新食魂島

王様は裸です、と叫びたい夜。

電波デッカーはマッドサイエンティスト

諸君、電波デッキは好きか?

何、貴公はガチデッキしかつくらない?さては理系だな?

理系の人間というのは理を尊ぶ。それはよい、しかしだ、理屈が通ってんだから正しいとは常にそうとはいえないことを学べ。端的に換言するともののあわれをしれ。

開幕ゆにっち店長失礼する。とかく電波デッキを作る人間というのは、いまだかつてないものを求めるが故、参考レシピがほとんど存在しないということが大半である。なので、一からデッキをつくるという行為を他の嗜好をもったプレイヤーよりしているともいえるのだ。

ガチデッキを色々いじくることを好む人間はデッキビルディングよりデッキチューニングを好むといえるしそこに善し悪し、どちらが優れている劣っているということはない。

もちろんチューニングもしない、デッキをいじることそのものより、カードゲームで遊ぶ楽しい経験を重視する人もいるだろう。

各々が考える最高に楽しいカードゲームとは人の数だけあっていいのだ。

 

デッキを作るということは、理を紡ぐことと言って差し支えない。数学的根拠を持ったマナカーブをつくり、カード毎の適正を把握し、そのデッキにあったカードを採用する。これらは理性のもと執り行われ、その理を閉じ完結させるものだ。

ある程度の経験を持ったプレイヤーならこの理を作ることは容易だろう。ある程度の指針さえあればそれに沿ったカード選択ができる。

 

しかしだ。電波デッキは少々趣が異なる。

正気のままでは狂うことができないのだ。正気のまま狂っているというのならそれは真の狂人だろう。

狂気に身をゆだね、そして狂気の理を描く。

もともとのしたいことが狂っているせいで参考レシピすらない、何が正しく、何が間違っているのかを己の力で切り開かねばならない。いや間違っているのは本当にその採用カードなのか、真に間違っているのは世界の方ではないだろうか。

そうだ、寛容なるは高揚感。端的に言うとワクワクだ。

舌をだして白目剥いた顔で、「なんか楽しくなってきたwww」と宣い、(゜∀ 。)アヒャヒャヒャヒャと笑う。

ゲームというものは誰にも咎められるものではない(親を除きます)。

そして一人、試し回しをしてほくそえむのだ。

そのときの気分はまさに店に堆く積まれた本の上に、檸檬を置いて逃げ、あの檸檬が爆発したと仮定したときのすがすがしい気分に違いない。

環境で最強のレアカードを入れなくたっていいデッキは作れるんだ、と満足を得たらそのデッキは封印となる。下手に対人戦にもっていけば環境の暴力にさらされるだけだ。電波デッキを使うのは電波に理解のある同志だけだ。

 

そして放置すること数か月、改めてそのデッキをみて一人ごちるのだ。

「なんだこのクソデッキ!?」