新食魂島

王様は裸です、と叫びたい夜。

理解ある彼くんはいるか?

今年の5月、自分の生きにくさにはなにか原因があるのではないのかと思い受けたIQテストで、自分に発達障害が、ただしくはADHDと判定されるボーダーに限りなく近い数値ではあるのだが、とにかくそういう気があることが判明した。

 

私は発達障害です、というとなんとなくふっと胸のつかえがとれた気分になる。

自分自身にそれを示す行動や事実が山のようにあることも自覚している。

周りからは変な人間と扱われ、理解されず理解できず、そういった寂寥感から少しだけだが解放される。

私には、発達障害の人の描いた漫画によくある「理解のある彼くん」に相応する理解のある彼女はいない。

実際のところそういった漫画を作った女性がその彼くんと破局しているというのはよく聞く話で、原因はわからないが作者側の女性の要求や考えについていけなかった、というのが想像しうる妥当な筋だろう。

 

そういった意味で、理解のある彼くんとは存在しないものと捉えることができる。

発達障害を持つ人間に理解のある、というのは、すなわち障害の特性をよく理解したうえで、それを受け入れること、となるのだが・・・

 

まず発達障害というものの発症は圧倒的に男の方がしやすい、ということを踏まえ、男女の立場の違いを考えてみよう。

男性が女性のパートナーに求めるものの中に経済力という能力は、あまり求められない。傲慢な言い方をすれば、男性には女性は庇護するもの、あるいは支配するものであることを求めがちで、最悪アクセサリー扱いをすることもある(多分)

逆に女性は男性に経済力を求める、強い雄であることを求める。

つまり発達障害を持つ男性は基本的に弱者になりがちで、それは女性が求めるものではない。

結局、発達障害の女性は自分を庇護したいと思う男性がいれば理解があるかは別として、女性として求められることができる。大して男の発達障害は誰も必要としない、ひたすら弱者で理解のある彼女などというものはできるはずもないのだ。

そう考えると、理解のある彼くんに憤るのは発達障害の男と、経済力の乏しい男なのだと推測できる。要するに余裕がない人間達ということだ。

 

さて理解ある彼くんはいるかという話をしよう。

 

ほしい。どうしようもなくほしい。

俺がいいといってくれる人がほしい。

多分私がコンビニでもバイトしようものなら、片づけるべきものを片付け忘れたり、仕事中にぼーっとしてしまうことで周りとの軋轢が生じるのは目に見えてる。

ふざけてんのかやる気あんのか、と言われてもこちらもわざとやってるわけじゃないんだ、健常な人間が普通にやれば普通にできることができなくても怒らないでほしいと思うのが傲慢だというのなら、それをいうお前の方が傲慢だと言い返してやりたい。

チーム競技なら足を引っ張る部員がいてもおかしくないが、チームなんだから助けてくれよ、ハブるなんてひどいじゃないか。

それでもそういうところで上手く折り合いをつけてくれる人がいるだけで我々は救われるのだと思う。

理解ある彼くんが1000万人いる世界なら私だってもっと生きやすい。理解ある彼くんなんていないよ、と笑うのなら、自分がその理解ある彼くんになろうとする努力をしてくれよこっちからはなんもできないんだから。