新食魂島

王様は裸です、と叫びたい夜。

小学校に学力別クラスは必要か

webニュースで小学生の13%が「授業が簡単でつまらない」と回答したという記事があった。そこによせられたコメントに

「小学校の時点で格差あるし学力別クラスにすべき」

というものがあった。

いや無理だろと笑い飛ばしてはみたものの、考察するには面白そうなものだったため、ここに記したいと思う。

 

まずは学力別クラスの利点を考えよう。

正直な現実(私が知る範囲の)でいくと、先生の技量に依存しない高い学力を持っている層を10%、上の下から中の中程度の学力を20%、個別に対応が必要な層を70%と見積もってみる。

一学年150人程度として、出来すぎて浮くのが10人(通常の学級でクラスに2,3人)、これで一クラス作るべきだろう。通常のクラス割なら正直この層がいないと円滑な授業をするのは難しい、間違った答えを延々と引っ張ると授業が進行しないからだ。

それだけにこの浮遊層はひとまとめにしてより高いレベルを目指すべきだろう。

残り140人。

さきほど20%とおいたそこそこできる層は30人。これを15人15人に分割し、個別対応が必要だがまだましな20人を合流させて、35人学級を2つ形成。

ここは上位の15人に下の子のレベルをあげさせる、教えることで自身の理解も深めるパワーレベリングを図りたい。

残った60人。

これで二学級作れば、とはならない。学習に問題のある子ども30人をまとめるのは荷が重すぎる。2担任制でも無理だろう。

そもそも今回の仮定では学力に問題がある層は105人、通常の学級で5学級あるとすれば、20人はクラスにいることになる。これでは浮きの層は助けられても沈みの層は何も変わらない。

15人で4クラス。これがギリギリの妥協案ではないだろうか。

 

これによって理想通りにいけば学力の違いによる退屈や学習困難が解決するとは思う。

 

だが、最初にも触れたが私は無理だと思う。

第一に教室が足りない。

学校という建物はそう容易に改修できるものではない。オープンスペースの教室でさえパーティションが決まってるのだからスペースなど確保できない。

この現実問題を解決するには学力順に並べた児童を教室数で割って序列づけていくしかないが、先ほども言った通り学力下位の教室ではほぼ授業にならない。そのクラスだけ担任を増やすしかないが、それでは児童にお前はアホだといっているのと変わらない。

授業を成り立たせるとすれば、話をきかずに一方的な教授をするしかない。しかしそんな授業、児童は耐えきれないだろう。

 

第二に、差別意識の問題だ。

子ども、というか幼稚な人間は序列をつけるのが大好きだ。

自己で自己認識ができず、他者との比較によって自己を確立するのだ。そういったものをもった恥ずかしい大人もいるが、子供のうちはしょうがない。

反抗期を経て己とは何者かを認識するのだから、それより前の段階ではせむかたようなしだ。

運動が得意な子がいたとする。しかしそういった子はあまり「俺〇〇できるぜすげーだろ」とはならない。

自分より劣った周囲をみて、自身の中で「自分は運動できる」という自己肯定を得られるからだが、大事なのは自身の中でというところだ。

序列化は自身の中で行う分にはなんら問題ない。

自己肯定をすることで自己を高めることは崇高なことだ。

しかし、他者から「あなたは優れています」という肯定を得るのは、得難い経験だが、これは時に歪んだ自己肯定にもつながるし、気が付くと他人に称賛されたいがために頑張るようなことになってしまう。言ってしまえば虚栄心ばかりが育ってしまうのだ。

学力でクラス割をするというのは「あなたは優れているからこのクラス」という肯定そのものであり、私は危険だと思う。

 

まだまだ問題はあるだろう。私に思いつくのはこの程度だがもっと勉強していきたいと思う。