新食魂島

王様は裸です、と叫びたい夜。

英語学習における辞書などフヨウラ!!

英作文というのは多くの受験生が課題に掲げることが多いと思う。まあ大体、リスニング、長文、英作文のようなわかりやすい得点源を課題にするのだが、それは間違っていないと思う。

発音やアクセント、細かい文法の問題は正直センター英語で満点とれるポテンシャルの生徒でも間違える可能性のあるジャンルで、極端に差が開くところではないからだ。

対して、長文、英作文といったジャンルはセンターレベルのものであれば、上位陣はまず間違えない。しかし苦手な人はとことんまでにダメである。

私は間違えない側の人間だったが、間違える側の人に対して「なんでできないの?」と平然と言いかけたのを覚えている。だってみりゃわかんだモン。

 

さてまずは長文における辞書の話をしよう。

まあ和英辞典は必要がないのは確定としておいて、正直英和辞典も必要ないと思う。

 

なぜなら長文読解において全文を完全に読み解こうという姿勢がそもそもナンセンスなのだ。

わからない単語がでたらいちいち辞書で調べて?一つ一つの文章完全に訳して?

 

時間の無駄にもほどがある。君は実際の試験でもそうつもりかねと突っ込みたくなる。

もしその人が文法を理解していなかったとしたら、単語は取れても文章は作れないし、そもそもそういった学習をする人は短絡的なきらいがあるので、イディオムを無視したり(辞書には載っているが多分そこまでみない)ニュアンスをわからずに理解しがちだ。

 

テストというのは実際の会話と違って理解するための時間が十分に与えられている。会話などが文章化されているのなら、それには必然の話の流れというのがあるのだ。

地球環境を守らなきゃー、というニュアンスの文章であればガソリン自動車ばんざーい!なんてことは言わずこれをネガティブなものとして扱うだろうし、植林しようというのもまあ好意的に書くだろう。

そんな風に想像して問に挑もう。そしてまず玉砕するだろう。

辞書引いてこまごまとやってもできないんだから当たり前である。

しかし、回答後答えをみて「へーここそんなこと言ってたんだー」と思えればしめたものである。

理科の実験などで予想と結果を書かせるレポートがあるがそれと同じである。結局は自分で考えたこと以外は人間の頭には残りえないのだ。

もし辞書で単語を引いてしまったら、いくつかの言葉はあいまいながらも記憶として残るかもしれない。しかしそれはただの結果でしかなくて、考えたものではないのだ。

そも辞書でやってしまったら、私こんなに辞書に頼らなきゃできないのか、とへこむだけだ。

あくまで自分で努力して考えた結果のみが血肉になると私は信じている。

自分でわからないものを類推する、という力は案外バカにできたものでなく、事実として知っている、よりも、類推して正解を導き出す力、というものの方が尊い

実際の試験、つまり辞書などを持ち込めない場面で、そこに至るまで辞書を使った学習をしてくると、辞書がなくては全然わからんちーん。であるが、自分で類推してきたのならば、わからなくても考えが止まらないし少なくとも話の輪郭くらいは抑えられるだろう。

そういった意味で辞書というのは確認のツールである。もしあなたが似たようなニュアンスの単語がいくつかあったとして「あれ、この単語こういう意味だけど似たような意味の単語あったな」と気づけるととてもよい。そういった時はガンガン辞書を使おう、ニュアンスそのものは書いてないかもしれないが例文から悟ることくらいはできるだろう。

 

 

さて次は英作文だ。辞書など完全に、不可逆的に、不要だ。

もし私の前でそのような愚行を犯そうとする人間がいたのなら、私は躊躇なくそいつを罵倒するだろう。

英作文というのは日本語の文の、文字通りの意味そのまま素直に直訳するものではない。

人間の男が「私はなんでも食うクソ犬です」と言っているとして文字通りに訳せばI am a fuXX'in dog which eat everything.となるが・・・・これでは犬がしゃべっていることになってしまう。言いたいことはなんでも食う悪食だということなのだからI am a glutton .くらい雑に訳しても問題ない(大抵の場面は)

そもそも私たちが文字を書くということは、何かを伝えるためにしているのだ。

つまり伝わらなければ意味がない。

だからニュアンスが変わらない程度に知っている言葉を言い換える、言葉を外す、などいじくれるところはいじくって言い換えをするのだ。

完全に点数をもしかしたらもらえないかもしれない、正確に訳せるのならそれに越したことはないかもしれない。しかしそれができなければ単語が穴あきチーズになった文章しかできず、結局解答にならないのだ。こちらの方が言いたいことがわかるようになっている分ましだろう。

 

この時、辞書が完全に不要なのはわかってもらえるだろう。和英辞典で調べたというただ結果だけ得たものより、自分で考えて自分で表現できる範囲でやったほうが有益だし、知らない単語を学習ができるという辞書使用の良さも、英作文という場面でやるべきではないと私は思う。英和辞典はやはりニュアンスの確認程度には使ってもいいかもしれないがそも英作文で辞書使おうとする人間が英作文に英和辞典を使うとは思えないし。

 

 

結論から言えば、辞書は確認用。自分で考えたものには勝てないと知るべし。

 

余談:現在に至るまで英語の勉強を私はほとんどしたことはない。学校の課題はやってたし、英検があればそれに対して勉強というのはしたが、自発的にこれをやろうと考えて勉強したことは一度もない。

ないのだが、一つだけ今考えると勉強になってたんだなと思えることがあったので紹介しておく。そして決してマネするなといいたい。

高校の英語の授業中の話なのだが、授業開始とともに、教科書の一部分をあらかじめ決まっている順番で先生が指名していくのだが、私は他の人がそれをやっている間に、おおよその訳、ニュアンス探しから辞書調べまでのプロセスを授業中に行っていた。

いつあてられるかもわからない緊張感の中、答えられなくてトチったことはない、もしトチったのなら教師(担任の先生でもあったが)からなんで予習していないんですかの誹りを受け、さらに英語班員(長野では部活ではなく班活という地域があります)というメンツすらぶっとぶのだから、その緊張感はなかなかだっただろう、そしてそれが私を鍛えたと言っても過言ではない。

 

ただそういう辞書的調べが大事な単語テストは勉強しなかったので単語テストの追試をくらって、他のクラスの奴に草を生やされた。だってやってて面白くないんだもん。

 

そしてそんなこんなでアイツ英語できなんじゃないのかwwwと思わせたところを模試でぶっちぎるのが私のスタイルだった。’ドヤァ