実際毎年解いてはいるんですよね。国数英だけ。
で、傾向としては
国語:現代文で点数の8割を稼ぎ出す。古文漢文忘れてまーすwww
数学:ベクトルと数列忘れてまーすwww最適化できてないので計算に時間かかりまーすwww確率は元からできましぇーんwww
実際のセンターの時の点数は、おそらく大学の学科内では最下位だったのではないでしょうか。お前よくそれで数学科行こうと思ったなと叱られそうです。
英語:文脈からの予想能力、そもそもの読むスピード、体力が落ちてたりしてキツイでーすwwww文法間違えまくりまーすwww
である。ちなみに内容に関する考察・・・考察でいっか、それは後の方でするとしよう。
では国語から。
まずは自分の出来から晒していこう。
問一の出来は・・・
ざっこwwwwファン辞めるわwwwwwww最初の五問の漢字を間違えているのが最高にラビッシュ。「援用」を伸ばして用いるだから「延」だなと思ってしまった。
このセクションは妖怪に関する小論文で、「世俗にある不可思議な現象に、神のお告げ的ニュアンスをくっつけその時代の人間に理解できるよう落とし込めた」ものが「妖怪」であり、そういった妖怪を娯楽的にとらえるのをアルケオロジー的方法で考える、・・・書いてて何が何だかさっぱりだ。
しかしこれを解く私にも妖怪が憑りついていただろう。
「二択で迷わさせ、間違った方をマーキングさせる」妖怪が。
第二問にいこう。
普通。ザ・普通。
雑魚と貶めるには悪くはなく、できていると言わしめるには低すぎる。ザ・普通。
かつて金持ちで今はうらぶれたW氏に、昔は貧乏で今は豊かな「私」が抱えるある種のコンプレックスについての小説だ。
昔馴染みに会いたいようで会いたくない気持ちというのはこの年になってよくわかるようになってきた。
この問の最後に本文の書評について解く問題があったが、その書評ではもっとみじめったらしくWを書けばより対比が深くなった、的なことを言っている。
そうだろうか?そこはどうしても疎遠になった「私」からはうかがい知れない部分があってしかるべきだしこちらの方がリアリティがあっていいと思うんだけどな。
第三問。古文。
なめくじwwwwwwなめくじwwwwwwwwww
どうしてあの流れで最終問だけ解けているのか、これがわからない。
解説しようにもぶっちゃけ何言ってるかわかんなかったのでなんもいえないwwwww
はい、解散、解散、この流れで漢文ができてるわけねーだろwwww
もうええわwwwww
なんでできているのかこれがよくわからない。
個人的な感想ですが、古文漢文ではどうせ説教的なんだろうな、とかどうせいいこといって締めるんだろうな、と本文の決め打ちというのができるんですよね、特に漢文。
ある人が偉い人のところに行って、、ありがたい教訓をいただくみたいな。
ここにその偉い人を褒め称える人をいれれば、完全に「なろう系」です。なろう系との違いはそこで言われている説法の説得力の差です。
ここまで古典的なものから学んでお話をつくるなろう作者はすごいですね!!!!
それと問題制作の都合上、現代文と同じく「本文の中で言っていることを誇張する」選択肢が紛れ込みますが、誇張しているだけで大体そんな感じのこと言っている、というのを問題の選択肢から合わせていくとなんとなく本文の筋の推測が付くんですよね。
英語に行きましょう。
今回の共通テストからはリーディングセクションが100点になりましたね。
正直な話、自分で点をつけてて、うっは点数ひっくwwwってなったんですが、そりゃ200点満点じゃなくて、100点満点ならそらそうよという奴です。
真面目な話をすると、リスニング100点というのはあまりいただけないのが個人的な感想です。
まあ悪くない・・・でも問2のA間違えすぎだと思う。
なんについてコメントすればいいのかわかりませんが、まあいいでしょう。
今年の問題は去年よりかなり難だそうですね。
内容的にはそんなに変わらないとは思うんですが、文字数が1200文字以上増えているらしいので、いままでのペースでやっていたら一般的な受験生では間に合わないこと請け合いでしょう。
英語の長文も基本的には「イイハナシダナー」な話になるのでそうなるよう答えをもっていけばよかったのですが、今回そういった会話的なものはなく、資料と本文から情報を読み取れといった問題ばかりでした。
確かに日本人はそこが弱いと課題にされてきたことなので、納得のいく問題作りだと思います。
しかしこのリーディングセクションを100点に薄めるのはなんか違う気がします。
ここから真面目なので断定口調に。
文科省いうところの英語の四技能、reading、speaking、writing、listeningで日本の従来の教育はreadingに偏っていて、国際化()社会においてはspeakingとlisteningの力を強化したい、とのお考えがあってのことなのだろうが・・・
この二つの技能においては、環境の多様性、選択肢の多さから都心の人間ほど有利だ。
speakingにおいてはそもそも日本人教師の手に余るところだ。少なくとも日本の英語教師が無能だと断ずるつもりはない、そもそも彼らがそういう教育を受けてきたわけではなく、そういった能力がある教師はそれだけの努力をしているという個人の努力に依存する問題だからだ。今考えてみると、中学の時の受け持ちの先生の英語はものすごくEngRishだったし。
となると英会話教室、ともなるが英会話教室にいくのにそもそも英語が読める書けなければどうしようもないし、田舎に至っては英会話教室の選択肢がなかったり、そもそも英会話教室がなかったりする。
個人でできることと言えば、海外に行って実際にコミュニケーションをとることぐらいだか、地方と都心の収入格差を考えればやはり都心有利。
となると公教育の公平性を保つには、readingとwritingに力を注ぐのが一番いいと思います。
で、リアルな話をすると、小学生にそういった真面目なreadingの話、特に音読の時に「君の英語はアクセントもない、リエゾンもない、それはお経だ」的なニュアンスのことをいってもなかなかに受け入れてもらえない。日本人の英語音読がお経になりがちなのは別に記事が作れてしまうのでここでは触れる程度に。
小学校で教科化したところで、細かい文法を考えさせずにとりあえず話をしてみよう(これはもう少し文法を考えさせてもいいとは思う)から始まりとりあえずしゃべらせる、これで30人以上の児童の発音を管理するのは不可能だ。
そも日本という、英語が公用語ではなく、英語がわからなくても何ら問題なく暮らしていける国において、英語が公用語ではないが英語がないと生活が成り立たない可能性のある国の人間とを比較してどうこういうのはナンセンスだし、日本人が英語が話せないのはそれは素晴らしいことでもある。と林先生が言ってた。
林先生曰く
「日本人が愚かだったらもっと英語が話せる国になっている。
もっと愚かだったら英語が公用語になっている。
さらに愚かだったら中国語が公用語だ」
と。
意味が分からない?君、文明人やめた方がいいよ。