新食魂島

王様は裸です、と叫びたい夜。

こないだ年上の人妻とデートした

とても寒い年の瀬、12月31日16時ごろ、僕は彼女の家の前を通り過ぎる。

彼女の家はリビングから外が見えるので、僕に気づいた彼女が大慌てで僕を呼び止める。

あわてて冬の装いに着替え僕の元へきた彼女はこう言うのだ。

会いたかった、と。

僕はうれしいと返し、僕らは出掛ける。いつもの見慣れた道は、雪で白く覆われ、まるでダイヤのように夕日に照らされていた。

歩き出した僕らの歩調はなかなかに合わない。歩幅も、性別も、違うのだから当たり前だ。だけど僕らの心は一つだ。

次第に、互いの呼吸が整いダンスを踊るようにぴったりと歩き出す。僕らはいつもそうだ。

他愛のない話をする。僕は聞きに徹する。彼女は耳が悪い。しかしおしゃべりをするのは大好きなのだ。そんな彼女を邪魔するような野暮なことはしたくない。

うちのお父さんったら。妹に厄年だって言われた。

そんなことを彼女は話す。彼女はよく家族の話をする。そしてその話をしている彼女はとても多幸感にあふれている。幸せのお裾分け、かなと思いながら僕らは歩く。

ふいに僕は立ち止まる。そして黒革の手袋を外し、大地に落ちたものを拾う。そんな僕をみた彼女は、あなたの手はきれいね、という。

なんだ苦労をしてない人だとでもいうのか、などと平素の僕なら思ってしまうだろう。しかし僕にはわかっている、彼女がそんな意味を込めていったのではない、純粋にそう思ったことを口にしただけだと。

だから僕は笑ってありがとう、と応えるのだ。

次第に会話がすくなっていき、心地よい沈黙の時間が訪れる。時折通り過ぎる車の音がよく聞こえる。

 

そして別れの時が来る。彼女が名残惜しそうにこちらを見ている。頭に置いた彼女の手が離れる。

送ろうか、と僕が言う。

大丈夫、と彼女が言う。

そう、と僕は答え別れた。そして一人ごちながら帰路につくのであった。

 

 

以上が、年末、うちのかわいいワンワンのお散歩ルートにある、うちのワンワンが大好きで新聞にうちのワンワンについて投書してくれた50歳年上女性との、うちのワンワンと一緒の散歩の話でした。

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自分なりのお酒哲学

お酒、皆さんはお好きだろうか。

日本では焼酎、ビールが一番ポピュラーで、おめでたい時には日本酒、ちょっとお高い気分ならワイン、ウイスキーはマニアックな人が、あとはいろいろあるがおそらくはウイスキーよりマニアックな雰囲気がする。

ムスリムヒンドゥー教、では飲酒は悪徳とされているし(一応仏教系も禁止しているが)、かと思えばキリスト教の大部分で赤ワインはキリストの血と見立てそれを飲んだり神道のようにガンガン飲む宗教もある。

こういった宗教に基づくお酒文化の発展もまた興味深いものであるし、ジンのように大航海時代における保存のきく水分としての役割として発展したものもこれまた面白い。

最近私はジンを愛飲している、といってもまだビーフイーターとギブレーだけだが・・・

このジンというのは大航海時代においてイギリス人がよく飲んでいたものらしい。ジンは大麦やジャガイモなどのでんぷんを発酵させてできたアルコール分を蒸留によりアルコールだけを取り出すいわゆるスピリッツといわれるお酒でこの蒸留の際にボタニカルと呼ばれる植物成分を一緒に抽出し、独特の苦みを生み出している。

 

正直ストレートで飲むには度数の高さもさることながらその苦みがなかなかに強烈なので酒の強さに自信のあるニキだけに試してもらいたいと思う。

 

お酒というのは基本的には劣化のしにくいものでジンもその目的にそぐうよう作られている。しかし人間というのは生野菜のようなものをとらないとビタミン不足に陥り、当時は壊血病の問題があったそうだ。そこでイギリス人の医師がジンとライムをあわせて取るようにしたところ、ギムレットというカクテルが生まれるとともに、イギリス人の蔑称であるライミ―というものまで生み出してしまった。

 

日本においては酒蔵というのは信頼の象徴のようなものであり、酒蔵の家から総理大臣という近代の日本史を担う人材を生み出している。

 

とはいえ近年の日本では、ビール、というか第三のビール発泡酒がでかい顔をして、あとは焼酎・・・なのだが、やはりこれも焼酎自体がーというわけでもなくチューハイとしての消費が主だと思うので、近年の日本では、第三のビール、チューハイがメインだということにしよう、その二つが大部分を占めていて、なんとも味より酔えればいいというかそんな情けない風潮が時流を占めているように思える。

