タイトルの通り、人格は顔に出るか否かという話だ。
私はこれに対しては、yes.顔に出ると思っている。
人格に難を抱えてそうな人間の顔は醜悪だと思っている。
ここでいう醜悪というのは単に、イケメンだブサメンだ、美女だそうじゃない、という次元の話ではない。
どんなに不細工な人間でも笑った表情が魅力的だったり、そもそも愛嬌を感じさせられたりするものだし、逆にどんなにイケメンでも表情のどこかに卑しさを感じたりすると醜いと感じたりもするものだ。
具体的に言うと前者はアン〇ールズの田中で、後者は河野玄〇だ。
後者の側は、笑った顔に何か不愉快さを覚える、なにか見下されているような感じがする。
もちろんこれは私のイケメンに対するやっかみかもしれないが、少なくとも私の彼に対する印象はすこぶる悪い。
じゃあお前の顔はどうなんだ、と言われる・・・言われるだろうか。言われることにして、自分の顔というのは判断が付きかねるもので、嘘つきかと言われれば部分的にそう、心根はどうかと言われれば卑しさを否定したいようでできないようで、つまりよくわからん。年頃の若い人間には受けないが、動物や老人には大人気だ。自分のこととなるとよく思いたい心理がどうしてもバイアスとしてかかってしまう。
占い師が占い師自身を占わないのはこういう理由なのかもしれない。多分ね。
というか部分的にそう、という言葉を使うとアキネーターになった気分だ。
この話で一番嫌なのは心根の卑しい顔をした人間が、美しい部類の顔をしている時だ。大体の人はポジティブな反応を示すのに自分だけネガると場から総スカンをくらう。
イケメン無罪というのはこういうことかとわからせさせられる。
・・・あそれ俺のことか(謎の自画自賛
とはいえ私の価値観というのは大体が歪つで、しゃべり声を聞いただけで「こいつバカそうだな」などと判断するものだから、こういうところは改めたほうがいいんだよな。変えないけど。