世の中には様々な意見がある。
あるものを肯定的に見るものに対する批判意見、逆に批判的に見る者に対する肯定意見。
私は自分とは真逆の考えをできる限り知りたいと思う。
傲慢に過ぎるが、自分がそうだと思っていることに対して、それを押すような意見は心は救われるのだが、あまりそういった自己と同一の意見に対しては強く心を動かされない。
逆に自分と違う考えをみて、なるほどそういう考えもあるのか、と思ったり、なにいってんだこいつバカか?と思ったりする方がエキサイティングだ。
だからこそどうしても理解し得ない、この世のダークマターに対して文句を言っているのがこのブログだ。クソかな?
私は、自分のことを正しい人間だとうぬぼれている。私の理解し得ないものを褒め称える連中はゴミだと思っているが、私がよいと認識しているものをたたく人間には寛容でありたいと思っている。
今回の話は前者のパターンだ。このブログで取り上げている、麻枝准のクソアニメ
を褒め称えている、頭keyヒロインのクソオタクの戯言によくあるコメント。
それこそが「人それぞれ」「賛否両論」だ。
この二つの言葉の有するところは、みんなちがってみんないい、だ。
私はこう思うよ、あなたの考えもわかるけどね。ということだ。
基本的には他者の肯定のための言葉だと思う。
だが私はこの言葉を使っている奴らが正しくこの言葉をとらえているとは思っていない。
私は、先ほど述べた通り傲慢なまでの自分至上主義、そして鍵オタクは頭のおかしい奴しかいないと思っていることから、
どうせこいつら否定意見なんて言い返せないだろうし、認めすらしないだろうな、
としか考えない。
この言葉をいう奴は大体、自分自身の肯定のために、人それぞれなどと抜かすのだ。
そして、議論から逃げる。ふざけるな。
そもそも、ものの考え方で人それぞれなのは当たり前のことだし、そのうえで最大公約数的に問題解決を図ったり、互いの考えを交換することこそが最も尊いのにそれをぶちこわしにするのだ。
この言葉を軽々しく使う奴は大抵私が低く見下している作品を好む連中ばかりだ。(といってもそう見ているのはこの3作とクソそのもののなろう系くらいだが)
麻枝3作については、私はもはや理解を諦めている。信者コメをみてクズしかいないと思うための道具だとしかとらえていない。
そして人それぞれなどと思いたくもないのがこれらの作品だ。これのファンが同じホモ・サピエンスだと思うのは苦痛だ。
こんな低級のシナリオしか書けないのがエロゲ界のビッグネームだと思うと泣けてくるぜ。
長いのでまとめると、それをいっちゃあおしめえよ、ということである。