新食魂島

王様は裸です、と叫びたい夜。

2023年度共通テスト英語は何を問いたいのか

まずは予備知識なしに解いた感想を言おう。

 

はじめしゃちょーと同じ点数だった(白目

 

いやそんなことはどうでもいいのだが、・・・すまない正直はじめしゃちょーを舐め切っていたので本当はショックなんだ。

 

まあしかし、今年の問題に関しては

 

・「量がえぐい」(センター時代の1.8倍だそうだ。これは序盤の文法問題が短文の       

         読み取りに代わっているのでその量もあるあろうが、これはヤバ 

         イ)

 

の一点に尽きるだろう。事実、ややこしい文法があった、とか、意味の分からない単語があった、という話は聞かないし、解いたうえでもそういうものはなかった。

 

私の意見を言わせてもらうのなら、今回のテストを作ったやつは解く人間の英語における言語処理能力が、ネイティブと同様にできると勘違いしているとしか思えない。

そもそも我々日本語を母語とする人間は、当たり前だが日本語で思考をする。つまり英語を聞いただけでは表層的な処理はできても、深い意味合い、共通テストで言うなら国語的読み取りをするのは不可能だ。

 

よく言われる「英語は英語で聞いて英語で処理するべき」というのがあるが、思考の言語が日本語である以上、実質的に不可能なものだ。可能だったとしてそれは相当レベルの高い、およそ出願大学の振り分けに使う程度のテストには不釣り合いな要求レベルと言える。

 

最近の共通テストの英語では、文を読んだだけではわからない、言葉のその先の読み取りを課す問題が出ているが、それを説く事そのもの自体も面倒なのに、時間の制約もあると考えると冷静になど文章を読めるはずもなく、ただストレスフルなだけだろう。

 

はじめしゃちょーは学生の当時、英語を専攻していて英語教諭の免許も持っているし(だとするともっと点数とれていろよと思うのは別の話)

私自体も病で集中力が欠けるのもあるし、現役を離れているのもあるが、英文を読むのが相当に速い方だと自負しているが

 

それをもってしてすら時間が足りない、はじめしゃちょーは最後の長文に間に合わず、私は最後の2問だけ勘で回答したくらいで、一般の受験者がとても太刀打ちできるとは思えない。

今回得点調整はないようだが、今まである程度英語で稼げた層が、10点以上落とす羽目になったのは英語が得意(私はそういう人間は普段アホ扱いしているが)で英語で点数を稼ぎたい人には気の毒である。

 

前文はここまで。主題に入ろう。

 

テストは意図をもって行われる。共通テストは国公立大の1次持ち点となるので、それぞれを実力通りの大学に割り振る必要があるし、国の事業として文部科学省が定めるところの教育目標の確認にならなければならない。

 

(現行の学習指導要領)

○ 小・中・高等学校を通じて、言語や文化に対する理解を深め、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り、聞くこと、話すこと、読むこと、書くことなどのコミュニケーション能力を養成することをねらいとしている。

  • 平成23年度より小学校5,6年生において、コミュニケーションの能力の素地の育成をねらいとして、外国語活動を週1コマ実施すること
  • 中学校では週3コマから週4コマ(約3割増:105時間⇒140時間)へ充実し言語活動を各領域で1項目追加するなど充実を図るとともに、従来の「聞く」「話す」を重視した指導から4技能のバランスが取れた指導への改善を図り、教材の題材には伝統文化、自然科学などを取り上げること

○ 英語教育においては、このような背景を踏まえ取組が進められてきたが、多文化・多言語、多民族の人々の交流や、競合と協調が求められるグローバル社会の中では、自立した人間として、他者と協働しながら、課題を解決する能力や情報を活用する能力などを更に重視することが必要である。

○ また、前述のような課題が指摘される現状を踏まえ、コミュニケーション能力の育成を意識した効果的な教育が行われるようにする。このため、これまでの英語教育の成果・課題や、英語を外国語として学ぶ諸国における取組状況とその背景などを改めて踏まえた目標・内容などの改善・充実が必要である。

○ このような観点から、更なる英語教育の充実を図るため、小学校中学年における外国語活動の導入、高学年における教科化としての制度上の位置づけや、中・高等学校における言語活動の高度化に向けた検討を、より専門的な視点から行い、学習指導要領の改訂に向けた検討に生かすことが必要である。

○ その際、英語教育を通じて育成すべき資質・能力とともに、これらを育成するために必要な小・中・高等学校を通じた一貫した目標・内容と学習評価の在り方について一体的に見直しを行うことも検討する必要がある。その際に、英語を用いて何ができるようになるかという観点から、より構造的で明確なものとし、効果的なコミュニケーション能力の育成を意識した取組を促進することが必要である(※6)。

 

【資料2-1】小・中・高等学校を通じた英語教育の目標等の方向性(検討のための資料

 

まずは、聞く話すといった能力の充実ではあるが、これは共通テストでは会話文から読み取る問題程度しか問えないだろう。

とにもかくにも、コミュケーションとバカの一つ覚えしていると思っていただければ問題ない。

正直私は、英語を学ぶ上で一番力を入れるべきは文法だと思っているので、共通テストから、文法や発音の問題がなくなったのは問題だと思っている。

そもそも大体の人間はコミュケーション的に英語を使うどころの騒ぎではない。この世の7割は中学程度の英語すら満足に理解できてないし、中学程度の英語ができないということはそもそも簡単な文すら組み立てられないということだ。