そしてなにか個人的な小さなお祝い事でもあればワインがでてくる程度なのがなんとも悲しい。

このワインについてはまた面白なものがあって、村上春樹のファン、いわゆるハルキストと言われる人種というのが存在して、毎年のように村上春樹ノーベル賞を受賞するのでは!?と騒ぎ立てるものである。私個人としては村上春樹のあのなにかかっこつけたような自己陶酔してそうなキャラたちが苦手で村上春樹作品は敬遠しているのだが(村上春樹氏本人にはとても興味がある)、ハルキストと言われる人たちはそういった世界観が大好きなもんだからその行動さえまねようとするのだ。

ニュースの特集でノーベル賞発表の時期、ハルキスト達が村上春樹のキャラが好きそうなオシャレなレストランに集い村上春樹ノーベル賞受賞の瞬間を見ようとしていたところを映していたのだが、私はこう思った。

「どうせワインじゃなくてシャンペンなんだろ」と。

その通りであった。それをみた私は「ああハルキストらしいな」と思わざるを得ないのであった。

とにかく、日本人の酒文化というのは非常に底が浅いと言わざるを得ない。

口を開けばやっすいビールのまがい物で俺は酒の味を知っているぜアピールはするし、くそみてえなチューハイでのん兵衛気どりをする。

チューハイ、ここでは一般的なお店で購入できる缶チューハイに限るとして、彼らの言うおいしい、というのは果汁であったり甘いドリンクであったり、そういううまみの要素がそちらによりがちな、ぶっちゃけ焼酎の味なんてどうでもいいといった類のものばかりを好んでいるのだ。いいお店でいい焼酎、いい果物を選ぶのならそれは美味しいのができるのだろうけど。

男梅サワ―^^とか言いながらツイッターに写真を上げてる間抜けを見るとキレそうになる。だからそれは梅の成分の方がうまみのほとんどでしょ、と。

実際以前のブログでも行ったがストロング系のチューハイをのんできた、檸檬堂なども飲んでみた。

その結果、酒に自信がある私でもひどい悪酔いをさせられた。使われてる酒がろくなものではないのだろう、それをジュースのように甘いもので無理やり口の中にぶち込めるようにしているシロモノ。それこそが缶チューハイの正体だ。

私は、おいしいお酒が飲みたいのだ。間違っても甘いジュースお酒風味なんてシロモノがのみたいわけではないのだ。

 

この正月、毎年馬刺しをおせちのテーブルに乗せてもらっているのだが、ブリとあわせて日本酒が進んでしょうがない。

生の肉の癖の強さを日本酒がさらっと流し味を引き立ててくれる完璧なマリアージュは私のデブを加速させてくれた。

一方で年末に椀子ヴィンヤードと生魚との相性は最悪で、美味しんぼでいくらとワインはヤバイとしっていたのだが自分で試したことはないのでしてみたところ、本当に地獄のようにクソまずかった。酒には適材適所があるのだろう。

第三のビールにだってあるのだろう、熱い熱い夏のバーベキューでならぴったりだろう、酒としてのコクがないので肉肉しい口の中をさっぱりさせてしっかり酔わせてくれるのだから。そうはおもえどせめてスーパードライを、などと望んでしまうそんな30過ぎのおっさんが一人ごちるのであった。

教える立場の人間とは、られる立場に好かれるべきか

メリットデメリットの両方あるので一概には、と思うが基本的に好かれる必要はないと私は思う。

 

好かれるようにする場合

メリット:いう事は聞いてもらいやすい。信頼・・・といっていいのかはわからないが。

場の空気がやわらぎやすい。どういう教室にしたいのかにもよるが。

質問しやすい。これは明確にメリットだと思う。

実力がなくてもある程度はごまかせる。

 

デメリット:場が弛緩しやすい。

本気で言っても伝わらない可能性がある。

あまりにヘボだとなめられる。

言いたいことが言えない。

 

嫌われても構わないとする場合

メリット:実力があれば高いレベルでの信頼を得られる。

緊張感を持った場を作りやすい。

ナメられにくい。反感は買うかもしれないが。

言いたいことは言うので、弱点探しに有用。

 

デメリット:事実を追求しすぎて受ける側の心が折れる。特に低位層はつらそう。

離反される可能性がある。

 

