タイトルはゲーテを気取ることにした。
クソデッキを組むうえで、一番大事なのはクソカードを探すことである。大学院におけるよい研究テーマに出会うことの重要性は言わずもがなだが、クソデッキにおいても同じことが言える。
最新のカードはもちろん、古いカードにも目を配るのだが、割とEDHの民の情報が役に立つことが多く、彼らには助けられている。
さてそうしたザッピングの結果、よいクソカードに出会えたとしよう。いや、良いクソカードってなんだよと言われると回答に困るのだがそこはそこ。
早速その周りを固める作業に入るのだが、そこに触れる前にクソデッキの性質に触れておこう。
まずクソデッキでは無限ループ系クソコンボ、トンチキ1ショットコンボのどちらかが当てはまるはずだ。
なんせ使うカードがクソな以上、真っ当に戦うのなら真っ当なデッキにかなうはずがない。
そしてそのコンボ先は、真っ当な結末を迎えるはずがないのだ。迎えられるのならそれはただのお真面目デッキなのだ。
最近考えたもので言うと、オボシュと災厄を携える者とセルトランドの投げ飛ばし屋をならべ、投げ飛ばし屋に頭を掴まれた砕骨の巨人が8倍界王拳をかますデッキなんかがそうだ。あまりに並べる手段が思いつかなかったので没にした。
倍々ゲームは非常に面白くはあるのだが・・・
結局どのみちコンボ性が高くなるというのがクソデッキであるのだ。
話を戻して、結局コンボでは、必要パーツ、素材をそろえる手段、素材を守る手段、タップアンタップサクリ台が必要ならその用意が必要になるが、そこらへんは嬉々ととして我々クソデッカーもやると思う。そこをしないのならクソデッキなど組む必要はない。
そして、ある程度固まったら試験プレイだ。もちろん大体はうまくいかない。改めて必要不必要の精査をするわけだ。
最終的に完成!やったね!
となった瞬間、とあることに気づいてしまう。
〇〇使うのなら、△△使った方がよくね?ってあれ、それって××ってデッキじゃね?っと。
そう少しでも強いカードを使った瞬間、それなら、それならと入れ替えていった結果、己が嫌悪していたあのガチデッキとの類似性に気づいてしまう、これほど恐ろしいことはない。しかも大体の場合既存のものより劣ったものになっている。
しかし考えてみればそうなのだ、シナジー、単体でのパワー、それらが強くかみ合っているいわゆるよくできたデッキ、それすなわち環境にいるガチデッキなのだと。
強カードを入れ完成度を高めようとした結果最終的にガチデッキの劣化になる。単純にアプローチの仕方が違えど同じ結論に至ったことを喜べばいいのか悲しめばいいのか。私にはそれすらわからない。
クソデッキを強くするという作業は、正解の見えない、おそらく開拓されていない未知の分野の研究ともいえるが、気が付いたら、既存の正解に遠回しなアプローチをしていただけという悲しみ。
・・・やはりクソデッキというのは、大学院の研究テーマとよく似ているんじゃないだろうか。