新食魂島

王様は裸です、と叫びたい夜。

卓球における「0点回避マナー」

延期されていた、東京オリンピックで市井はにぎわっている。

開会式がしょぼいだの、そもそも開催すべきではないとの声があるが、後者は議論の余地があったとして、前者はとやかく言うのは野暮だろう、どうせ次の日本開催のオリンピックは冬季で30年後くらいだろうし、反省したところで感がむんむんだ。

 

さて私、今日は信大附属病院に赴く必要があり、我が家から移動にかかる時間を考えれば、家を出なければならない時間を20分ほどオーバーして出発した。

野球をみてたのだ。

栗林が打たれたときは「死んだー!」と叫んでしまった、それでも最後の打者2人を三振で締めてくれたのはありがたやありがたや。

 

本題に移ろう。卓球における「0点回避マナー」というやつだ。

0点回避マナーという名称自体はどっかのニュースサイトからパチったものだが、これは1ゲーム11点先取の卓球において、10-0になったときは相手に1ポイントわたして10-1にしてから真剣に最後の一本をとりにいくというものだ。

もちろんルールブックに記載があるわけではない、いわゆる不文律、アンリトンルールというやつだ。

アンリトンルールで検索すると、野球が多くヒットする。

野球だと、大差で盗塁するな、連続ホームランのあとの初球は見逃せ、大差での3-0の球は見逃せ、など。

サッカーにもある。私が知る限りでは負傷者がいたらボールを外にだせ、だけだが。

 

私はこのアンリトンルールを好ましく思っている。

誰がやり始めたかはわからない、でも確かにその行為をすること、されることでお互いの意思を確認し合うことができるのはよいことだと思う。

野球で大差で盗塁した場合、打者に対して死球がとんでくる。さすがに頭部に投げたらアレだが、肩なら大きなけがなく受けられるだろう・・・クッソ痛そうだけど。

そしてこれで遺恨はなし気持ちよくプレイを再開する。それだけの話だ。

そもそも誰かが初めてそれがいい行為だと皆に認められたからこそ、アンリトンルールとなっているのであって、無駄なルールなはずがないのだ。

 

さて日本人の中にはアンリトンルールが大嫌いな人種というのがいて、

「真剣勝負なんだから全力を尽くすのが当たり前だ」

「勝負がついていないのに」

という。

 

私からすれば彼らは真剣なようでその実ただの勝利至上主義者でしかない。

競技者がいうのならまだしも、ただの観戦者がこのようなことを抜かすのは滑稽極まりない。

そもそもアンリトンルールは競技者自身がそれをするかしないか、どうするかを決めるものであるはずだ。

1-10からひっくり返されるようなことがあって、それを10点側の選手が「あいつにマナーとして1点やったらそこから逆転するなんてマナー違反だ」というのなら無くなっちまえと思うが。

マナーのお情けで点をもらうのが嫌なら0-10になんてしなければいい。屈辱的行為じゃん、とアンリトン大嫌いマンはいうが、0-10の時点でどうみても屈辱的です本当にありがとうございました。

そうなった時点で逆転はほぼほぼ不可能、相手の実力なら追い付く前に決められる、このセットは勝てない、私の負けです、と自ら負けを認める方がよっぽどリスペクトに満ちていてクールだと思うのだが・・・

 

このアンリトン大嫌い星人は、「ならルールとして明記しろ」というが・・・

なんだ、この情緒を解さない退屈な人間は。もののあわれを知り給え。