新食魂島

王様は裸です、と叫びたい夜。

クロロVSヒソカに見るスパイク、ジョニー、ティミー

祝!ハンターハンター連載再開

 

もちろんこんなブログを覗くような人は100%心待ちにしていただろう。

主人公のゴン君がでなくなってから幾星霜、そんなことはお構いなしにとオタク共は冨樫の動かす辺の先に注目している。

 

さて、そんなことをいいつつ今回の主題。曰くクロロVSヒソカにみるカードゲームにおける主張についてだ。

まずはクロロVSヒソカの試合を整理すると。

 

①クロロは事前に100%勝てるよう準備をしていた

 

自分陣営のコルトピ、シャルナークのギャラリーフェイク、ブラックボイス、爆破能力のサンアンドムーン、人形(ギャラリーフェイクで作成)操作能力のオーダースタンプ、自分と他人の見た目を入れ替えるコンバートハンズを事前準備。

スキルハンターならではのチート。

 

②クロロにとってはゲーム、ヒソカにとっては殺し合い

 

ゲーム、だからこそスタイルが大事(好き)というクロロは、ヒソカを倒すためのカードを説明する。そして100%自分が勝つと宣言する。が、負けて死んでも何も思わないのではないか。

対するヒソカは、勝ちにはこだわれ、といい、自分のカードを見せびらかすようなことはしない。やはり100%自分が勝つと思っているだろう。

 

③戦闘、というよりクロロの切るカードに対してヒソカが正着をたどれば勝ち、間違えれば死、というものになる。

 

一面的にみると、勝負というものにこだわっているのはヒソカに思える。可能な限り手札を伏せ、勝ちにこだわる姿勢をみせているので、そういった印象をうける。

カードゲームの分類で言うとスパイクだ。

一方のクロロは自分の手札は晒す、所詮遊びだと言い切る。

これはジョニーといえる。勝負そのものより勝負の駆け引きを楽しんでいるように見える。

 

しかし実際のところはスパイクがクロロで、ジョニーがヒソカなのが面白い。

クロロは負けないための準備を十二分にしていて、カードをさらすのも100%自分が勝てるという確証がある上でのただのお遊びでしかなく、ただし100%勝てるようにしている姿勢は実にスパイクである。

 

一方のヒソカはめちゃくちゃ勝ちにはこだわっているが、その裏にはクロロとの戦闘に勝利することよりも勝負そのものを楽しんでいる心がある。

 

つまりジョニーという人間は、スパイクの人間が思っているより勝ちにこだわっている。スパイクとの違いは勝利することそのものを喜びとするか、勝利までの過程を喜びとするかの違いにすぎない。

さらにいうなら、スパイクの人間は、ジョニーが思っているより戦いを楽しんでいるともいえる。

 

よくあるジョニースパイク論争が平行線の罵りあいになりがちなのは、この点の理解をお互いにしていないからではないだろうか。

ジョニーはスパイクのことを、勝てればなんでもいい勝利至上主義だと思っているし、スパイクはジョニーのことを、勝ち以外に価値を見出す敗北主義だと思っている。

 

ある意味、これは当たっているのだが、それはお互いの氷山の一角にすぎず、実は大きな部分を共有しあっているのだ。

ぶっちゃけてしまえば、お互いが思っているほど相手も変な奴じゃねーよということだ。