結論からいえば、大事です。しかし私はそんな話がしたいのではないのです。ならばなぜそのタイトルにした、とおしかりを受けそうですが、格好つけたかっただけなんです。
私がしたい話、それは実力云々いうと頭おかしくなるからその場のハッピーポイントの多寡で楽しもうという話だ。
運の上振れ、というのは実力を鑑みるうえでは邪魔なファクターだが、ハッピーという点では最も重要なポイントだ。
吸い付くような牌の流れ、どう適当に撃っても形になる、振り込まない、これが気持ちいい、私は気持ちよくなりたいがために麻雀をやる。
もう実力云々なんぞかなぐり捨てて久しいが、それでも不必要なパオ、暴牌、咲かぶれが大好きな無駄なカンはしない。
特に無駄なカンをする奴は滅びてほしい。雀魂銀の間でもまだいやがるんだ。この手の批判をすると、人のスタイルに口をだすな、というバカが湧くが、自由と身勝手の区別がつかないならお家から出ないことをオススメする。
さて、確率の収束の話である。
これは大数の法則によるものである。
wikiコピペ
独立同分布に従う可積分な確率変数の無限列 X1, X2, … が与えられたとき、その平均を μ とおく。標本平均
のとる値が平均 μ の近傍から外れる確率は、十分大きな n を取れば、いくらでも小さくできる[3]:
これを大数の弱法則という。また同じ条件下で、n → ∞ とするとき、 は μ にほとんど確実に(almost surely, 確率 1 で)収束する[4]:
これを大数の強法則という。
コピペここまで
標本平均とは、ある大きなデータからいくつかを適当に取り出したものの平均である、Xnとは無限個のデータからn個とりだして、それらを全部足してn個で割ったもの、つまり我々がよく知る平均そのものだ。
Pというのは平均μのまわりから外れる確率を示すパラメータで、6行目の数式は標本平均から全体の母平均μから引いたもの、それの符号に左右されないよう絶対値をつけ、それよりも小さいεという0より大きい幅をもってきたとき、nが十分に大きいものならば、ばらつきの幅は限りなく0に近づくということだ。
下は、ばらつきがなくなった時、Xで起こりうる事象すべてが起こりうる確率をPで表している。
また弱収束のほうに中心極限定理があり、ぶっちゃけてしまえば、大体の確率は標本がでかければテンプレになる、すなわちよくある確率になるよっといっていいだろう。
これらのロジックで、考えてみよう。
まず実力を反映するものは着順でいいだろう。麻雀が点棒をいっぱい集めるものではなく一位を目指すものだとするならばこれが妥当だ。
・・・しかし母平均が存在しない。母分散すらわからん。
少なくとも、母平均は中心極限定理より正規分布に近似することは確かで、適当にとった標本の数が十分に多ければこの標本平均は母平均に収束する。
この時は分散はχ^2分布し、(かいにじょう)不変分散s^2=1/(n-1)×Σ(i=1;n)(Xi-X) ただしXiは標本の値、Xは標本平均であるが、この不変分散から母分散を推定することができる。
また母平均の信頼区間は普遍分散を用いることでt分布(スチューデントのT分布)で求められる、これで95%、98%の精度で母平均の信頼区間が求められる、とはいえ標本平均を母平均としてもバチはあたらないだろう。
分散を推定することで、平均とあるプレイでの自分の着目との差が分散の範囲内であればまあまあ実力通りに打てたといえるし、はみ出すことがあれば超幸運、もしくはクソガバであることがわかる。
母平均が2.5以上なら負けてる、以下なら勝ってるとも判断できる。
そんなに統計ができたわけでもないのに書いたので間違ってたらすまない・・・