 

今回の共通テストはとにかく量が多いが、これはおそらく英語をコミュニケーションツールと考えコミュニケーションの実現を英語科の目標にしているのだから、英語を日本語と同等といかないまでも高いレベルで処理できるようになっている、すなわち国語レベルの語彙量で処理してくださいということなのだろか。

 

私には、今回の問題は、自分は英語ができる頭のいいだけの人が、御大層な目標を掲げて問題を作成したが、そこまで到達できるほど教育ができてないし、そもそも無理な目標であるのに気が付いてなかったとしか思えない。

端的に申せば、

 

うわ、意識たかーい()

IQが20違うと話が通じないという話

一般的な俗説として「IQが20違うと、会話の成立が困難になる」というものがある。

私はこれが正しいものだと思う。

 

1を聞いて10を知る人間が、いちいち2や3に戻って説明するのは実はとても労力がいるものであるし、そもそも1を理解していない相手に対してはどこから説明すればいいのか、果たして自分の説明で理解してもらえるだろうかと不安になるのももっともな話だ。

 

逆に1を聞いて3しか理解し得ない人間が、10を知る人間の、彼らにとっては普通の嗜好で、自分たちにとっての「論理の飛躍」を聞かされるのは意味が分からないだけでなく、「こんなこともわからないんだフーン」とバカにされていると感じてしまっても仕方ない。

 

10を知る人間からすれば、なんでこんなこともわからないのか、3しか理解しない人間からすれば、わけのわからないことを言いやがって、となるのだが、結局、ここで何とか会話を成り立たせるには、10を知る人間が妥協するしかない。

 

例えば話の厳密さをぶん投げる、一部の説明をなくす、といった行為をする。

IQの差というわけではないが、私も小学生相手に「紅玉とシナノゴールドなら同じりんごだから足してもいいだろうけど、ゴリラとライオンを足し算したりはしないでしょ。足し算したければ尺度をそろえるでしょ。ゴリラとライオンなら動物の仲間だよね?分数は数字が違えばゴリラとライオンくらい世界が違う」と説明したりした。

相手に話を嚥下してもらうためには、できる側が咀嚼して与えなければならない、なのでQUORAに書き込んでいたギフテッドの人はいつもそうしていて疲れているそうだ。

 

さてIQの話をしよう。

 

IQは100を平均に10刻みでその能力を判断する。100からプラスマイナス10の範囲に全体の50%が、プラスマイナス10~20の範囲に全体の30%が入る。雑に言うと、この世の人間は大体IQ80~120の間であるということだ。

130越えは全体の上位2.5%、逆に70より下は下位2.5%で激レアさん!に思えるかもしれないが一つの公立小学校の1学年に2,3人、多ければ5人くらいいると考えればまあまあな遭遇率といえる。

ちなみに知的障害のラインは70で、70周辺をボーダー、50~70を軽度知的障害としている。

 

 

WAISーⅣにおける(今はVが出ているそうだ)IQを算出するうえで、4つの項目がある。ことのついでに先日依頼していた精神障碍者手帳の医者の診断書に自分のIQが書いてあったので明記する。何の意味があるんだと思われるかもしれないが、ちゃんと意味があるので。

 

①言語理解(VCI)

見ての通り、語彙、言語に関する項目で、知識や理解、概念化の能力と言える。

私の数値は119。

 

②知覚推理(PRI)

視覚的な問題解決、情報処理能力。よくわからん。

私の数値は101。

 

③ワークングメモリ(WMI)

短期記憶の保持、処理。新たな情報を記憶するのもここ。

私の数値は128。

 

④処理速度(PSI)

複数の情報を処理する能力。マルチスレッド!?

私の数値は114。

 

私はいわゆる発達障害で、ついでに言うなら自閉症もお持ちでらっしゃれる。障碍者手帳の申請には双極性障害、いわゆる躁鬱で通すようだ。

そして発達障害の診断において、IQ間ギャップ(ディスクレパンシー)が15程度あるとそう診断される(やすい?)ようだ。私は医者ではないのでこれはネットの情報にすぎない。もしこのブログを見る人の中に自分、もしくは周囲の人がそうなのでは?と思う人がいたならあまり鵜呑みにしないでほしい。あくまで参考まで。

 

私の場合はワーキングメモリ128ー知覚推理101=27で、うん、バリバリギャップあるな!?

動作性IQが低いせいか、私の手先は壊滅的なものだし、絵なんて小学生の落書きレベルである。

小学生の時、皆がすきずきにポケモンデジモンを書いているなか、私は延々とメタモンマルマインとスカモンの絵を描いていた。

美術の時間は苦痛だったし、体育は苦手ではないにしろスキップはできない、マット運動はダメ、水泳は半分死ぬような思いをして5年間かけ25mを泳げる程度になった。

かなしい。

個人内でこれだけのIQギャップがあると、発達障害という形でとてつもない不自由不利益が生じるわけだ。

 

話を最初のものに戻すと、個人内でIQに20差があってこれだけ不和を起こすなら、それが他人に対してと考えるとどうだろうか?