私は嫌われても構わないと思うのは、課題が明確にあるにも関わらず、それを傷つくからというナイーブな理由で言わないのは、対象の成長を促すとは思えないし、言ったうえでそれに対応しないのもそれは言われた側の自由だと考えるからだ。(とはいえ何回も同じミスを繰り返されるとブちぎれるが)

ただこれは私が40人近い生徒に対応するわけでもない自由な立場だから言えることであるし、ずばずばいった後のフォローは難しいだろうし本当に一概には言えないんだけど難しいな。

 

よく、教える側がもっとしっかり教えろ、といったことがニュースのまとめコメントに寄せられるが、教える人間にできるのはテクニックだとか自分自身の経験を伝えることだけで、それを会得させたり応用させたりといったことは教えられた側の努力でしかできないことを知ってもらいたい。

田岡茂一も魚住をでかくすることはできないように。

美少女の太もも(魔女の旅々):アニメレビュー

正直このアニメを見始めたきっかけはイレイナさんの見た目がタイプだったからである。

銀髪に紫がかった青い目、黒を基調とした魔女ハットに魔女服、そしてスカート!スカートからみえる健康そうな太もも!エロい!
いやまあこの方と被って仕方がないのだが

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・・・露出度が違うか、まあどっちもエロイからいいや!!!

 

さて、今作は何かと「キノの旅」と比較されいているようだ、ただ私としては「人類は衰退しました」の方が近い気がする。ゆるふわヘアーの毒舌ガールだし。

妖精さんチートのわたしちゃんに対して、イレイナさんは魔女というチート、調子に乗りやすいところも共通している。

この二人の妙な人間臭さが私は好きです。きっと本人たちからもいいにおいがするのでしょう。

 

今作における話の作りは、「魔女旅に出る」→「魔女、いろいろ経験する」→「魔女、師匠と邂逅する」→「魔女、いろいろ経験する」→「魔女、タイトルを回収する」

となっていて、特にタイトル回収のエピソード(つまり最終話)は非常に面白かった。なるほどだから旅々なのねと納得させられた、正直ただ変換で出しにくくするための嫌がらせかと思ってた。

 

この話においては魔女とはすなわちチートであり、大概の困難というのはなんでもなく解決できるものだ。悪役に捕らわれてもあえて捕まってアジトに忍び込んでそこで英国無双キメたりもできるくらいだ。

そうなると戦闘で話を盛り上げるのは不可能なのだが、しっかりと無双にいたるまでのキャラの掛け合いで盛り上げてくれるため、俺TUEEEEEを見せつけるだけの駄作と違い、結果的に俺・・・私TUEEEEEEの方がいいか、私TUEEEEEEEEEEになっている。

 

今作においてイレイナさんはイキリ女などという称号を一部の視聴者から得ていたようだが・・・それは少し違うのではないかと思う。

イキリというものには、その行動を担保するだけの裏打ちされた実力がない上に、その行動が客観的に見ても正義とは言えないのに、行動する側がそれを正義だと思い込んでいなければならない。

対してイレイナは別に自分が正義だとは思ってもいなく、自分がしたいように、自分が決めた線引きを超えないように行動しているだけだ。そしてそれによっておこる諍いも自分で解決できるという自信があるだけのことだ。

3話で、魔力の満ちた花を燃やしたことで街一つ(国一つ?)が滅んだことをなんとかしようとしなかったのは身勝手だという意見も、おそらくそれを解決するのには時間がかかりすぎ、それは旅人である自分の本分を逸脱することを考えればひどく妥当だ。イレイナが非道だというのなら2話のサヤの話は成り立たなくなってしまう。

いやまあワインの時の話は間違いなく逃げたんだろうけどさ、うん酔っ払ってハイになりすぎて灰にしちゃったわね、じゃ恥ずかしくてその場を去りたくなるよね。

 

あえて欠点を上げるなら、さすがに序盤の3,4話でバッドエンドストーリーを持ってくるのは重たいような気がするし、そもそもバッドエンドがバッドエンドすぎるうえに、キャラクターの感情がわかるとおもすごくきついものがある。かと思うと次の話ではケロっとしてるのでなんかイレイナさんがサイコパスにみえてくる、おそらく原作エピソードを飛ばしているので、ちょっと落ち込んでる話もあるんじゃないかと思う。

原作小説をCHECKだ!!!

