新食魂島

王様は裸です、と叫びたい夜。

理解のある人間などいない

10年前、私が大学4年の、秋のことである。

その当時の私というものの状態を考えてみると、ヤバイの一言に尽きただろう。

一般的な文カス・・・じゃない大学生であれば95%の人は就活を終え、いかに残りの大学生活をエンジョイするかに終始するのであろうが、私の場合は、必修の数学の講義が2単位分、これまでのツケとなっていた教養科目が4単位分、卒論、これは数学のゼミという特質上大きな負担にならないことはわかっていたが、結局のところはお残しの単位があり遊んではいられなかった。

ああ、それも必修単位の幾何学、前期で受けられる球面幾何は話が全く理解できず挫折、その延長線上の別の講義も無理、となると、解析幾何の単位をなんとしてでもとらねば卒業できない、この忌まわしき存在のせいで夜も眠れなかった。

 

というより私は実際、その当時夜には眠ることができなかった。むしろ夜にしか起きてなかった。いわゆる睡眠障害だ。大学の3年の後期に発症したそれは、私に鬱の症状をもたらしめ、私にとっての就職活動である教員採用試験を受けられる状態にさせてもらえなかった。

就職が決まらない?ならば院は?と半ば無理やり受けさせられた院試は、無事最も権力のある先生の怒りを買いマジギレ詰問を受けるだけになってしまった。

当たり前だろう、何も学んでない、学ぼうとしないやつを自分の受け持ちになんかしたくないだろう。

当時の私にはそんな余力など一切ない、それをわかっているため、今の自分が当時の自分を責めるようなことはしないのだがそれでもあれはひどすぎると思ってしまう。

 

さて先ほど教員採用試験、という話を触れた通り、私は教員志望、大学のカリキュラム上、3年だけでなく4年生時にも3年時にいかなかった小中学校のどちらかに行く必要がある。補足すると、高等学校の教員免許取得には中学校の教育実習でもOKである。小学校だけ実習した場合は、小学校、中学校の教員免許が取得できる。とりあえず中学に実習いっとけばどこのでもとれるよというわけだ。(もちろんそのほかに必要単位を満たす必要がある)

 

そして3年時は小学校へ実習に行った私は、今度は中学校、それも大学の付属中に実習しに行くことに決まっていた。

学校現場という一般的なホワイトカラーより早い8時には始業する場所、そして睡眠障害、なんだこのマリアージュ(ゲロまず)は。

その当時の睡眠障害がいかに半端ないかを示すのが、実習前の挨拶の段階、18時に学校正門前に集合というこの約束を、私は必死の思いでなしとげた。

その当時のサイクルは朝の9時頃に寝て17時ころに目覚める。講義があれば深く眠らないように椅子に座ったまま眠ってなんとか体を動かして、と見事に12時間単位で昼夜逆転していたのだ。

このせいで前期の教養科目は落とす悲しいことになったのだが、それ以前に4年生まで残しておく方が悪いのだからそこはまあうん。

 

で、こんな状態で実習を受けられるだろうか?無理だ。

いやそれでも多少無理すれば、時間調節してもらえれば・・・

私はゼミの先生を通して、中学側になんらかの処置をしてもらえないか依頼した。

そして、中学側から学生に挨拶にきた付属中の先生にこういわれたのだ。

 

「特別扱いはしない」

 

うん。実に公明正大な発言で、模範解答だ。死ねばいいのに。

この特別扱いはしない、という発言は

 

私は、あなたのために何もしない

 

というのと同義である。

 

特別支援学校、または特別支援学級というものがあるのはご存じであろう。

そのままでは生活もしくは学習に著しく悪影響を及んでしまう児童生徒を集め、そのニーズにあった支援をする、というのがその理念だ。

ニーズにあった特別な支援である。

特別なのだ。

そもそも特別なのだ。

そこに通う彼らは、その特別な支援があるから生活、学習できる。

なぜ特別な支援をするか?

必要だからだ。

そしてその支援とは何から何までをやってあげることではない。ドラゴン桜で教育者は魚の釣り方を教える仕事だとあったが、それがそのままあてはまる。

自分のことは自分でやる、自立した人間にする、そのうえでできないことを支援するのが特別な支援なのだ。

 

そもそも一般的な話で持ち上がる特別扱いというのは「自分に都合のいいように忖度してもらい『利益だけを得よう』」とすることだ。

 

つまり、この付属校のおっさんは「お前は自分だけ楽しようとしてるクソ野郎だ」と私に言っているのと同義だ。

睡眠障害はそこそこのレベルで、鬱は多少改善されている今ならこのおっさんをぶんなぐっていたかもしれない。

その時は「終わった・・・」としか思えなかったが。

 

さて、私の出身大というのは教育学部が一番大きな大学で、その大学の付属中のある程度の立場にあるおっさんがこの体たらくなのだ。

人間が生きるうえで立ちはだかる障害、肢体不自由や盲目などの目に見えた障害から、出産、子育て、精神的な病などに対する無理解からくる障害に対して、何かできることを模索するわけでもなく、特別扱いなどというクソ腹の立つ言い方をしてきやがる、それが一般的な大人なんだと私は思う。

つまり世の中の9割はクソ野郎だ。

 

 

世の中、クソだな。