今回は「Angel Beats!」「Charlotte」「神様になった日」、いわゆる麻枝准脚本のアニメをレビューする。
麻枝准といえば00年代のオタクのハートを震わせた「CLANNAD」を代表作とする、泣き特化のライターとしては有名ではあるが、本人曰く「自分は久弥直樹(Sola、サクラカグラ、天体のメソッド)には勝てない」らしい。
私は久弥作品をsolaしかみていない、それもそれをみたのは10年以上前だし、大学ぼっちをかまし暇すぎたのでアホのようにアニメを見ていた時期であったので、作品そのものは深堀しておらず、知識に関しても薄いのだが、少なくとも好印象を抱いた作品ではある。姉の病んだ愛情もそうだが、様々な感情が渦巻いていて、ぐっと見入ってしまう作品だった。
真面目な金田朋子に笑いそうになったがそれはそれだ。
さて、いい加減本題に移るのだが・・・
正直私にはこれらの作品が好きという人の気持ちがわからない。理解しようとしたが無理だった。というより私は麻枝准作品というのが本当に嫌なようで、「CLANNAD」に至っては、「糞見てえに成長しない岡崎体育が、流されるままに生きてたら必然のように不幸になって、そのくせよくわからない理由で報われてしまった」作品と評しており、この作品で一番不幸なのはどう考えても古河夫妻(娘をなくす、義理の息子は孫の面倒を見ない、孫をなくす、気が付いたら立ち直ったかと思った義理の息子さえいなくなっているんだから)だろうと結論づけている。
そんなわけでこれらの作品のファンだという諸兄にはさっさと立ち去ることを勧告する。推奨するではない、勧告だ。
なぜなら私ですら君たちのことを理解できないように、君たち程度には、それは不可能だからだ。さっさと失せろ。
まず三作品の総合的な評価をしよう。
AB!:出来の悪いなろう作品、スマホ太郎の方が倫理的
C:どこまでいってもつまらない、虚無。
神様:無駄な反省、製作期間ご苦労様。
①Angel Beats!
キャッチコピーは「神への復讐、その最前線」だそうだ。
正直な話、アニメなんて自分が楽しめればいいし、他人の評価なんて気にするだけ損だよ、といわれればそれまでなのだが、私はこの作品が最高に嫌いで、これをいいだなんていう人間の気が知れないと思っている。
このアニメを見て以降、自分が純粋な目でアニメを楽しめなくなってしまったのを最近になって自覚した。
つまりこれを見だしたのはまだ20の純粋な私だったわけなので、そのひどいショックの受け方を想像してもらえると思う。
ああ、最初キャッチコピー聞いて「これは絶対面白いだろうな」と胸をときめかせたのを覚えている、なんて透き通るように純粋なんだ。16年前から君は宝生永夢ぅ!!!
そして、1話を見た私は「・・・ん?」と首をかしげるのであった。
一話でしたことをさらってみよう。
なんか学校みたいなところにいて、ハルヒのパチモンが女の子に銃を向けているかと思ったら仲間らしき男たちとコントを繰り広げ始める→天使ちゃんのところにいって「わけわかんねー!死が冗談ってどういうことだ!」って言ったらなぜか刺されて気絶(超痛い)→起きたらガラの悪いのに絡まれて滅茶苦茶痛いはずのハルベルトでめった刺しにされる→なぜか冗談みたいに生き返る→パチモンの仲間になる→花澤さんとエンカウント、刺された記憶があるので銃の引き金を引く→なぜかよくわからないけどライブしてるところに突風をふかせなぜか食券をもった学生たちから食券を奪う→何事もなかったのかのように学食で夕食
こんなところか。まずは天使に引き金を引いたのくだりを見てみよう。
このシーンで脳n・・・音無君が銃を撃ったが、人が人をそういった攻撃をするには、理由が必要だ。
音無君は記憶を失っているとはいえなんとか人としてギリギリ程度の倫理観を持ち合わせているらしく、最初銃を撃つのをためらっている。しかし、自分が彼女にいきなり刺されたことを思い出し、「自分が攻撃しなければ自分がやられる」という理由で引き金を引いている。まだハルヒのパチモンのように「やるべきこと」と認識しているわけではなく自衛のためにそうしている。