 

総評:俗物なイレイナさんが魅力的、キャラ推しで見れる人にはお勧め。

アニメレビュー:ラスト丸太(神様になった日)

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嘘はついていないが嘘である。いっそこの路線で言ってほしかったともいえる。

 

さて、先日はもうねむいという理由でCharlotteまでのレビューだったが・・・正直このライターを面白いって言っている人間の感性がとても嫌いなので誰が見てるかもわからぬネットの海で一人哀を叫ぶことにする。

とはいえ正直レビューすることなんてない、あるのは批判だけだ、な今作、上の画像やPVをみた時は「いけそうやん」と期待したのは確かだ。

もちろん1話の試写会の感想がべた褒めだらけだったのは麻枝ファンにろくなやつなどいないと言ってはばからない私に一抹の不安を与えたがまあもしかしたら自分も面白いと思えるかもしれないと淡い期待を持ちながら、1話の放映(というかニコニコ配信)を待った。

 

そして見た感想

いつものつまらない麻枝ジョークに、うざいノリツッコミが待っていたがそれはどうせそういうノリだろうと覚悟していたのでダメージは少なかった。少なかった。

正直、相変わらずクソのようにリアリティのなさ(夏休みなのに野球部がいて、しかも自分のわけのわからない一打席勝負につきあってくれるとか聖人かよ)だが、そこもこらえた。

そして苦行とも思える24分を耐え抜いた私は間違いなく1000年ほど老いてしまっただろう。

そして2話、3話、4話、と同じような苦行を繰り返した。

だめだ全然面白くねえ・・・

いやいやここから逆転ホームランはあるかもしれない、と思わねば間違いなく発狂してたであろう。

結果的には三振して帰ってきたやつにバットを投げつけられて死んだのが今作における私だが。

 

4話までの感想は単純だ。頼むから話を進めてくれ。の一言。

AB!のときもそうだった、視聴者、少なくとも私の興味はキャッチコピーにもあった神への復讐をどうするのか、というところでありふざけた日常ではないのだった。

その点はCharlloteの1話は、毛程度に面白いくらいにはまともと言えた。まともだったのはそこだけだが。

今作も同じだ。4話までの流れは問題が起きる、ひながこうすればよいという、陽太が無駄に役者になって解決する。それは問題ない。

だが人間関係も進まなければ、ストーリーも進んでない。キャラクターの心情の変化もまったくわからず、何が分かったのかと言えば、お父さんが暇だという事だけ。なんだこれ?4話自体もエピソードは最悪で、真剣に頑張って大会に臨んだ人間をバカにしているとしか思えない。この麻枝という男はだいたいがそうだ、主人公とその周り以外の人間に対してクソいい加減なことをする。私はAirはそれなりに好き(話の意味やキャラクターのエキセントリックな行動も演出のおかげでみれるし)だが、それは主人公サイドに理不尽を与えているのはそこにいる人の悪意によるものではなく、呪いだとか運命だとかそういったものがあって、それに対して頑張る人間像があったからだ。

このアニメ三作はどれも主人公がまわりに理不尽を与えているようにしか見えない。

 

そもそもストーリーがキャッチコピーと違うってどういうことなんだ。日常はもういいよ、もっとこう「神とは?」とか「世界が滅びるとは?」とかそういうことを言ってほしいんだ。キャッチコピーで釣ったんなら餌をくれ。

 

さてこの物語では陽太とイザナミサァンとの恋が気になる点ではあるのだが、小さいころから付き合いがあったのなら昔は「杏子ちゃん」と呼んでいたはずだ。少なくとも幼稚園くらいの子供が「伊弉冉さん」「成神君」呼びであるはずがない。

ならばちょっと陽太が勇気だして「杏子ちゃん」呼びしてみるとかさ、そういうのあってもいいじゃない?この時点ではちょっと首を傾げられちゃうけど後の方で自然に呼び合えるようになるとかさ、そういうのでいいじゃん。

そういう心の移り変わりがないからまー5話が白けるんだ。んでそのあとの6話でも対してイザナミサァンに変化がないから「あの話何だったの」感が半端ない。

それ以降の話はひながさらわれるまでやっぱりどうでもいいのでスルー。

いやまあぶっちゃけどうでもいいクソしかないんだけどさ。

 

そのさらわれるシーンも感動的だ。

実はひなは要介護の脳や筋肉が萎縮する症候群を発症していたが、祖父が発明した量子コンピューターを埋め込むことで未来予知に似た予測、本人が言うところの全知全能の状態を手に入れたのだった。そしてその量子コンピューターは世界を揺るがすシロモノであり、その流出を恐れる勢力に映画の撮影中に襲われる・・・と。

すごく感動的に・・・にみせようとしている、現実は茶番であるが。

だってそこまでで陽太がひなを家族だとか恋人だとかそういうのに重ねてたシーンねーんだもん。ここまでくると、もはや思いつきでストーリー書いてんじゃないのかと疑わしくなる。

