タイトルの通り、へうげものについて語らん。
ジャンルでいえば、歴史もの・・・いやふぁんたじー?なんとも分類がしがたいが、それも仕方がない。
この漫画に出てくる織田信長という人物は
本能寺の変、本作では裏で秀吉と千利休が手を引いているのだがそこでは、秀吉に胴体を真っ二つにされたかと思いきや
フン!と気合で元の状態にもどし、ドスドスと寺の中を歩き茶器に自らの腹から流れる血でお茶をたて、その様子をみてビビりまくってる秀吉と一席をたてるまさに「そうはならんやろ」しかならないとんでもない人物である。
利休は利休でヤバイ。普通に喧嘩めちゃ強いヤバイ。利休という人物は日本の茶道におけるビッグな存在ではあるが、身長も高い文字通りビッグな男だ。やだかっこいい・・・
あれ、なんかこれだとギャグ漫画みたいだな?
真面目に話をすると、このへうげものという漫画はけだし愛の物語といえる。
古織と利休の師弟愛、古織の茶器への偏愛、秀吉の「友」を求める愛。
様々な愛のカタチを感じることができる。
1巻では我々はこう問いかけられる。「君はもののために死ねるか」と。これを言い換えればあなたは何を求めて生きるか、と解釈できる。
主人公の古織であれば、愛する茶器のために、その所有者となるべく権威という箔を求めて命を削って行動する。
信長は言う。今までものを奪い、そして惜しみなく与えてきた。が、人とのつながりではダール・イ・レゼベール(もちつもたれる)を求めてきた。秀吉とはそのような関係を持ち合えている。と。
秀吉は言う。我欲のために、信長との心地よい関係を失ってしまった。そして今は誰ともそういった関係にはない、従わせ、歯向かえば奪う関係でしか人との関係を築けないと。
言ってしまえば執着なのだろう。キャラ達の行動原理は執着であり、それはまさしく愛そのものである。各々の愛の結果、得られた結果がこの物語の正体だと思う。