タイトルまんま、数学においてわかりやすい授業は最悪である、と断ずる。
まず第一にわかりやすい授業とはなんだろう。
それは間違いなく、なんかわかった気になるような授業のことだろう。
あくまで気になるだけで実際に有益であるようには思えない。
ここでいうわかりやすい、とはだれにとってかと考えればそれは授業を受ける子どもたちに他ならないが、子どもとはどういう生き物なのかを想像してほしい。
私の考える子ども像では、ある一定のところでは私が考えるより大人で、またある部分では私が考えるより子どもな性質がある。
学問においてはどうだろう、こと一般的な児童、生徒というのは後者にあたると私は思う。
もちろん私が見た聞いた、子どもの時こうだったという体験談ではあるのだが、大きく外れた認識ではないと思う。
さてそんなお子様な子どもが勉強の時どう考えるかというと「帰りたい」「遊びたい」「寝たい」「あれもしたい、これもしたい、もっとしたいもっともっとしたい」
なもので、そして基本的に子供は考えるという事を嫌う。
大人と違って熟考することを早めにやめてしまいがち(もちろん全然考えて行動しない大人もいるが)で、とりあえずで済ませられるのであればそれで済ましてしまいがちだ。
そんな子どもにとってわかりやすい、正しくは分かったような気分になれる授業というのは、子供に考えさせるということをしないのだ。
早い話、何か問題があるとして、それを解くための考えの筋道を言うのではなく、これをみたらこうしろ、とテクニックを教え込んで、それで一問解かせてみて「おーなんかできた!」となれば完璧だ。完璧に考えさせてない。
実は、私も一度、あまり出来が良くなかった生徒にあるテクニックを教えたのだが。
その内容は帯分数の引き算で「(1と2/56)-7/56=58/56-7/56=51/56」のように帯分数を借りて計算するものだったのだが
私「帯分数っていうのは(帯分数の数字)+(分数)表せるから、足し算引き算の順番を入れ替えて(1-7/56)+2/56とやる方が帯分数側の分子が大きい時間違えにくくなる」
生徒「おかのした」
その結果、「(1と8/56)ー7/56」のようにそのまま引けるものにも、この考えを適用し、よくわからない解答をだすようになっていた。
基本的にテクニックを使うためには「どういう場合の時」「どうしてテクニックが成り立つのかを考えた」うえでなければならない。
しかし一度、テクニックを使えば解けることを(こちらからテクニックを使える場面を提示しているのだから当然だが)知ったが最後、それより奥のことは考えなくなるだろう。
子どもにとってのわかりやすい、と、我々が考える必要な要素を含め。たわかりやすくするためのものには大きな開きがある。
となると子どもにとってのわかりやすいは我々がそこで必要だと考えるものを含むことがなく、そして教える側が必要な要素を詰め込んでいくと、今度は子どもたちからわかりにくいの大嵐だ。
いかなることにおいても、自分で考えないで他人が与えたものだけに盲目になるのは、情けない大人にもありがちだ。
この一時的にできたような気分になるというのは本当にたちが悪く、その後自分で考えたことがないから当然だが、ちょっと応用した程度の問題をだすとすぐにぼろがでるし、その中途半端なできたという勝利経験は新たな学びへの謙虚さを奪い取ってしまう。
そもそもそういったテクニックにすぐ食いつく人間というのは大人子ども問わず「考えたくない」という情けなさを所持している。
そういった方々を食い物にするのはそれはそれでビジネスだし好きにすればいい。そしてそんな考えたくない彼らに適度に餌をあげていればいいだろう。
数学とはちょっと離れた一般的な概念の話をする。
もしあなたが今より自分を良くしたいとおもうのなら、まずいろいろやってみることをお勧めしたい。そのなかで成功も失敗もたくさんするだろう。その勝因敗因を細かく探っていけば一定の傾向がみえるし、そうすればいろいろな方法のいいとこどりができるだろう。そうして自分オリジナルの方法にたどり着けば最高だ。