もちろんIQ自体は、言語性IQのみならず言葉の処理がかんけいしてなさそうな動作性IQも含むのだし、言語性IQ一つにとっても聞く能力と言葉の知識、論理の処理と複雑多岐にわたるもので、単純にそうとは言い切れないのだが、それでもだ。

私には、この話が通じないというものは、論理的なディベートや知識を問うものでない、一般的な会話なら多少の齟齬はあれでも成り立つものだとは思う。

だが論理性を強く孕む会話となると猜疑的にならざるを得ない。

物事を3段飛びまででしか理解できない人と、5打飛びで理解できる人、1段でもう理解できない人が3人そろっても、文殊の知恵どころか、なにも出てこないだろう。もしでてくるとしたら出てくるのは、もんじゅだろう(放射能もれー)

 

ただだからといって、お互いに敬意を払うのは忘れないようにすべきだよね、とも思うのであった。

老いたクソデッカー、ウェルテルの悩み

タイトルはゲーテを気取ることにした。

クソデッキを組むうえで、一番大事なのはクソカードを探すことである。大学院におけるよい研究テーマに出会うことの重要性は言わずもがなだが、クソデッキにおいても同じことが言える。

最新のカードはもちろん、古いカードにも目を配るのだが、割とEDHの民の情報が役に立つことが多く、彼らには助けられている。

 

さてそうしたザッピングの結果、よいクソカードに出会えたとしよう。いや、良いクソカードってなんだよと言われると回答に困るのだがそこはそこ。

早速その周りを固める作業に入るのだが、そこに触れる前にクソデッキの性質に触れておこう。

まずクソデッキでは無限ループ系クソコンボ、トンチキ1ショットコンボのどちらかが当てはまるはずだ。

なんせ使うカードがクソな以上、真っ当に戦うのなら真っ当なデッキにかなうはずがない。

そしてそのコンボ先は、真っ当な結末を迎えるはずがないのだ。迎えられるのならそれはただのお真面目デッキなのだ。

最近考えたもので言うと、オボシュと災厄を携える者とセルトランドの投げ飛ばし屋をならべ、投げ飛ばし屋に頭を掴まれた砕骨の巨人が8倍界王拳かますデッキなんかがそうだ。あまりに並べる手段が思いつかなかったので没にした。

倍々ゲームは非常に面白くはあるのだが・・・

結局どのみちコンボ性が高くなるというのがクソデッキであるのだ。

 

話を戻して、結局コンボでは、必要パーツ、素材をそろえる手段、素材を守る手段、タップアンタップサクリ台が必要ならその用意が必要になるが、そこらへんは嬉々ととして我々クソデッカーもやると思う。そこをしないのならクソデッキなど組む必要はない。

そして、ある程度固まったら試験プレイだ。もちろん大体はうまくいかない。改めて必要不必要の精査をするわけだ。

最終的に完成!やったね!

 

となった瞬間、とあることに気づいてしまう。

〇〇使うのなら、△△使った方がよくね?ってあれ、それって××ってデッキじゃね?っと。

そう少しでも強いカードを使った瞬間、それなら、それならと入れ替えていった結果、己が嫌悪していたあのガチデッキとの類似性に気づいてしまう、これほど恐ろしいことはない。しかも大体の場合既存のものより劣ったものになっている。

しかし考えてみればそうなのだ、シナジー、単体でのパワー、それらが強くかみ合っているいわゆるよくできたデッキ、それすなわち環境にいるガチデッキなのだと。

強カードを入れ完成度を高めようとした結果最終的にガチデッキの劣化になる。単純にアプローチの仕方が違えど同じ結論に至ったことを喜べばいいのか悲しめばいいのか。私にはそれすらわからない。

クソデッキを強くするという作業は、正解の見えない、おそらく開拓されていない未知の分野の研究ともいえるが、気が付いたら、既存の正解に遠回しなアプローチをしていただけという悲しみ。

・・・やはりクソデッキというのは、大学院の研究テーマとよく似ているんじゃないだろうか。

YOASOBIの歌詞の良さがわからない、と思うたび

私は、少なくとも通常の人間はお説教が大嫌いだと思っている。

それがどれだけ相手が正しくとも、自らが受け取る態勢をとらない限り、その言葉は空虚で、無意味だと思う。

 

少し前にサイレントマジョリティーなる曲があった。

www.youtube.com

 

初めて聞いたのは姉がながしっぱにしていた紅白のテレビであったが、

私の感想はというと

 

・お経の方が聞いて楽しい、坊主の100人ハモリのほうがエキサイティング

・ダンス?マスゲームのほうがいいよ。

・何言ってるかわかんない

・字幕みても「そうだね」としかならない

 

そもそも女性アイドルというものは、保田圭くらいで止まってる私には本当に縁遠い

ものではあるし、単純に推すならももクロのほうがいい、坂道系はクソ!と思っているレベルではあるのだが。

それにしてもこの曲はひどく理解に苦しむ。

断っておくが歌詞が理解できないのでなく、面白みが理解できないのである。

正直歌詞は10代くらいの若者が抱えがちな、出る杭を打って均質な製品として自分たちを変えようとしてくる汚い大人に支配されずに、自由意思を示すんだ、的な事を言っていて、ああまあ10代くらいの子は好きだよねこういうの、とは思う。

この歌詞を60過ぎたじいさんが書いてるんだからみずみずしい感性と言えるだろう。正直ちょっとキモいけど。

では私の言う面白みとは何なのだろうか。

それは、「歌詞の解釈の余地」と、「表現の美しさの鑑賞」である。

 

汚い大人たちに縛られるな?はい、そうですね。えそれで終わりですか?

