新食魂島

王様は裸です、と叫びたい夜。

無限の可能性()

夢も希望もないタイトルではあるが。

 

よく学生に対し「君たちには無限の可能性がある」「君たちのしてきたことを信じて」などと抜かす大人がいる。

そういった人たちは、自分が学生だった頃、それらの言葉に一度でも励まされたことがあるのだろうか?

一般的な人間というのは、そもそも、自分自身は何でもはできないが何かはできるというのを中学生くらいの時分にそれが実感に変わることがあるのではないだろうか?

たとえば勉強すれば点数なんかいつでも取れると思っていたらいつまでたっても点数があがらなかった、部活ならものすごく頑張ったのにあの学校に勝てなかった。

 

大体が思春期というのは自分を知るための時期でもあるのだから、自分自身の可能性なら自分が一番わかってそうなものだろう。

 

大人というのは子供という人間に対して子供以上に夢を見がちで、このくらいの子ならまだ無限の可能性というものに対して無邪気でいるだろうと考えがちだ。

もちろん君たちの未来は限られています。なんてことは言いにくいことだ。

だが、大人が大人にならないで、子供を子供扱いし続けてもいいことはない。そして何より大抵の人間というのは凡人だ。そして凡人の自覚くらいは中学生にもなれば持っている。

人生の先達として何かアドバイスをするならば、まず現実を見つめさせることが大事だし、その先の未来を楽しみにしてあげるべきだろう。

そうしないということは、まずは与えられた内容、という限られたものをしっかりとやる、ということの重大さとその達成の難しさを軽視していると言わざるを得ない。

 

よく受験前などの励ましで自分を信じて、というのがありがちな応援文句になっている。これも心底くだらないと思う。

自分を信じられるのは信じられるだけの努力とそれに随する結果を残したものだけだ。

やはりこれもそう数は多くない。大抵の人は自分の能力に疑問を持っているし、盤石なものだとも思っていない。

むしろそういう場合は、自分の能力をしっかり疑った方がいいだろう。

このパターンに当てはまる子供はどこか能力的に穴があるのだから、少なくともその日だけは、例えば計算ミスが多いから時間を多少使っても検算はする、漢字の問題はまず初めにやってとれる点を取りに行く、とフォローしたほうがましだ。

もちろん日ごろからそういうコミュニケーションがとれていれば何ら問題はないのだが、付け焼刃でもまだ役に立つというものだ。

自信というものはいつ折れるかわからないが、自分の弱点と向き合うということはいつでもできるのだ。

 

 

結局のところ、やれることは全部やる、課題を見つけて解決するというプロセスは何においても大事なことなのだ。