9・・・10?何話だか忘れたが、鈴木少年が陽太のもとに訪れる。

鈴木少年はすごいハッカー(小並感)らしい。そしてCV17歳のCEO(結局この人も何がしたかったんだろう)の命令で、ひなの祖父の研究をハッキング・・・あの、手でパソコンやネットにアクセスしてる風の演出は一体何だったのだろう?無駄に近未来だったが、一番無駄だったのはその存在だっただろう。

そしてそのすごい鈴木少年は、陽太にひなとやってきたことを思い出させて自分が特別な存在であることを仄めかして・・・なんだくどいやり方は。

直球ではだめなんだ、と言ってるが直接接触している時点で大分直球にすぎると思う。

正直にぶっちゃけるのと何が違うのだろうか、理解不能だ。

そして無駄に4か月以上かけて、バスケ、麻雀、ラーメンを体験する・・・鈴木君は暇なの?

正直それまでの日常回がクソどうでもいいくらいには何の起伏がなかったので、ここで追体験をしている、なんて感動的なんだ、とは絶対にならない。というかそれで鈴木君がどんな存在か気づくとか無理だろとか、麻雀やってるとか受験はどうした、とかイザナミサァンとの関係どうなったとかこちらの知りたいことは一つも言わないくせに、クソどうでもいいことばかり垂れ流しやがる。嫌がらせか?

 

こんな意味不明のエピソードの後、鈴木君の正体に気づいた陽太は、彼のつてでひなのいるサナトリウムに潜入する。心理士として。

・・・無理だろ。俺物語の剛田猛男くらいおっさん顔じゃなきゃ無理だろ。なんなんだこの世界にはバカしかいないのか。

この世界にバカしかいないのも麻枝作品の共通点だな、うん。

以下のストーリーは知りません。見る意味がないとわかったからです、もっと早く気付くべきでした。スラムダンクの三井より無駄に時を過ごしてしまいました。

 

うん、確かにキャッチコピーは嘘は言っていない。

量子コンピューターのうめこまれたひな=神 量子コンピューター=世界を狂わせるもの

とすればつじつまがあう。もっともそれは多くの人が期待したものではないだろう、そしてこの話はクッソ面白くない。

なにが悲しいって別に選択したわけでもなく、気が付いたら神はいなくなっていた、というだけのことで。なんでそういう重要なポイントに主人公の意思が関わらないとかいう、意味のないことをするのか。ここでいう主人公の意思ってひなと一緒に居たいと思う陽太の気持ちであって、そんな場面なかったからね?いや、親に合わせたシーンであったじゃん、という間抜けもいるかもしれないが、そういうのは積み重ねあってからのことだからね?

結局キャッチコピーを信じてはいけなかったのだ。

麻枝准のラーメン屋でラーメン頼んだら、うどんのスープの中にスパゲティが入ってる可能性疑わなかったほうが間抜けなのだ。ツマンネ。

 

キャラクターも意味不明だ。神宮司さん(このアニメの唯一のほめどころ、俺史上2位に入るかわいいピンク)、天願おばさん、そして阿修羅とイザナミサァンでにぎやかな夏をしたかったんだな、というのはわかる。それだけにその賑やかしのガヤ芸人のような雑な扱いが彼女らの存在意義に疑問符を抱かせる。

ストーリーでは陽太の気持ちがイザナミサァンからひなに移っているのだが・・・いやいつの間に?流れがないんですけどそういう。賢者の孫でももうちょっとそこは気を使ってるぞ、あれは初めて見たかわいい女の子がセシリーで、セシリーを見た瞬間、勃起度0%から100%になったのがよくわかりますからねえ!

なら最初からイザナミサァンに惚れてるとかいう設定いれんなよという話である。

 

結局のところ、脚本、監督は何も反省してなかった、あるいは反省するところを間違ったと言えばいいのだろうか。

遅々として一向に進まない話。無駄に積み重ねる無駄、ナチュラル狂人な発想しかしないくせにただのバカなキャラクター、積み重ねもなく唐突に放り入れる感動話。

3作に共通して言えるダメポイントがこれだけあって何も解決されていない。10年間お前は何をしてたんだとも言いたくもなる。

いや今作は少しは考えたのか?過去の話を伏線にするという動きはなかったし、とも思ったが、その伏線の貼り方が雑で、回収も雑だ。

何が二色同順だ。あれが本気で面白いと思える脳みそしてる奴とはどんなツラをしてるのだろうか。きっと便座カバーが面白いと思える顔をしているのだろう。

 