例えば、自分たちを無個性化させようとする大人を、大量生産品を作る工場に例えるとか、汚泥から足を掴むとか、そういうね?

 

大衆の歌というのはそういうものだ、とは理解してる。だとしても、泳げたい焼きくんの歌詞がエモいという人間はいないように、これもそういうものだというのが私の認識だ。

しかし市井に目を向けると

「いえー!めっちゃ!エモでー!」

などという若い者がかなり多い。

 

例えば味覚においてもそうだが、複雑である概念に関して、複雑な形のまま理解できるのは一部の人間に限られる。

ラーメン二郎、ここ数年はコロナの影響で上京できなかったため食べてないが、私は結構好きな口である。だがこのラーメン二郎が世界一ウマイ食い物だとは思ってないのだ。なんせ単調だ。熱い!脂っこい!しょっぱい!だからうまい!バカでもわかるレトリックだ。

かと言ってラーメン二郎を豚の餌と罵るつもりも毛頭ない。単純には単純の良さがあるし、そもそもラーメンスープは作る上では複雑な概念だ。

どんなラーメンがサイレントマジョリティーかと考えると、ステーキラーメンなんかでいいんじゃないだろうか。かわいい女の子という味の大半以上を占めるステーキにそこそこのラーメン。そんなところだろう。

 

よくこういう人を見かけるだろう。

「バカにわかるように説明できない人は頭がよくない」と。

これは全くのバカ考えで、頭のいい人が、自分がある概念に対して理解をもった手順を説明しても、頭の悪い人がその概念の理解に必要な前提情報を知らなかったり、知っていても・・・例をもって説明しよう

 

頭のいい人Aさんと悪い人B、Cさんがいて

A「〇〇という情報と、△△という情報を、(私の知っているいろいろな前提情報を)もとにして考えると**という結論になります」

 

B「〇〇という情報で**に?なんで?」(△△という情報を説明されても理解できない)

 

C「〇〇という情報と△△で**に?なんで?」(**に至る論理思考ができない)

 

こうである。A→Bに説明すると、△△ってなに?→□□って?→じゃあそういえばいいじゃんと逆切れされ

A→Cだと、Aは見ればわかるじゃんとしか言えなくなるか、**という結論に至るための色々な情報を出していくうちに、最初っからそれも提示しろよとやはり逆切れされるのだ。

 

頭の悪い人にありがちな発想に他責思考というのがあるがまんまそれであろう。

そしてそういった頭の悪い人は、単純なものでないと理解できないのである。

まともな人が一目見てわかるマルチのような商法があったとして、それはそういった操りやすい人を選別するために「年〇〇万円稼げます!」「ネットワークビジネスで上級階級へ!」みたいなバカげた売り文句をするわけだ。これが「〇〇をしてこれこれで・・・」とやってもバカにはわからないので誠実に説明するだけ無駄である。なんかすごいと思わせるハッタリならありだろうが。

 

さてようやく本題のYOASOBIである。

もうここまでの過程で分かると思うが、こいつらの曲はともかく歌詞はファックだと思っている。ついでにいえば曲も全然好みじゃないが好みの問題なのでおいておく、いや歌詞だってそうだろといいたい人もいるだろうが、こんなのが日本人に響いていますなんていうのは、衆愚の骨頂としか言いようがない。少なくともすごいすごいともてはやすべきではない

こいつらの歌の歌詞は、歌詞というのもおこがましい。表現の美しさはどこにもなく、ありきたりな表現で、ありきたりな事実を羅列しているだけだ。

よく〇〇の歌の歌詞の意味は!?という解釈大好きマンが、カート・コバーンが1万人自殺するレベルでいるが、こんな解釈もクソもない歌詞にできることは事実の確認である。曲を聞いていれば「ウンソウダネ」以外の言葉が出てこない。

カート・コバーンがYOASOBIの歌詞を書いたならば、本人が自殺するまでもなく「カートはこんな歌詞書かない」とのたまう過激派ファンに射殺されているだろう。

YOASOBIの作曲はボカロあがりだが、いわゆる流行のボカロ曲(残念ながら私の知識は千年桜とかいうksダサ曲で止まっている)の作りそのまんまなので、私の好みでないというか、ボカロ曲のダサさをそのまま反映しているといえる。

 

