世界のパヤオは
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「ロクに人生経験もないオタクを雇うつもりはない。火を表現するには火に触れないと駄目だ」
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と言っている、たぶんそうなんだろう、しかしオタクの正気の度合いは判断が難しいからな。
はまあ冗談としておいて。
私も「人生経験のないオタク」はダメだと思う。
とはいえ人生経験とは何だろうとも思う。
自分自身を振り返ってみよう。
私のようなクソニートには社会経験がないというクソでかマイナス要素がある。
恋愛経験・・・ないわけでもないが、あまりに独りよがり今井なものなので思い出したくない。今でも当時の行動に悶絶することもある。
・・・
やめとくか。
となりかけたが一つだけ他人より優れていると思える点があった。
読書経験だ。
中学3年~高2期はそれなりに本を読んだ、といっても小説ばかりではあるが
貧乏生まれの成り上がりの医者が、ふとした慢心から人生の頂点から転落する話や
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偶然、いるはずのないもう一人の自分と出会い、激しく憎しみ合ったり
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ババアの衣服を分捕ったり、鼻がもげたり、かたじけのうござるを連呼したり
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時に、部屋においた檸檬を爆弾と見立てたり、殺す予定のなかった強欲な老婆の娘に手をかけてしまった罪の意識を抱え込んだりしたが、これらは当時は意味が分からずとん挫した。
さて、このようにいろいろな物語の人物の人生に思いをはせることが人生経験というのかはわからない、がムダであるとは私には思えない。
一般のオタクというのはどうだろう。私が知る限り、オタクという人種はラノベばかり読んでいたように思える。
自分のクラスのクソオタク(この女どもはマジでクソだった)はキノの旅を愛読していたし、すこしオタク趣味のあった友人は金田一のノベライズを読んでいた。
私が忌避する存在に鍵厨がいるが、彼らの言う名作である「CLANNAD」は人生だそうだ。
彼らの感想は
「人生について考えさせられた」
「家族のことについて考えさせられた」
だそうだ。中学生あたりが読書感想文で書くレベルの内容だな。
私なら人生の意味を考えさせられるのなら、billy joelのpiano manを聞く、そっちの方が手短で明朗だ。
そもそも彼らは考えさせられたそうだが、それが人生に反映されているように思えない。岡崎がなぜ苦労する羽目になったか?彼がアホだからだ。オタクくんは頑張っているか?
あれのいいところなんて、雰囲気づくりだけだろ?ちゃんと話みろよ?
リアルのしがらみのなにもかもから逃げて逃げて逃げまくってそしたらなぜか救われるストーリーだぜあれ。
わたしは白い巨塔が好きだ。財前を庇うことなく己が信じる医療の道を突き進んだ里見も尊く思えるし、持たざるものであったという飢えから権力も何もかもを欲しがった財前の獣の生き方もわかる。
互いに相反する二人が、だからこそ互いに認め合えるという美しい関係もよい。
財前と里見の最期の会話で財前がいう「ただ・・・無念だ」という言葉は非常に短いセンテンスでありながら私の心に刺さっているし「がんの専門医としてがんで死ぬことを恥じる」財前の手紙もまた胸を打つ。
別にこういった話の濃度の問題でなく、明らかにレベルの低いものを「名作」とたたえることは、文化の先細りそのものでしかなく
言ってしまえば「本ビールは濃すぎて苦い、第3のビール軽くて飲みやすい神」なんていう風潮は許してはならないのだ