総評:丸太。

アニメレビュー:麻枝准が生み出した素晴らしい丸太3作

今回は「Angel Beats!」「Charlotte」「神様になった日」、いわゆる麻枝准脚本のアニメをレビューする。

麻枝准といえば00年代のオタクのハートを震わせた「CLANNAD」を代表作とする、泣き特化のライターとしては有名ではあるが、本人曰く「自分は久弥直樹Sola、サクラカグラ、天体のメソッド)には勝てない」らしい。

私は久弥作品をsolaしかみていない、それもそれをみたのは10年以上前だし、大学ぼっちをかまし暇すぎたのでアホのようにアニメを見ていた時期であったので、作品そのものは深堀しておらず、知識に関しても薄いのだが、少なくとも好印象を抱いた作品ではある。姉の病んだ愛情もそうだが、様々な感情が渦巻いていて、ぐっと見入ってしまう作品だった。

真面目な金田朋子に笑いそうになったがそれはそれだ。

 

さて、いい加減本題に移るのだが・・・

正直私にはこれらの作品が好きという人の気持ちがわからない。理解しようとしたが無理だった。というより私は麻枝准作品というのが本当に嫌なようで、「CLANNAD」に至っては、「糞見てえに成長しない岡崎体育が、流されるままに生きてたら必然のように不幸になって、そのくせよくわからない理由で報われてしまった」作品と評しており、この作品で一番不幸なのはどう考えても古河夫妻(娘をなくす、義理の息子は孫の面倒を見ない、孫をなくす、気が付いたら立ち直ったかと思った義理の息子さえいなくなっているんだから)だろうと結論づけている。

そんなわけでこれらの作品のファンだという諸兄にはさっさと立ち去ることを勧告する。推奨するではない、勧告だ。

なぜなら私ですら君たちのことを理解できないように、君たち程度には、それは不可能だからだ。さっさと失せろ。

 

まず三作品の総合的な評価をしよう。

 

AB!:出来の悪いなろう作品、スマホ太郎の方が倫理的

C:どこまでいってもつまらない、虚無。

神様:無駄な反省、製作期間ご苦労様。

 

①Angel Beats!

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キャッチコピーは「神への復讐、その最前線」だそうだ。

正直な話、アニメなんて自分が楽しめればいいし、他人の評価なんて気にするだけ損だよ、といわれればそれまでなのだが、私はこの作品が最高に嫌いで、これをいいだなんていう人間の気が知れないと思っている。

このアニメを見て以降、自分が純粋な目でアニメを楽しめなくなってしまったのを最近になって自覚した。

つまりこれを見だしたのはまだ20の純粋な私だったわけなので、そのひどいショックの受け方を想像してもらえると思う。

ああ、最初キャッチコピー聞いて「これは絶対面白いだろうな」と胸をときめかせたのを覚えている、なんて透き通るように純粋なんだ。16年前から君は宝生永夢ぅ!!!

 

そして、1話を見た私は「・・・ん?」と首をかしげるのであった。

一話でしたことをさらってみよう。

なんか学校みたいなところにいて、ハルヒのパチモンが女の子に銃を向けているかと思ったら仲間らしき男たちとコントを繰り広げ始める→天使ちゃんのところにいって「わけわかんねー!死が冗談ってどういうことだ!」って言ったらなぜか刺されて気絶(超痛い)→起きたらガラの悪いのに絡まれて滅茶苦茶痛いはずのハルベルトでめった刺しにされる→なぜか冗談みたいに生き返る→パチモンの仲間になる→花澤さんとエンカウント、刺された記憶があるので銃の引き金を引く→なぜかよくわからないけどライブしてるところに突風をふかせなぜか食券をもった学生たちから食券を奪う→何事もなかったのかのように学食で夕食

 

こんなところか。まずは天使に引き金を引いたのくだりを見てみよう。

このシーンで脳n・・・音無君が銃を撃ったが、人が人をそういった攻撃をするには、理由が必要だ。

音無君は記憶を失っているとはいえなんとか人としてギリギリ程度の倫理観を持ち合わせているらしく、最初銃を撃つのをためらっている。しかし、自分が彼女にいきなり刺されたことを思い出し、「自分が攻撃しなければ自分がやられる」という理由で引き金を引いている。まだハルヒのパチモンのように「やるべきこと」と認識しているわけではなく自衛のためにそうしている。

私には最初のシーンで天使が音無君を刺した理由が「このシーンで発砲してもらうため」にしか見えない。なぜならのちに分かるが天使は自衛のために攻撃しているのであって、あの時点でただパニックを起こしているだけの音無君を攻撃する理由がないのだ。