ああそうさはっきり言ってやる、YOASOBIはクソダサだ。

そう何度自分に言い聞かせても、世間は素晴らしい素晴らしいという。

だからおかしいのはきっと自分なんだ。

いままでだってそうだった。

皆はワンピースが面白いっていうんだ。でも俺は思うんだ、初めて買ったジャンプでワンピは1度だけ読んだけどストーンオーシャンは10回は読んだしストーンオーシャンの方が面白いって。

ORANGE RANGE もいいっていうんだ、どこがいいんだろう、こんな軽薄な言葉。

やっぱりおかしいのは俺なんだよ。

CLANNADだってみんないいっていうんだ。俺はあんな主人公嫌いだね不幸のままでいてほしいよ。

そうして気づいたら周りに誰もいねえんだ。ハハワロス

 

唾吐いてみんなが大好きなもの好きになれなかった

歌の中ではかわいそうかい?tって言って反語的におれはかわいそうじゃないって言ってるけど、俺は自分がかわいそうだよ。

最強エクスレッグを作ろう!(SV環境)

ポケットモンスター、スカーレットバイオレット(バイオレットのバはぜひ上の前歯で下の唇をかむ勢いでヴと呼んでほしい)が発売されはや1年。・・・1年でいいんだよな。

特にシングルバトルにおいて、私の心を掴んで離さないポケモンがいる。エクスレッグだ。

スペック

HP71(個体最大で146~178)あのハッサムより1も高い!

攻撃102(122~169)あのハハコモリのより1低いだけ!

防御78(98~143)あの4世代までの虫の中で一番固いメガヤンマ級!

特攻カス(72~114)クソどうでもいい

特防55(75~117)脆い。だが補強すると案外耐える!

素早さ92(最遅87、112~144(準)~156)gmkzランドより早い!

 

主な習得技

虫:

威力90

であいがしら(TUEEEEEEEEE)

威力80

きゅうけつ(ハピナスにかぷりんしてすうっごくドレイン!)

とびかかる(攻撃ダウンさせて自身の耐久UP+後続への補助!いぶし銀)

シザークロス(追加効果?ねえよそんなもんナメてんのか!エフェクトがかっこいい)

威力70

這い寄る一撃(命中90で特攻1ダウン。攻撃と特攻の違いはあれど↑との差…)

とんぼ返り(後攻とんぼか先制とんぼか悩むねえ・・・)

威力60

虫食い(相手のきのみバクバク。バグだけに。うーん)

威力50

とびつく(相手の素早さを下げる。早い奴に打って・・・さすがに威力がね)

威力95

虫のさざめき(相手の能力ダウンのおまけつきだ。完璧だな特殊じゃなければ)

 

悪:

威力65×1.5

はたき落とす(なお持ち物をもってない相手には65。採用しない理由はないが…)

威力80

地獄づき(同じ二発だと上に劣る。シード系にはこっちが強いが基本は↑。ラクソボー    

     ンが憎いなら)

威力75

うっぷんばらし(能力が下げられると威力倍。現実的なとこでいうと、ランドロスに威

        嚇で下げられると普段よりちょっと強い威力で撃てる)

 

威力70

不意打ち(sucker punch。suckerはロクな意味じゃねえんだよ!それはともかく最高の技、先制技としては最大レベルの威力と通りのいい悪技、神速と違い無効タイプがないのも偉い、相手が攻撃してこないと失敗してしまうが、相手がフルアタなら猿凸してくれるのでイージー、補助技?挑発しろ虫の中では素早さがそこそこあって使いやすい悪の中では?知らん。それか剣の舞で圧をかけろお前は悠長に補助技撃っている場合かと知らしめてやれ。ところでこの技サンムーンから今の威力になったんだが、以前は80あったんだぜ。誰だよこの技にデバフ掛けたやつ。ゲーフリ?なんでなんで?うんうん、あまりに環境で使われすぎて強すぎる技だから?ちょっと弱くした?うんうんそうだね、そりゃシカタナイネ。誰かのせいにしちゃいけないよね。うん納得しためっちゃ納得した。なあお前もそう思うだろ、メガクチート君にメガガルーラちゃん。お前らの不意打ちは最高で最強だよ。なんせタイプ一致不意打ちの威力がすごいことくらいしかドヤることのないメガアブソル君が、必死の思いで、もうこれで終わってもいいだからありったけをって撃つ不意打ちより、ちょっと、ほんのちょぉーっと強い程度の不意打ちを事のついで程度で撃てちゃうんだもんな!お前らアブソル君のことなんだと思ってんの。ついでにいうならメガガル君は特殊もメガアブソル君より強いもんね!)

