kgに膨れ上がり、体脂肪率は30%を超えた。

せいぜいライオネック程度だった私の体は、今ではボストロールだ。

 

キッズからは豚だのゴリラだの好き放題罵られる。しかし私はそれには反論できない。だって事実だもん。

林修氏はかつてデブだったそうだが、本人はその経験からデブにデブといって何が悪いと言っている。

そりゃそうだ。事実を言っただけで怒られるのならもう何も言えなくなってしまう。

 

その程度には私は自分がデブであることを自覚しているわけだが、直接デブと言われる分には構わなくても、間接的にデブであるということを再認識させられるのは正直へこむ。

そしてそんな出来事があったのだ。

 

ある兄ちゃんと池袋で遊んだ時のことである、断っておくが3年近く前の話だ。

カードショップで存分に遊んだ我々は空腹を埋めるべく手ごろな価格の海鮮丼が食べられる某店に立ち入った。

 

僕「マグロ丼」

T氏「海鮮丼」

店員「大盛り無料ですがどうなさいますか」

僕「yes,please」

T氏「結構です」

僕「・・・(自分の体をみた後彼の健康体を見る)」

 

私は死んだ。(ニート

普通の人は大盛り無料といわれてもホイホイするものではないのだ。

しかしだ、デブとして、大盛り無料という甘い囁きの誘惑にどうして耐えられようか。

その店はチェーン店だったが、そういうお店の盛りというのは大概がしょぼい。大盛りにでもしなければ腹が膨れないではないか。

大盛り無料といわれてときめかない男などいない、そう強く断言してやる。

 

といってもやはりだ。普通そんなにホイホイ大盛りにはしない、それが健全な体重の人間の思考なのだ。間違っているのは世界じゃない、俺の方だ。

鏡に映った自分の顔をみる、髭をはやしてごまかそうとしているが、顎がお肉でタプタプだ。

無理やり顔の脂肪を引っ張ってみると、大分顔が小さくなる。

いつからこんなに俺は醜くなってしまったのだ。

 

決めた。

俺は痩せる。

絶対に痩せるのだ。

ポテチとコーラをつまみながら私はそう誓うのであった。

その失敗が不安だと思うのなら

さて、私がプレイしているソシャゲ、断っておくが断じて不純な理由でプレイしているわけではなく、単純にシコりたいだけでやっている、プリンセスコネクトでよく見る話なのだが。

 

「●●の装備ランクはいくつが適正?」

「●●は出るまで引くべきですか」

「●●は必須ですか?」

 

なるほど。

・・・

・・・・・・

 

いや自分できめんかーい。なんだその馬鹿丸出しの質問は。おじさんの声を裏返らせないでほしい。

以前も言ったと思う・・・言ったよな?まああれである

「●●に合格するには一日何時間勉強すればいいですか」

というあれと同じだ。

ソシャゲなんだから、自分はやりたいと思う事だけをやればいい。

●●は必須かだと?お前が欲しいと思ったら必須だよ。

ダメージ効率がーとか言いたいのならそういう人たちとそういう交流をしていればいい。ゲームを楽しむという観点で俺はクソだと思うが、そういう楽しみ方だってアリだ。

ただ自分のことなんだから自分できめろよ。

こういった発言をする人間は自信がなく、どこかしらで他人に背中を押してもらいたいだけ、つまりは腑抜けだ。失敗から逃げた、ヘタレだ。

というかだね、その程度の、たかがソシャゲ程度の失敗で不安に思うのなら、このストレス社会で日々どうやって過ごしているのだろうか?私なら胃袋が4つに分裂している。事実私の胃袋はボドボドである。

少なくとも、ゲームの遊び方は誰にも強要されていない。されているのならそれはあなたにとってゲームではない。苦行だ。

とりあえずゲームをイージーな勝利の代替手段にするのはやめろ。