大きな力で空に浮かべたわけでもないのにな。
それはともかく、私はスイッチの本体名をちょこちょこ変えている。
その内容ときたら「ヤギVSロシアおんな」「ワキガのルルー」「ルルー、すね毛をそる」などとふざけきったものしかない。
スイッチのフレンドたちのさぞ迷惑そうな顔が頭に浮かぶ。彼らの顔はほとんど知らないが。
その中で「ゴリランダーそらへ」というものがある。
元ネタは敬愛してやまないスピッツの「ローランダー空へ」ではあるが、空飛ぶゴリラというのはどういうものだろう。
MDSでもキメた薬チュウならその解答をしていただけるだろうが、あいにく私はそうではない。
想像でしかないが、進撃の巨人ばりのホラーであるのは間違いないだろう。なんで私はゴリラを空に浮かべてみたいなどと思ってしまったのだろうか。
例えるならば、部屋の片隅で部屋中のものを積み上げて、てっぺんにおいた檸檬を爆弾に見立てるようなものだろう。混沌の色に染められ完全に違う形だがそんなものだろう。
さて私も空飛ぶゴリラになんらかの楽しみを見出し、なにかほくそえみながら「空飛ぶゴリラ」で検索をかける。エゴサーチ、というには妙だがこれも一つのエゴサーチだ。
もちろん何も引っ掛からない。当たり前だろ、と私は昏い笑顔を浮かべる。
そして何を考えたかいまだによくわからない、たぶんそうしたかったんだろう私は、もっとゴリラなどいそうもない、とんでもないところにゴリラを存在させようとした。
そう宇宙だ。ユニバースだ。
土地がめくれたら宇宙、とはボブだが、ゴリラが宇宙へ行ったらそれはもう私だろう。
これは私を、私の精神を宇宙へ解き放つ儀式だ、といわんばかりに私は「宇宙ゴリラ」
と検索欄にぶちこんだ。
なぜか「宇宙ゴリラ効果」というものがヒットする。しかもちゃんとそれについて論述する記事まである。まさかこんなワードがちゃんと存在するんだから世の中わからない。
この「宇宙ゴリラ」というのは、要約すると
我々はある一点に捉われるとその周辺の変化に対してものすごく鈍感になる。それが写真のあるところにゴリラが現れていようと、違う場所に注意を凝らしていると気付くことができない。
同様に、宇宙について現在しているアプローチというのは「そのある一点に捉われる」行為であり、ゴリラという宇宙人の存在を確認するためには全く別のアプローチが必要である。そして我々が現在している宇宙観測の方法たるそのフィルターを宇宙ゴリラ効果と呼んでいる
ということだ。
宇宙へ飛び出すはずだった、私のマインドががっちり地上にホールドされるのを感じた。私如きではまだまだ宇宙となるのに力不足だ。
まずは大地に生きるゴリラ、最近私の心の中に観測したゴリラをしっかりと見つめ直そうと思う。
Gorilla gonna be universe...