 

威力60

どろぼう(持ち物なしなら相手の持ち物を泥棒。タスキカウンターからどろぼうとか)

 

ダメおし(白鵬の得意技。ダブルやテクニシャン向けの技に見えるんだけど、この技の仕様を見ると、この技を撃つ前にすでにダメージを受けていると威力2倍なので、実は相手が交代してステロダメージを受けていると威力が二倍になる。これマメな)

 

サブウェポンの皆さん

格闘

かかとおとし(格闘威力120、スカされるとダメージを受ける。こんなちっせえかか

       とでなにができるんだよ。ゴーストはでてこないし混乱追加も強いけ

       ど…)

けたぐり(威力不定の無職。4THGSにおける神。かかとおとしのミスが怖ければ)

かわらわり(威力75,こいつでやることじゃない)

ローキック(威力65、とびつくでいいが交代先に抜群であたる可能性をあげるなら)

カウンター(タスキもってやりましょう(1敗))

飛行

とびはねる(バッタだからね。ダイマックスがあれば強かったね。ハイ終わり)

燕返し(威力よっわwww)

 

くさわけ(威力?どうでもいいでしょ。Sアップは偉いけど・・・)

 

補助技

つるぎのまい(エース運用ならマスト)

ちょうはつ(無難。挑発が使える虫の中では素早さがまともなほう)

みがわり(ふいうちよみ交代よみキメろ。舞った方が強そうだけど)

こわいかお、にらみつける()

 

こんなところか。一部怪文書があるが気にしないでいただきたいただの発作だ。

次に特性だ。

悲しいことに通常特性である虫の知らせはまるで優秀でない。私の使用する1ボックス近いエクスレッグの中に虫の知らせは存在しない。

優秀でないとは言ったが新緑系統の特性である虫の知らせは弱いわけではない。もしこのポケモンメガホーンを覚えるのなら考慮には入っただろう。さすがに触覚を角と言い張るわけにはいかない。分別ある大人としてそこは弁えねばならぬ。

しかし虫の知らせが採用されない最大の理由は、夢特性である色眼鏡が優秀すぎるという理由につきるだろう。

この特性のおかげで半減されがちな虫技をごり押しすることができる。

雑な説明をすると、ハチマキ、虫テラスタル、意地っ張り252のであいがしらで、本来虫技を4分の1にするハバタクカミのHPを95%近く削る(低乱数1)ことできる。

そしてほとんど4分の1にされない悪技を押し付けて、タイプで受けるポケモンを粉砕するのがエクスレッグというポケモンだ。

その都合数値受けしてくるヘイラッシャのようなポケモンは苦手だ。こいつは天然で受けてくるのでさらにたちが悪い。ラクソボーン君はその辺で歌ってて(挑発とじごくづきで封殺できるが、多分どこかしらのタイミングで同時に切れて死ぬ)

 

さて、テラスタイプについては、今回紹介したいエクスレッグと、タイプ一致テララスにだけ触れたいと思う・・・

 

まず虫。これは出会いがしらの威力を稼ぐのに使われる。逆をいえば出会いがしらを採用しないのであれば、候補にならないだろう。

 

悪。実は運用したことがない。剣の舞+不意打ちの最強パターンのごり押しが魅力的。

 

今回私が強く紹介したいエクスレッグは

剣の舞

不意打ち

はたき落とす

 

までが確定している。なので悪強いんじゃないかと思われるかもしれないが、悪タイプになると等倍以上で受ける技が多く、そんな奴を前に舞っている場合じゃないという事態が多発する。舞いたいのに舞えないのだ舞える相手には舞えるのだが、その幅が非常に狭い。カイリューの神速の前には不意打ちが機能しないようにね。

そこでテラスタイプをどう変えるかだが

鋼、岩、ゴーストあたりが候補になり、残りの技が確定する。

それぞれの場合の説明をしよう。

 

・鋼

 ハバタクカミのようなフェアリー、カイリューの神速が憎いなら。鋼単で十分な優秀な耐性を持つが、テラス前から一貫する炎に注意。このテラスタイプのときはきゅうけつを採用するのがいい。

 

フェアリーを重く見る場合。

最初はテラバーストを採用していたがはたき落とすと変わる形になった。きゅうけつとテラバーストは攻撃範囲の狭さ、最もこれは色眼鏡で軽減されているが、これを共有していて、どうせお互いに狭いのならきゅうけつの回復を活かすべきである。剣の舞をしていればHPが一気に回復し、HPがMAX近い数値になっていれば、耐久振りをしている場合これがよく活きることが多い。

鋼の最高の利点は弱点の少なさと耐性の多さの両立が可能なところだろう。

この型の場合、なんとしても舞える時には舞いたいのだが、テラスタルというのは普通なら舞えない状況でも舞うことを可能にしてくれるので、そういった状況を増やすことができるのは非常に有用だ。

 

・岩

最近採用した。神速半減、炎半減し炎タイプの抜群がとれる。炎飛行という虫の弱点を減らすのが目的。

このテラスタイプはテラバ―ストを採用したい。岩は抜群の範囲が広いし半減されても相手に色眼鏡で入る。カイリューにノーマルテラス化を要求できる。

 

上の2種の場合はいじっぱりカイリューの素早さライン・・・ゴツメなら無振り(100or4振りで101)だろうし、準速65族抜き(118)、全振り(132)、陽気ガン振り(145)。陽気は15%ほどいるが、陽気+地震持ちは諦めよう。陽気の場合、舞いたいだろうから100もっているんだよなあ。まあこちらの調整は120(遅いけど開き直りのS振りを抜く意味でも)、135(どうせなら最速70族抜き)当たりが無難な調整先なんじゃないだろうか。

いざという時のために、テラス時カイリューの意地っ張り無振りじしん耐え+α程度に振っておくと安心。この調整は対カイリューで役に立つわけではないのだが、他のやつらの前で無理やり舞を入れる確率をあげる意味で有用。