まあここは「天使にとってはなんかうざかったから殺した、天使はサイコパス」とすることで解決しよう。

ここで少なくともわかる情報というのは「痛覚がある」ということだ。

そしてこの痛覚というのは「人間であれば、それを他人に与えることは多少なり良心がとがめる」ものだと言える。

では次のシーンで、音無君が気に食わないという理由でハルベルト100回斬りをキメた野田君?を見てみましょう。

どうみても他人の痛みに共感できますって感じじゃないですよね。めちゃくちゃ恨みがある人とかにやるならまだしもほぼ初対面の人間にあれですから。それとも彼にとってゆりっぺ()が気にしているというのがそれほどまでに気に食わないことなのでしょうか、彼の他の仲間へも同じことしてそうなサイコパス感がひしひしと伝わってきます。

 

そうです、このアニメはそういった痛みの感情だとかそういうのを全然考えてないんですよね。

いってしまえばシリアルキラーが「命は大事だよ」と宣っている何か物言えない狂気を感じてしまいます。

2話でも自分たちが仕掛けた罠で死んでいくわけですが、ぐっろい死に方してもヘラヘラしている日向君、2話での目的(最下層までたどり着く)も忘れ去り、ただかわいいものがいたからという理由で濁流に飛び込む忍者さん。

各々が死んでも生き返るという前提がありながらにしても、その際には苦痛を伴うという最初の条件をガン無視しておふざけで死んでいく。ふざけあっている。

まあそういうイカれた倫理観を持っている人たちなのかなーと思えばいきなり「私はひどい死に方をした」「そんなのってない」「だから私は神に復讐する」などとちょっとまともなことを言い出すからもう倫理観がわからない。

都合のいい場面で都合よく倫理観の間で反復横跳びをするので私は何を信じればよかったのだろう。

もし死がギャグだとでも言いたいのなら、適当なキャラに、構内で天使をレイド→軽くあしらわれて窓ガラスから転落、おいおい死んだわあいつ、としてから生き返らせれば不快感はない。

死をギャグにするのが悪いのではなく、ギャグみたいに死なせてギャグにすればよいものを、ギャグで殺すからこれはギャグだからというのがダメなのだ。

理屈的には虐待をしている親がこれはしつけだと言い張っているようなものだ。

 

やっている作戦も意味が分からない。なんで食券もってライブ見に来てんだとか、食券集めならカツアゲでもすればいいじゃないか、とか、やはり意味不明だ。

なんでも前日譚で考えた食券の回収方法らしいが、だとしてもだ。

神に復讐する、などという大ごとを言っておきながらこれはあまりにもしょぼすぎる。ダサすぎる。

1話からいきなり神に反抗するレジスタンスから、大学サークルみたいなノリをぶちこまれても、うん。

大体このあたりは意味不明すぎる。仲間に対しては刃物を振り回して殺すことさえできるような人間が、特に意思がないと思われるNPC生徒に対しては手は出さないなどと抜かす。

いやなんでよ?それ以前に授業中に騒いでNPCに迷惑かけるのは別に何ともない奴がなんでそれができないのよ。

これに関しては本当に合理的な理由がない。というかゲリラライブだろうがなんだろうが、NPCがそのライブに押し寄せることがそもそもおかしいだろう。意思があるのかないのかはっきりしてくれ。

さらに、一応この舞台には教師役がいるのだが、これまた都合がいい。

ゲリラライブというのは構内の風紀を乱す行為とみるのが自然だ。なのに教師たちがSSS戦線(これの名称がどーたらこーたらとかいうどうでもいい、もうらき☆すたでやってくれよな無駄な議論のシーンもあり)のメンバーを探す、呼び出すといったことすらしていない、かと思えば3話でライブそのものをとめようとしてたりこれまた都合がよく存在してくれている。

 

悪い点を挙げていけばキリがない、直井君が催眠で手駒にした生徒たちをつれて襲ってくるシーンでパチモンさんは「私たち史上最悪よ」という。

・・・いやあの時点じゃ催眠で自分たちの記憶を消そうとかいってないし、そもそも死んでも生き返るんだからピンチでもなんでもないじゃん。なんでそこでピンチとかいいだすの?

