教育コンテンツでよく話題に上がるランキング第二位、漢字の正確さに対する採点基準の話です。
ちなみに第一位は掛け算の順番です。
まず私の考えを明瞭にしましょう。
書き順に関しては、テストでわざわざ問うのはナンセンスだがきちんとしたものを覚えているべき
とめ、はらい、に関しては、なくてもまあいいんじゃね、と思うけど、ないとやっぱり物足りない
なのですが、こと教育におけるこれらの事柄はきっちりと遵守すべきだと思っています。
周囲の意見、というわけでもないですが、書き順、とめ、はらいはクソくらえという意見が多そうですね。だからお前らダメなんだよって感じですが。
では、なぜ絶対に守るべき神域と思っているのかというと
規則、ルールを重んじる態度というものをしっかりと持ってほしいのです。
早い話がお偉いさんが提示する型にはまれと言いたいのです。
皆さんの中で、見た目はともかく、クソ真面目の風紀委員タイプを知っているという方、あなたの知るその人物の学力はどの程度だったでしょうか?
私は、そういった人間は少なくとも学校のお勉強はできるタイプだと考えます。
なぜ学校のお勉強はできるのか?
ここでは数学と英語がわかりやすいのですが、どちらも
ルールを読み取り、ルールを知って、そこにピースを当てはめていくもの
だからです。
そしてこれの実現には
普段から、ルールを重んじる態度というのが必須です。
数学ならば、移行のように符号が等号をまたぐならそれらは反転する、等式で片方をN倍したらもう片方もN倍する
といったルールを愚直に守るだけで連立方程式の計算は簡単にできます。
できない、という人がいるのならばそれはルールを知らない、守らない、守り切れないのどれかです。
私は普段、連立方程式に関しては「たかが足し算引き算、掛け算をするだけの計算を連立方程式を学ぶ段階になって間違えるとかバカか?」と言っています。
因数分解、単純なax^2+bx+cの形に限定しておきますが、これも同じです。あれは、cの項の符号が+なのかーなのかでパターンがきまり、+なら++とーーの数の合成でbを定め(ー2ー3=ー5は2と3をくっつけると捉える)つまり(x+?)(x+?)と(x-?)(x-?)になり、ーなら+ーの反発になります。
整理すると
【1】ー1:C>0、b>0で(x+?)(x+?)
ー2:C>0、b<0で(x-?)(x-?) どちらも?の足し算でbになるものを取る
【2】ー1:C<0で(X+?)(x-?)で?の引き算でbの絶対値になるものを取り、?の大小と符号を考える。
これだけです。要するに中1でならう正負の足し算引き算と、小2の掛け算ができればだれでもできるんですね。
もちろんこれらの実現には暗算力という、現代人が最も軽視していらっしゃられる基礎中の基礎があってこそが本題とはずれますね。
要するにパターンを覚えて、型にはまって反復すればだれでもできるのです。
現代では型にはまることは悪で、型に嵌めようとすることも悪という風潮がありますが、そんなことを言っているアホは天才気どりなのでしょう。
凡人にできることは型にはまることです、そしてその型は正しいものでなければいけませんし、正しくはまらなければいけません。
1本ごと傘を入れるスペースが区分けされている傘立てに、2本無理やり刺そうとすると、取り出しにくいわ逆にスペースがせまくなるわでろくなことにならないのと同じです。
数学でいう正しい型とは、適用可能な場面で適切に道具を使うことです。
この因数分解、正しくは2次方程式になるのですが、この正しく型を使うことを知らない人間は痛い目を見ます。
2次方程式の解の公式というのがありますね。
これはとても面白い像を我々に見せてくれます。
ある程度できる層は有理数解をもつ、いわゆる因数分解ができるものに対しては解の公式を絶対に使いません。
対して、学力の低い層はすぐこの公式を使おうとします。
私は誰かに言われたかは定かではありません、言われてないのかもしれませんが、この公式を覚えてもとりあえず因数分解できないかを疑ってかかります。
そして私の学力というのは平均より高いものでした。
それが何の担保になるのかはわかりませんが、自分の中ではこの公式の使いかたで学力の多寡を見ているところがあります。
なぜこの公式を使うのがよくないのでしょうか。
それは公式を使用することによる計算の煩雑さから起きるミスを防ぐのはもちろんですが、因数分解のほうが簡単でありますし、
何より、公式は本当に二次方程式を解くためにしか使えませんが、因数分解は応用の幅が広く対応できる問題がおおいからです。
数学は、暗記の学問ではあると思います、しかし暗記したものをそのままそっくり使うことはまれです。
私は、この公式を覚えた瞬間思考を放棄するようなことが一番恐ろしいのです。
そしてそうした思考放棄する人間は思考を軽んじ、それすなわち学びを侮辱します。
この思考放棄の例が顕著にみられそうなのがこのような問題でしょう。
「二次方程式x^2+(4+c)x+4c=0を解け、ただしcを整数とする」
思考が停止した人間はこれをみて、cが2か所にあるから解の公式が使えないと思ってしまうのです。
では思考ができる人間はというと、まずこれの可約性にきづき、また解の公式を正しく理解していれば、bにあたる部分が4+cで、cにあたる部分が4cだなと気づくことができます。
この思考力の差は高校数学以降は露骨になっていきます。
一番わかりやすいのが余弦定理で
思考停止「a^2=b^2+c^2-2bccosA」
と考え、思考する人間は
「ある角に対して、向かい合う辺の2乗は、それ以外の辺の平方和から、それ以外の辺の積の2倍と角によって定まる数値を引いたものになる」
「三平方の定理の拡張」
「アームの間の長さは、アーム自身の長さとその角度から求められる」
と考えます。どちらが本質をとらえているかなんて一目瞭然ですよね。
国語の書き順、とめ、はらい。これらの徹底をしようとすると子どもから反発を受けると思います。
そんな時はルールだから、で突っぱねてしまえばいいでしょう。この程度で勉強が嫌いになるはずもありません、嫌いになっているとしたらそれは元から勉強が嫌いな子どもです。
子どもは基本的に単純です。ある程度無理やり従わさせてもバレません。ばれないように取り繕う必要はあると思いますが。
このルールを守る、という事は普段の生活からも学ぶことができます。
家庭内での約束事や子供がすべき家事を徹底するだけでいいのです。
このルールに子供が反発するとしたら、それは反抗期に入ってのことでしょう。その時、なぜルールを守らなければいけないのかを諭せばいいでしょう、すぐには呑み込めなくてもいずれ理解します。小さいうちはルールだから、でいいでしょう。
もちろん、ルールを守ったことへの報酬や、親自身がルールを守るという態度を示す必要はありますが。
結局私が言いたいのは、教育システムはお偉いさんが考えて、それなりにちゃんとしたもので少なくとも自分が考えるよりはよくできているから、その与えられた型を守っておこうという事です。