 

素早さに関しては基本的に不意打ちで戦うポケモンな以上、あまり降っても仕方がないのだが、不意打ち読み補助技読み通常攻撃技読み攻撃をされるリスクを下げたいのならそうすべき。

 

 

オススメテラスタルの話に戻ろう。

・ゴースト

神速をすかす。ゴーストの弱点であるゴースト自身に対して優位をとりやすい・・・残念ながら使ったことはない。悪の方には虫が刺さる。

上の二つより等倍を受けやすいので、耐久に多めに振るか、開き直っての陽気ASから剣舞きゅうけつだろうか。

攻撃範囲としてはゴースト悪は優秀だが、エクスレッグの場合、悪だけで十分な攻撃範囲を持つので、あとは半減されてもごり押せるきゅうけつの方がいいと思う。

 

 

実際の運用の話をしよう。

まずこのエクスレッグというポケモンの大きな魅力である、ふいうちについて考えてほしい。

このポケモンの不意打ちはアブソルのそれと同様非常にばればれなものである。安易に撃つと、オーガポンやテツノツツミにアンコールされるので注意が必要だ。それ以上にバレバレの武器と言うのは簡単に読まれてしまう。舞い不意打ちが受けられなければ、交代すればいいと数値受けされてしまう可能性だってあるわけだ。そのタイミングで舞ったりはたき落とすを撃てれば大きなアドバンテージをとれる。

そうこのポケモンどこまで行っても読みゲー、悪く言えば運ゲーである。舞っている状況なら自分に有利なじゃんけんではあるのだが、それでも運が絡まずにはいられない。ついでに素早さも結構シビアに求められる。

がしかし、賭けに勝てば、負けた時こいつを失うリスク以上の、相手を3タテのようなリターンが待っている。

今回の紹介では、であいがしらを採用していないが、基本的に相手はこの技があることを行動の指針としてくるので、死に出しで出てきたこいつに最大限の警戒を払い、多少の傷は犯すべきリスクとして交代してくる。

なのでであいがしらはあればあったで駆け引きが始まるし、なくても始まる。

運用のコツとしては、リスクは犯すもの、舞える時にはメニーメニーなっちゃいなよと考えるのが良い。もちろんその後リスク管理がガバガバになっても私に知る由ではないことを明記しておく。

 

いかがだろうか、総じて脳内麻薬ドバドバで戦いたい、もう自分のことしか考えられない体の人にはお勧めできるポケモンだ。

普通の人は普通の能力を持っていてどのうえで普通に戦ってさえいれば、勝率55%ならおそらく簡単だろう。ただ、それの何が楽しいんだ、求めるは最高の絶頂(エクスタシー)という人は、是非。エクスレッグ様の、美技に酔いな!

できる子はオマージュする、できない子はパクる

YOUTUBEで動画をぼやーと眺めていた時のことである。

私のYOUTUBEのサジェストはエロゲのギャグシーンだったり、かと思えば大学の入試問題を解くYOUTUBERだったり(貫太郎さんいつもお世話になってます)、なろう系の辛口レビューだったりまあカオスなわけであるが、そこに一本の動画が表示された。

 

韓国人学生「日本から学ぶことなどない」→5分後、教室から逃げ出した・・・

 

といった、よくある日本SUGEEEE系の動画である。

余談ではあるが、私の親父殿は大谷SUGEEEE動画の虜で母からも思想偏りそうといわれている。

その動画の中で「日本は他国の文化をまずは取り入れ、それを日本の国土に適した形に手を変え品を変え、まるで最初から日本のものであったかのように錯覚するほど優れたものを作る、一方で韓国は他国の文化を取り入れて、それがあたかも自分のものであるかのように主張する」

といった、まあわからなくもないが若干日本マンセーがすぎる主張をしていた。

 

その後、私はYahooのニュースを見ていた。曰く東大生が見抜く成績が伸びる子伸びない子という動画だ。

その記事曰く

「難問に直面したとき、勉強ができる、またはいずれはできるようになるであろう生徒はまず『手を動かす』ことから始めた。一方勉強ができない、または成長も見込めない生徒は頭の中で延々と考えるだけだった」

とのことだ。

私は全面的にこの記事に同意する。

実際上位の高校に進学していく子はこちらの発問に対し「これって〇〇ってこと?」と自己流に解釈をして直面している問いを自分にわかるような形に変えようとする。

できない子はこの記事に書いてある通り、頭の中で無限に考えている。さ

らに言うなら計算過程がぐちゃぐちゃで何を考えたかこちらが読み取ることができないこともある。

 

さて、2つのものを合体させるとどうなるかというと

勉強のできる子は

「学んだことを、自己流に解釈し自分にわかる形に変えてから、それを取り入れ、類似問題を解く際には教わったことを素直に再現しようとする」

のに対し

できない子は

「学んだことを、そのまま模写し咀嚼せず、自分のやり方、往々にして間違ったやり方にこだわる」

のである。

突き詰めていくと自責思考と他責思考にも行きつきそうだ。

できる子は自分の解釈が間違っていたせいで失敗したとき、再解釈を行ったり学び直しをするだろう。

できない子は自分の解釈を持っていないので、〇〇さんがこういった、と主張し何も考えなかった自分を棚に上げるのではないか。

 