 

人間というのはある程度共通の感覚を持っている。そして痛みに関してはなおのことだと思う。早い話が自分が痛いと思うことは他人にはしたくないという心が働くもので、それが働かないということは、共感する心がないか、痛覚を感じてないかだ。

 

ここは空の境界浅上藤乃とでもいえばわかりやすいだろう。無痛症の彼女が初めて感じた痛みは恐怖そのものであり、それに対し痛みがわからないからこそ躊躇なく魔眼の力を振るえたのだから。

 

つまり、このアニメのキャラは共感する心を持ち合わせてないのだ。しかし一般的に共感する心のない人間などほとんど存在しないはずだ。このアニメのキャラだってたまにまともなことを言っているのだから。

つまり元凶はどこにあるかといえば脚本であろう。場面場面の都合にあわせてキャラの思考、世界の仕様がちょこちょこ変えられてしまう。そんな作品のキャラは不幸だ。

その点を西田亜沙子氏は無神経だと批判している。私もそう思う。

 

そして現状を支配した直井君でさえも脚本という筋書きには逆らえない。

彼は心に深い傷をおった人間だ。自分というものを殺し、自分の死んだ兄弟のようにふるまい、そしてそれさえも裏切られてしまった人間だ。

彼がそういったふるまいを何年続けたのだろう、それなりに長い期間だとは思うが、誰か本当の彼を認めてあげれば、という話だが、その認めてあげる役割をぽっと出の顔も名前もよく知らない男にするのはどうなんだ。

考えても見てほしい。今あなたがコンプレックスを抱えているとして、いきなり「アナタノジンセイハホンモノデス。スバラシイデス」とか言ってくる奴が現れたとしたら?

いやお前に何がわかんねんと、どうみても新手の宗教の勧誘にしか見えないだろう。

そういったコンプレックスには認めてもらいたい人がいるはずだ、直井君の場合なら祖父だろうか。事実ラストのシーンでほめてもらっているし。

 

そもそも神に復讐すると言っておきながら何とも戦っていたわけでもないのは別に許せるとして、その神の存在に疑いを抱くような場面もそもそもこいつらのしてることって単に天使への嫌がらせだよな、としか思えないし、何年も天使と戦っていると言ってる割には名前すら知らないというクソしょぼさがレベルの低さに拍車をかけてくれる。

神に復讐するレジスタンスから大学サークルになって、陰湿ないじめをする小学生軍団になって、最終的にはゆりっぺ神の新興宗教となる。クソか?

 

ああもういいだろう、こんなクソアニメの話はもうやめにしたい。何が神に復讐するだ、やってることはただのいじめじゃねえか。

ざくっといってしまえばこのアニメは「いかれた倫理観が誰にも指摘されないまま、いかにも正しい考えのようにのさばっている脚本の道化による狂気のショー」と言える。この作品の倫理観にかかれば、スマホ太郎もガンジーに見えてくるだろう。

 

Charlotte

虚無。特になくても構わない野球回、フライハイ回。特にいる意味はないまれいたそ。

インスタント不幸ショー、いつまでたっても現れない自分たちを狙う組織。能力者候補の学校(ただし校内の能力者の有無、いるならもっと校内でそういうトラブルがあってもいいし、そこまで能力者がいないのなら、能力者じゃない人が危険すぎる、全寮制の金のかかり具合、そもそもサポートしてくれてる人たちが出てこないのでごっこ遊びにしか見えない)

 

正直、不快感はAB!ほどではない、ただひたすらに虚無なだけ。

ゲスの主人公がただのバカで、2話以降はただのツッコミマシーンにしか見えないとか、もっとましな作戦考えろとか、やってることの規模がクソ小さいかバカでかいかしかない。そもそも悪辣な研究者がいるのならまともな研究者もいるはずで、そういったことが社会問題になるのなら国全体での問題になっているはずだし、やっぱりごっこ遊びにしか見えない。

話の話数だけは積み重なっていくのに、一向にわからない主人公と生徒会の面々との距離間。奈緒がお見舞いに来たとか、お前なんか理由もなく特に仲良くない男のとこいくのって感じである。このイベントを成り立たせるためには、主人公と生徒会の面々との関係がそれを成り立たせられるに十分なものなのかを示さねばならない。

しかしそんな描写はない、単純におこったイベントを消費させるためとしか思えない。

この人間関係の進展のなさも3作に共通している、はっきり言えば薄っぺらい友情物語、ベクターと遊馬の関係を見ならってほしいものである、。

まあこの話、出てくる奴が全員バカなんでどうしようもなくバカにしかみえない。ついでに脚本もバカ。兄貴の名前はDQNネーム。うんバカっぽい。ていうかバカでいいや。

正直設定だけみればすごく面白そうには見える。でもバカ。

見てる奴も間違いなくバカだろう。

 

 

長くなりすぎたので神様になった日は別投稿