私には最初のシーンで天使が音無君を刺した理由が「このシーンで発砲してもらうため」にしか見えない。なぜならのちに分かるが天使は自衛のために攻撃しているのであって、あの時点でただパニックを起こしているだけの音無君を攻撃する理由がないのだ。
まあここは「天使にとってはなんかうざかったから殺した、天使はサイコパス」とすることで解決しよう。
ここで少なくともわかる情報というのは「痛覚がある」ということだ。
そしてこの痛覚というのは「人間であれば、それを他人に与えることは多少なり良心がとがめる」ものだと言える。
では次のシーンで、音無君が気に食わないという理由でハルベルト100回斬りをキメた野田君?を見てみましょう。
どうみても他人の痛みに共感できますって感じじゃないですよね。めちゃくちゃ恨みがある人とかにやるならまだしもほぼ初対面の人間にあれですから。それとも彼にとってゆりっぺ()が気にしているというのがそれほどまでに気に食わないことなのでしょうか、彼の他の仲間へも同じことしてそうなサイコパス感がひしひしと伝わってきます。
そうです、このアニメはそういった痛みの感情だとかそういうのを全然考えてないんですよね。
いってしまえばシリアルキラーが「命は大事だよ」と宣っている何か物言えない狂気を感じてしまいます。
2話でも自分たちが仕掛けた罠で死んでいくわけですが、ぐっろい死に方してもヘラヘラしている日向君、2話での目的(最下層までたどり着く)も忘れ去り、ただかわいいものがいたからという理由で濁流に飛び込む忍者さん。
各々が死んでも生き返るという前提がありながらにしても、その際には苦痛を伴うという最初の条件をガン無視しておふざけで死んでいく。ふざけあっている。
まあそういうイカれた倫理観を持っている人たちなのかなーと思えばいきなり「私はひどい死に方をした」「そんなのってない」「だから私は神に復讐する」などとちょっとまともなことを言い出すからもう倫理観がわからない。
都合のいい場面で都合よく倫理観の間で反復横跳びをするので私は何を信じればよかったのだろう。
もし死がギャグだとでも言いたいのなら、適当なキャラに、構内で天使をレイド→軽くあしらわれて窓ガラスから転落、おいおい死んだわあいつ、としてから生き返らせれば不快感はない。
死をギャグにするのが悪いのではなく、ギャグみたいに死なせてギャグにすればよいものを、ギャグで殺すからこれはギャグだからというのがダメなのだ。
理屈的には虐待をしている親がこれはしつけだと言い張っているようなものだ。
やっている作戦も意味が分からない。なんで食券もってライブ見に来てんだとか、食券集めならカツアゲでもすればいいじゃないか、とか、やはり意味不明だ。
なんでも前日譚で考えた食券の回収方法らしいが、だとしてもだ。
神に復讐する、などという大ごとを言っておきながらこれはあまりにもしょぼすぎる。ダサすぎる。
1話からいきなり神に反抗するレジスタンスから、大学サークルみたいなノリをぶちこまれても、うん。
大体このあたりは意味不明すぎる。仲間に対しては刃物を振り回して殺すことさえできるような人間が、特に意思がないと思われるNPC生徒に対しては手は出さないなどと抜かす。
いやなんでよ?それ以前に授業中に騒いでNPCに迷惑かけるのは別に何ともない奴がなんでそれができないのよ。
これに関しては本当に合理的な理由がない。というかゲリラライブだろうがなんだろうが、NPCがそのライブに押し寄せることがそもそもおかしいだろう。意思があるのかないのかはっきりしてくれ。
さらに、一応この舞台には教師役がいるのだが、これまた都合がいい。
ゲリラライブというのは構内の風紀を乱す行為とみるのが自然だ。なのに教師たちがSSS戦線(これの名称がどーたらこーたらとかいうどうでもいい、もうらき☆すたでやってくれよな無駄な議論のシーンもあり)のメンバーを探す、呼び出すといったことすらしていない、かと思えば3話でライブそのものをとめようとしてたりこれまた都合がよく存在してくれている。
悪い点を挙げていけばキリがない、直井君が催眠で手駒にした生徒たちをつれて襲ってくるシーンでパチモンさんは「私たち史上最悪よ」という。
・・・いやあの時点じゃ催眠で自分たちの記憶を消そうとかいってないし、そもそも死んでも生き返るんだからピンチでもなんでもないじゃん。なんでそこでピンチとかいいだすの?