出来る子は再解釈するなど、学びに対して柔軟

 

なのに対して

 

できない子は延々同じやり方に固執する。そのやり方が正しくない効率的でないといっても聞きはしない。正しい道筋を説こうものなら「なにいってんだこいつ」と思われるのが関の山だ。

 

この違いは勉強だけにとどまらず、仕事でも起きるのだと思う。

私は大学卒業即ニートの勤労経験に乏しい人間ではあるので説得力に乏しいかもしれないが、

新しいものを1から考えるのは難しく非効率的であり、成功するには既存のものを取り入れ、それを改良し、新しい要素を加えたり、二つの別の要素を取り入れたり、ある時は不必要なものを取り払い、今までにないものをつくる。

 

これはまさしくオマージュの過程そのものではないだろうか。

 

では、できない子はどうすればいいのか?という問いには多数の回答があるだろう。

少なくとも、日常において「なぜ?これって何をいっている?」の態度を養うことは必須だろうし、失敗の経験をより深く認知させ二度と失敗したくないように煽るのも大切だろう。

現代においては詰め込み教育は忌避されることが多いが、私は詰め込みこそが教育だといってはばからない。

某「それあな感」のひろゆき氏などが知識の詰込みは調べれば済むことばかりだ、と主張するがそれはただしい。

ただし、その知識が詰め込まれているからこそ、そこから知識の輪を広げることは、ない状態よりも容易であるという事実は忘れてはならない。

私の脳、というコンピューターに入っている情報は多ければ多いほどいいのだ。

 

ChatGPTがここのところ話題になっていたがこれとの付き合い方もやはりできる子とできない子で分かれるだろう。

できる子は自分を高めるために使うしできない子は目先の問題の答えをだしてもらおうとする。

私は学校のお勉強のできるできないには対して関心をもたないが、これからの時代に求められる問題解決能力は強く育てていきたいと思う。

どうして学校の勉強をするのか

どうして楽興の勉強をしなくてはならないのか、できるようになることが求められるのか、という問いはこれまでも、そして誰もが誰かに問い問われてきた命題である。

 

私という人間は学校のお勉強においては上位10%以内の人間である、と思っているが、その私でさえ改めて問われると答えに窮する。

これを問うのは一般的には子どもであるから、子どもにわかるように説明すべきなのだろうが、今一つ納得させられている気がしない。

せいぜい、「学校のお勉強というのは、最低限の知識だけど、最低限程度ができない雑魚なんていらないでしょ」といって子どものもつ俺様最強論を刺激する程度である。

一般的な保護者の答えとして想定できるのは

「いい大学に入れない」(爆笑)

「いい会社に入れない」(大爆笑)

「いいから黙ってやりなさい」(ある意味正解)

「社会で苦労するよ」(wwwwww)

くらいのものだろうか。経験のない子どもをこれをいったところで「こいつは嘘をついている」とバレるのがオチだろう。

一般的な大人は、子どもから大人になる過程、あるいは大人になってから自分の学のなさに打ちひしがれたからこそ、あの時勉強しておけばよかったと感じるのだろう。いや、そう思った瞬間に学べよいつやるの今でしょとはいいたくなるが。

 

想像でしかないが、子どもが大人を信頼する、という瞬間は、この問いへの回答、その真摯さに胸をうたれた瞬間なのだろう。

 

さて私個人としては、学校の「お勉強」なんぞ別にできなくていい、出来れば得することもあるけど。程度のものにムキになる必要はない。

ただし「考える」という行為を尊ぶこと、「考える」ことをやめないこと、「考える」能力があることはとても大事だと思う。

 

考えるということを尊いと思わない人間は、何を教えても「わかんない」「できない」「答え教えて」の三連コンボをかましてくるし、バカみたいにエヘエヘ笑っている。

勉強ができるできない以前の人間としての問題である。

そういった人間は短慮である。

通常の人間は法に触れる行為を自分にリスクがあるからそういった行為をさけている側面があるが、楽だから都合がいいからという理由で短慮な人間は法を犯す。あるいは非人道的行為をする。

野生の動物に近いのか、目があったら喧嘩を売られたと思ったと平然という人間もいれば、バレなきゃいいと人を平然と裏切ることだってする。

 

考えることをやめた人間は愚鈍だ。

思考を辞めて本能に委ねることは、まああまりないとはいえ大事ではあるのだが、常にそれではなりゆかない。必ず破綻するし目先の快楽に溺れる。

ギャンブルで「俺は勝ってるから」と謎の発言を繰り返すのがこのタイプだ。

 

考える能力のない人間の末路など想像に安い。

 

結局をいえば、上の3つに該当する人間は不幸せだ。幸せであることを諦めた人間といっていい。

学校の勉強というものは常に考えなければできない。そして考える習慣をつけるのには適したものだ。なんせその勉強内容を極めそれのスペシャリストになるだけで、飯が食える。スペシャリストといかないまででも教職という選択肢もある。楽だろ?