さて、10年くらい前、モバマスあたりが全盛期だったあの頃、私はスマートフォンではなくガラケーを使用していた。
私が今のiphone7plusにしたのは、これが発売された当初なのだから2015年あたりまではガラケーであった。
理由は単純で、変える必要がなかったからだ。それどころか、スマートフォンユーザーを「お前バカなのに携帯だけスマートなのかよ()」と言うほどには、アレだった。
それはともかく、10年前、というとスマホが普及しだした直後で、ソシャゲというのもこのあたりから公然と多くのユーザーが使うようになっていった。
そしてOTDR式である。OTDR式とは何か、というと説明するのもあれだが「バイトなしの学生が50kモバマスに課金して水着ちゃんみおキメる」ことである。
それを見た私は「やっぱソシャゲはバカがやるものだわ」という意思を強固なものにした。
当時の私曰く「賽の河原」「札束と時間で殴りあってる」「お前ソシャゲなかったらずっと黙ってそうだな」「おんなじところをぐるぐるしてる姿が、自分のしっぽを追いかける犬」
散々ないいようだが、これは現在でもそれほど変わっていない。
そもそも、いい年をした大人が口を開けばゲームの話しかしないというのは恥ずかしい。それではただのでかい子どもだ。
そしてソシャゲのばかばかしさは、「どう工夫して」敵を倒す、収穫を得るということより、「いかにいいキャラいい装備を整えて」「最大効率のみで」「最大の結果を得る」ことにのみ終始していることだ。
レベルをマックスにする、スキルをマックスにする、これらの行為はどうしても敵が倒せない時する最終手段のはずだ。
敵に行動パターンがあるなら、それに応じた自分の行動を選ぶ、そうして少しずつ勝利へ近づくのがゲームであるはずだ。
しかしソシャゲは違う。レベルマックス、スキルマックスは前提、これによってレベリングは「勝つためにする選択肢」から「しなければならないこと」になる。
そしてソシャゲユーザーは短絡的なので、敵の行動パターンはネットで予習済みだ。
そんなに負けるのが嫌か。
そうしたユーザーの増加は生配信などでも悪影響を吐き出してくれる。
最大効率のプレイしかしらない猿が、すべてを知ったような口で「この敵には〇〇すればいいですよ」と言う、いわゆる名人様だ。
そしてその猿は、効率の悪いプレイを見るや否や、キレ散らかす。
とにかくこういったユーザーは「負ける」という行為を嫌う。
楽しく真剣勝負ができる
というゲームを
勝つ快感を得る手段
としか思っていない。
さて表題の、グラブルに触れよう。
正直、ソシャゲとしては100点あげてもいいだろう、つまりゲームとしてはクソだ。
古戦場のシステム、ガチャシステムはソシャゲの根本思想である「金と時間のあるやつが勝つゲーム」そのものだ。
そしてプリコネのクランバトル、スクフェスのスコアバトルにあたると思われる古戦場で出すスコアは、「自分がいかに暇な人間か」をアピールするためのものだ。
プリコネに関しては正直、かばえない、グラブルと同じだと思うが、スクフェスは少なくとも音ゲー部分をプレイするというゲーム部分があるので、ギリギリゲームといっていいだろう。
基本的にはくだらないとしか思えない。
今、「ソシャゲは金と時間のあるやつが勝つゲーム」といったが、これを正しく繙くと、金とはせいぜい一回のガチャの天井、9万円を定期的に得られる層、つまり社会人であれば自分の生活を無視することでなんとかやりくりできる範囲の金で、時間とは自分の生活を無視することでやりくりできる時間だ。
つまり、社会人であればだれでもできることなのだ。学生なら金銭的な縛りが大きいが。
一般的なゲーム、対戦ものに限定すれば、これに勝つためには「時間と努力、自らの能力の向上」が必要だ。
しかしソシャゲは「金と時間」である。
ソシャゲにはまるような奴は大抵努力を嫌がる(偏見)、できることならすぐに勝ちたいし、すぐに楽したいのだ。
ソシャゲはそういった人間でも勝てるように(思えるように)、作られている。
これは私の偏見にすぎる偏見だが
「ゲームをやりこみました」という人間の中で「全員レベルを100にしました」などと抜かす人間はゴミだと思っている。
それは時間を掛ければ誰でもできる、ただの作業であってゲームではないからだ。
私にはそういった人種のその発言は「私は暇人です!」と言っているようにしか見えない。
ソシャゲも同じだ。
スコア〇〇稼ぎました、などというのは、「私は運営様の家畜です」と自己紹介しているに他ならない。
普通の人がちょっと努力すればできることをドヤ顔でいうな。48時間くらいぶっ通しでやり続けて、スタミナ回復に〇万つぎこんだ、とかそれくらいのことをしてからドヤれ。
普通の人ができる努力程度ならまだ努力と言うべきではないだろう。尋常じゃないからこそ努力の価値が光るということを知ってもらいたいものである。