人間というのはある程度共通の感覚を持っている。そして痛みに関してはなおのことだと思う。早い話が自分が痛いと思うことは他人にはしたくないという心が働くもので、それが働かないということは、共感する心がないか、痛覚を感じてないかだ。
ここは空の境界の浅上藤乃とでもいえばわかりやすいだろう。無痛症の彼女が初めて感じた痛みは恐怖そのものであり、それに対し痛みがわからないからこそ躊躇なく魔眼の力を振るえたのだから。
つまり、このアニメのキャラは共感する心を持ち合わせてないのだ。しかし一般的に共感する心のない人間などほとんど存在しないはずだ。このアニメのキャラだってたまにまともなことを言っているのだから。
つまり元凶はどこにあるかといえば脚本であろう。場面場面の都合にあわせてキャラの思考、世界の仕様がちょこちょこ変えられてしまう。そんな作品のキャラは不幸だ。
その点を西田亜沙子氏は無神経だと批判している。私もそう思う。
そして現状を支配した直井君でさえも脚本という筋書きには逆らえない。
彼は心に深い傷をおった人間だ。自分というものを殺し、自分の死んだ兄弟のようにふるまい、そしてそれさえも裏切られてしまった人間だ。
彼がそういったふるまいを何年続けたのだろう、それなりに長い期間だとは思うが、誰か本当の彼を認めてあげれば、という話だが、その認めてあげる役割をぽっと出の顔も名前もよく知らない男にするのはどうなんだ。
考えても見てほしい。今あなたがコンプレックスを抱えているとして、いきなり「アナタノジンセイハホンモノデス。スバラシイデス」とか言ってくる奴が現れたとしたら?
いやお前に何がわかんねんと、どうみても新手の宗教の勧誘にしか見えないだろう。
そういったコンプレックスには認めてもらいたい人がいるはずだ、直井君の場合なら祖父だろうか。事実ラストのシーンでほめてもらっているし。
そもそも神に復讐すると言っておきながら何とも戦っていたわけでもないのは別に許せるとして、その神の存在に疑いを抱くような場面もそもそもこいつらのしてることって単に天使への嫌がらせだよな、としか思えないし、何年も天使と戦っていると言ってる割には名前すら知らないというクソしょぼさがレベルの低さに拍車をかけてくれる。
神に復讐するレジスタンスから大学サークルになって、陰湿ないじめをする小学生軍団になって、最終的にはゆりっぺ神の新興宗教となる。クソか?
ああもういいだろう、こんなクソアニメの話はもうやめにしたい。何が神に復讐するだ、やってることはただのいじめじゃねえか。
ざくっといってしまえばこのアニメは「いかれた倫理観が誰にも指摘されないまま、いかにも正しい考えのようにのさばっている脚本の道化による狂気のショー」と言える。この作品の倫理観にかかれば、スマホ太郎もガンジーに見えてくるだろう。
虚無。特になくても構わない野球回、フライハイ回。特にいる意味はないまれいたそ。
インスタント不幸ショー、いつまでたっても現れない自分たちを狙う組織。能力者候補の学校(ただし校内の能力者の有無、いるならもっと校内でそういうトラブルがあってもいいし、そこまで能力者がいないのなら、能力者じゃない人が危険すぎる、全寮制の金のかかり具合、そもそもサポートしてくれてる人たちが出てこないのでごっこ遊びにしか見えない)
正直、不快感はAB!ほどではない、ただひたすらに虚無なだけ。
ゲスの主人公がただのバカで、2話以降はただのツッコミマシーンにしか見えないとか、もっとましな作戦考えろとか、やってることの規模がクソ小さいかバカでかいかしかない。そもそも悪辣な研究者がいるのならまともな研究者もいるはずで、そういったことが社会問題になるのなら国全体での問題になっているはずだし、やっぱりごっこ遊びにしか見えない。
話の話数だけは積み重なっていくのに、一向にわからない主人公と生徒会の面々との距離間。奈緒がお見舞いに来たとか、お前なんか理由もなく特に仲良くない男のとこいくのって感じである。このイベントを成り立たせるためには、主人公と生徒会の面々との関係がそれを成り立たせられるに十分なものなのかを示さねばならない。
しかしそんな描写はない、単純におこったイベントを消費させるためとしか思えない。
この人間関係の進展のなさも3作に共通している、はっきり言えば薄っぺらい友情物語、ベクターと遊馬の関係を見ならってほしいものである、。
まあこの話、出てくる奴が全員バカなんでどうしようもなくバカにしかみえない。ついでに脚本もバカ。兄貴の名前はDQNネーム。うんバカっぽい。ていうかバカでいいや。
正直設定だけみればすごく面白そうには見える。でもバカ。
見てる奴も間違いなくバカだろう。
長くなりすぎたので神様になった日は別投稿