国数英社理、この五教科の中でいらない奴がひとりいまーすwwww
そwwwれwっうぁwww
などというつもりはないのだ。必要があるかと言われれば、ないとはいえないし、新しいものを学ぶという意味では新鮮さがありなおかつ需要もある、さりとて一番大事かと言われればそうではない。
それが英語という科目だ。
私の英語力は、TOEICで700点はとれない、英検も2級どまり、とはいえ一般に問えばできる方だし、センター英語レベルなら余裕だったし、班活も英語班をしていたくらいだ。しゃべる方も日本人には発音よく聞こえるようだ。
別に言う必要はないが、その程度の英語力が持った人間が言う発言だととらえてほしいので一応英語力をさらした。
やれ御世間様のご意識がお高めでいらっしゃられる御仁御夫人様は
「これからは国際化が進む」「だから英語が必要だ」とお宣いになられていらっしゃられる。
国際化が進む、ほう?
では問おう。
国際化ってなんですか?と。
いろいろな人が交わり、そこにはいろいろな言語がある、そこで使うコモンランゲージとして英語が必要だ、というのなら。
それは翻訳機で十分と言えるだろう。そもそも口頭だけで無理にコミュニケーションをとる必要はないのだ。紙を介して、辞書を引きながらとるものでもいいし、なんなら日本語と多言語に精通したスペシャリストを連れて行けばいいのだ。そして公教育はスペシャリスト育成のためのものではない。
公教育で小学校5年から教科化、3年から英語科活動と前倒しの教育が行われているが正直何かずれているような気がしてならない。
そも英語科活動では文法的な指導は行わず、とりあえず話してみようなどとするのだが・・・正直教科になったときの文法指導とのギャップが余計に際立つだけと思う。
私は実際に小学生の英語指導をしているが・・・
正直全く意味がないと感じている。
he,she,itの現在形の動詞にsをつけなさい、runの現在分詞にはnを重ねなさい、疑問文の最後には?をつけなさい、英語の語順は言いたいことから誰が(主語)何して(動詞)どうなった(目的語)と考えよう、文章の中に動詞は2つ使えないから不定詞のtoを入れよう、などなど。
基本的な物から少し進んだものまでを指導しているが一貫して言っていることは一つです「ルールを知って守りなさい」
しかし、しかしだ。
ちゃんと文章での説明が書いてあるのにそこを見ないで、例文のところを丸写ししてたり
同じミスを同じとき、考えずみせてくるようだ
ありふれたこの罵倒で 怒りかけたよ(ロビンソン風)
おんなじミスをおんなじところで、何回も何回も間違えやがる、なんだこれは。
俺、またなんかしちゃいましたか、じゃないんだぞ。
根本的に考える力が低すぎるのだ。
小学校入学から英語をやってきた子も、私は心の中で「中学入って3か月でついていけなくなりそう」と思う子だっている。
考える力のなさは知識のなさよりたちが悪い。
知らない、わかってないという事を知らないのだから。
さて、我々がなにか物事を考えるときに使う言語とはなんだろう、そう日本語だ。
間違えても英語などではない。
その日本語の充実が英語というものを学ぶときに大きな助けとなる。
私が見てきた中で、英語だけは突出してできるという子はいない。英語ができる子は国語も数学もできる。国語と数学ができる子は大体英語もできる。
しかし英語ができるようにすることは他科目ができるようになること ではないことには十分ご留意いただきたい。
思うに、バカの一つ覚えのように国際化などというバカは、国際化と欧米化をはき違えているのだ。
じゃ、じゃあ数学と国語は別としても英語は3番目に必要な教科だなどというとしよう。
理科を軽んじてこのクソみたいに資源の乏しい日本で何を売り込むのか。
社会を軽んじてクソみたいに狭い日本の地理をどう生かすのか、自分の国の歴史も説明できないアホがどう愛国心などというものを持つのか(これは現代の異様な日本ヨイショのTV番組にその片鱗が見えている)
英語など言語、つまりコミュニケーションの手段にすぎない。知らなくても向こうが理解してくれる可能性だってある。ボディランゲージをしたら相手にとってひどい侮蔑の意味としてとらえられ殺されない程度に文化を教え込んだ方が楽だ。
そう考えれば英語の優先度など、ゲレだゲレ、ビリッケツだ。
公教育で英語を使える人材を育てようなんて無駄だ。