新食魂島

王様は裸です、と叫びたい夜。

俺はデブだ、と強く自覚させられたこと

デブである、というのはある種の人格的な異常である。

つまり真っ当な精神を持つ人間なら、デブである自分を嫌悪し、真っ当な体重に戻そうとするということだ。そうしない人間は、著しく自己愛が強いか、ただのクソなまけ豚である。

 

さて自己愛が強く、クソゲロ豚の私だが、昔からデブだったというわけではない。

無駄に骨格がでかく、身長173cm(別に70表記でいいじゃんと思われるかもしれないが、ここは譲れぬ男の見栄というものだ)なのにそれ以上に威圧的に見えるのが私という人間だが、それでも高校卒業時では63kg程度だった。

そして大学に入った私は・・・はじけた。

都会のおいしいごはんに僕はもう帰れない、そんな太りゆく私を見る母には涙拭く木綿のハンカチーフを贈っておいた。嘘だけど。

大学3年の教育実習の時には1年次に買ったスーツが入らず、新しくスーツのズボンだけを買うことになった。クールビズのシーズンで本当に助かった。

それでも大学卒業の前後で75㎏だった体重は、今では84kgに膨れ上がり、体脂肪率は30%を超えた。

せいぜいライオネック程度だった私の体は、今ではボストロールだ。

 

キッズからは豚だのゴリラだの好き放題罵られる。しかし私はそれには反論できない。だって事実だもん。

林修氏はかつてデブだったそうだが、本人はその経験からデブにデブといって何が悪いと言っている。

そりゃそうだ。事実を言っただけで怒られるのならもう何も言えなくなってしまう。

 

その程度には私は自分がデブであることを自覚しているわけだが、直接デブと言われる分には構わなくても、間接的にデブであるということを再認識させられるのは正直へこむ。

そしてそんな出来事があったのだ。

 

ある兄ちゃんと池袋で遊んだ時のことである、断っておくが3年近く前の話だ。

カードショップで存分に遊んだ我々は空腹を埋めるべく手ごろな価格の海鮮丼が食べられる某店に立ち入った。

 

僕「マグロ丼」

T氏「海鮮丼」

店員「大盛り無料ですがどうなさいますか」

僕「yes,please」

T氏「結構です」

僕「・・・(自分の体をみた後彼の健康体を見る)」

 

私は死んだ。(ニート

普通の人は大盛り無料といわれてもホイホイするものではないのだ。

しかしだ、デブとして、大盛り無料という甘い囁きの誘惑にどうして耐えられようか。

その店はチェーン店だったが、そういうお店の盛りというのは大概がしょぼい。大盛りにでもしなければ腹が膨れないではないか。

大盛り無料といわれてときめかない男などいない、そう強く断言してやる。

 

といってもやはりだ。普通そんなにホイホイ大盛りにはしない、それが健全な体重の人間の思考なのだ。間違っているのは世界じゃない、俺の方だ。

鏡に映った自分の顔をみる、髭をはやしてごまかそうとしているが、顎がお肉でタプタプだ。

無理やり顔の脂肪を引っ張ってみると、大分顔が小さくなる。

いつからこんなに俺は醜くなってしまったのだ。

 

決めた。

俺は痩せる。

絶対に痩せるのだ。

ポテチとコーラをつまみながら私はそう誓うのであった。