新食魂島

王様は裸です、と叫びたい夜。

なぜ自分はTCGを始めたのか、続けているのか

少年時代、私のカードゲームは、ご存じ遊戯王OCGだった。

始めたきっかけは、小5の時友人たちに誘われたからだ。お前に友人がいたのか、というしょうもない問いはスルーしておく。

少年の私というのはいかにも冷めていて、チョコ菓子はチョコ菓子でもどちらかといえばビターなテイストをしていただろう。習い事のせいで水曜7時のアニメは見れず、周りが言うワンピースとやらは全然わからなかった。この水曜日の呪いというのは別の記事になってしまうのだがいつかはぶっちゃけたい。

さて、カードを買う際、私は母に許可を求めた。自由な小遣いというのはほぼほぼ存在しないのだから仕方がなかった。母は言う。

 

「ダメ。」

「やめたら紙切れ」

「どうせお前はすぐやめる」

その解答は実を言えば想像がついていた。私の母は、子供がどう思うかという基準を持ち合わせておらず、自分の基準だけが全ての人間だ。

私は、ねるねるねるねも買ってもらったことはない。曰く健康に悪いからだそうだ。

私は、何とか戦隊の魚肉ソーセージを買ってもらったことはない。もう言うまでもないだろう。

 

・・・この話もいつかぶっちゃけてしまいたい。

もちろん30有をすぎた今でもカードゲームを続ける私に、「早くやめてくれ」と懇願する母が今ここにある。やめません。

 

しかし、私は友人たちと買いに行くと約束してしまった。引くに引けないのでどうにか、と頼み込むと1パックだけ買うことを許可してくれた。

 

友人たちと近くのコンビニに駆け込み、遊戯王OCGVol.5のパックを入念に選ぶ。

20分ほどかかってようやく買う。

初めて買ったパックからは特に何も出なかった。ただ轟きの大海蛇という割とどうしようもない融合体がでたのだけは覚えている。

 

さて、この時の体験は私にとってアドレナリンがあふれ出る、有体に言えばひどくエキサイティングな経験だった。

そんなエキサイティングな経験を、わずか10歳の小童が我慢できるだろうか。

いやない。私はパックを買いあさった。

初めて出てスーパーレアは水魔神スーガだった。これは確かガキ大将達と遊んだ時、最下位がレアカードを出すというルールで、自分が負けそうになったガキ大将が突如ルールを変更したせいで敗残者となった私が半泣きになりながら差し出し奪われたはずだ。

今度彼にあったらそのことをなじってみようと思う、別に仲は悪くないので。

初めて出たウルトラレアは心変わり。これも割とシャークトレードされたような気がする。

 

あれ、俺カードゲームにロクな思いでないな。

 

そうしてカードを買ううちに金が尽き、家の金に手を出すようになる。ばれる。怒られる。さらに隠れてやる。

数年前、部屋のクローゼットを整理したところ、当時の空パックが発掘された。ばれたくなくて放り込んでたらしい。

 

中学生になり、親も辞めさせるのは諦めたらしい。とても仲の良かったが受験期私の持つ自閉スペクトラム傾向が悪い方向に出てしまい仲たがいをすることになった、今でも近所に住んでいる友人と毎日のように遊びふけり、チャリで20分の所にあったスーパー内のゲーム屋に足を運びカードを買っていた。

 

そして高校生になる。現在最寄りのカードショップの店長が言うには市内にもカードショップがあったらしいのだが、当時の私は知らなかったし、おそらく通うこともなかっただろう。クラスでなぜか流行し、友人と遊んでいた高1の時点ではシングル買いという概念は存在していなかった。私がそれを知るのは高3になってからだ。

 

といっても当時の私の小遣いは5000円。学校に通う約20日のジュース代が大体2000円、それに塾の後の軽食で1000円、後は漫画かパック買いに使うのが常だったので、シングル買いする余裕などなかった。

 

サイバードラゴンが2000円で売られているのを見て、うへーとなった。このサイバードラゴンというカードは、あの当時のデュエリストの3枚所持は必須とまで言われたカードだ。デュエリストパックヘルカイザー編にサイバードラゴンが収録されると知ったときはその月の漫画代を全てパック代に費やしてしまった。

オリパが売られているのにも驚いた。ここに終焉の王デミスが大量に有ったので買いそろえてデミスドーザーなど組んだものだ。さらにかなり傷が深かったがアルティメットレアの混沌の黒魔導師が出てきて「うわ禁止だwww」となった。

 

2005年あたりというのはカオス全盛期~禁止化~エアゴーズと言われるデッキの隆盛を含むが、この時期にはネットもだいぶ整備され、情報が手軽に得られるようになった。

よく覗いていたサイトではデッキ診断にオリジナルデッキを持っていくと、それは弱、これがスタンダードと言わんばかりにテンプレレシピを持ってくる奴がいた。なんだこいつはと思った。それぞれの経済的余裕を顧みず(大体レシピに乗っているカードを見れば経済事情など透けて見えるし、コンセプト全否定のつまらないやつもいた)クソ野郎だ、と思っていた私はいかにも高校生らしい考えの持ち主と思える。

そう高校生の私はやはり金がなかった。

・・・なかったはずなのだが今より満ち足りているような気がするのはきっと気のせいじゃないはずだ。

ともかく、長期休暇は学校の補習があったしその隙をみてバイトをしてはいたのだがやはりないものはないのだ。

この金銭的な充実のなさに関しては、実のところ楽しんでいた、いるとも思える。

へうげもの宗匠がおっしゃるのです、贅を尽くしてもてなすのではなく、心をもってもてなすのだと。

こと、今私がしているTCGであるマジックザギャザリングにおいては顕著だ。遊戯王のように使いまわしのきく手札誘発のような汎用枠は、土地に置き換えることができる。

土地はある程度しっかり一度揃えてしまえば使いまわしがきく。

・・・その土地の値段も1枚2000円を超えるのが普通でゲロを吐きそうになるが。

しかし、カードの時代ごとに区切られているレギュレーションの中では使いまわせないものや、黎明期の混沌を孕んだ各種パワーカードは万を超える非常に高額なものとなってしまっている。

私のような半ニートにはそのようなカードは一年間欲しいもの何もかも我慢してようやく手に入れられるかもしれないものだ。

 

単純にデッキを組むこと、自分のアイデアを形にすることはとても楽しい。多分私にはその中に金銭面と向き合う楽しみが含まれているのだろう。

私は今でもそうだが別に大会にでるわけではない。自分でデッキを組んで仮想敵をイメージしながら回してうまくいくかどうかを考えてニヤニヤするのが好きだ。

その根底には昔の楽しかった、時にはひどい目にあってはいるが、その記憶があるからこそ、私の楽しいことを続けていたいのだと思う。