大のスピッツファンである、私は、どこか出かけるたびにスピッツのアルバムを流し、そして車の中でカラオケ大会を開催する。
最近はその開催も危ぶまれているが。そうドライブレコーダーだ。
私の声域は基本的に低音に強いが、高音域を地声で行くのはかなりつらい。裏声やミックスボイスを使えば出ると言えば出るのだが・・・そこがスピッツを歌う上で難しいところで、地声の高音域じゃないとかっこ悪くなる場面がある。
そんなわけで無理に声を出した結果、裏返ったり、むせたりするラビッシュシーンをレコードさせるわけにはいかない。プライドを守る、ただひたすらむなしいプライドだが、そのチンケなプライドのために私はドライブレコーダーを付けない。
インディゴ地平線というアルバムがある。
シングル曲は「渚」と「チェリー」、発売時期はおよそ御世間様の考えるスピッツの全盛期だ(いつでも今が最盛期なのになwww)
このアルバムの構成は
1:花泥棒→ウェスタンさのなかに、ぐにゃぐにゃした感をまぜこぜにしたような曲。
要するに、よくわからんが陽気。
と来てから、
2:初恋クレイジー 3:インディゴ地平線 4:渚 としっかり聞かせにこさせ
5:ハヤテ 6:ナナへの気持ち ですこし外してくる。
かと思えば
7:虹を越えて でまたぐにゃぐにゃして
8:バニーガール で聞かせに来る
9:ほうき星 10:マフラーマン でまーた外してぐにゃぐにゃさせて
11:夕日が笑う、君も笑う でまた聞かせに来て
12:チェリー で締め となっている。
これらの楽曲のうち、花泥棒はギターのテツヤ、マフラーマンはベースのリーダー(田村)が作曲している。
つまりこの2曲がスピッツの曲として外しがかかっているのは当然であって、この2曲の後に続く、初恋クレイジーと 夕日が笑う、君も笑う というTHE 草野マサムネ感の曲を強く印象づけたらしめてくれる。
だからこそ、だからこそ。
夕日が笑う、君も笑うで「スピッツっていったらこれだよなぁ」感を植え付けられ気持ちよくアルバムが終わるという爽快感(特に最後の残響は最高だ)を、チェリーがぶち壊しているように思えて仕方がないのだ。
別にチェリーが嫌いというわけではないのだ。ただなんか気に食わない。
アルバム全体でみると、確かに入れるところはラストしかないのはわかる。それでも、ぬぐえない違和感。
スピッツ四天王と言えば「空も飛べるはず」「チェリー」「ロビンソン」「楓」だろう。人によってはスターゲイザー、正夢が入ったりはするかもだろうが。
チェリーと楓の間のシングルリリース間隔が明らかにスピッツのペースでない、本人たちの同意なしのベストアルバム作成を鑑みるに、元所属事務所、ポリドールの「売れるときに売っておこう」スタンスが見え隠れするのもなんともいやらしい話である。
シングルの売り上げ最高ランキングが楓で10位と2桁台になり、次の流れ星で26位(まあこれはリカバーという性質を考えるとうん)となったことと、recycle hitの収録が楓までなことに今更ながら悪意を感じてしまうのは私だけだろうか。
この時期のスピッツのアルバムというのは基本シングル曲だけポップすぎるという傾向があるのだが、それでも、空も飛べるはず、ロビンソン、楓にはチェリーほどの異物感を覚えない。
そもそもチェリーは歌詞からして異物感が強い。直球でわかりやすく、また妙に前向きだ。
草野マサムネの魅力のダークさがなく、虚ろな退廃感もない。
比較するとこうである。
普段の曲:陰のある男の言う「ま、なんとかなるでしょ」
チェリー:陽キャの言う「なんとかなるって(バンバン」
ただ最大の違和感は、ギターの主張を感じないという事だろう。前奏にカッティングで主張してるだろう、と思われるかもしれないが、テツヤといえばアルペジオなのだ。
なんというのか、チェリーは草野マサムネソロでも成り立ってしまう感がひどい。
とこのように、私はスピッツの楽曲としてチェリーを受け入れがたく思う。でもインディゴ地平線は聞く。
夕日が笑う、君も笑うのラストがマジすきだからね。