新食魂島

王様は裸です、と叫びたい夜。

死の間際とラーメン

死刑囚には、ラストミール、最後の食事と言われる、死刑囚自身が希望した食事を死刑の前日に食べられるシステムがあると聞きます。日本ではどうなんでしょう、死刑のシステム自体が採用する国家、自治体が減る中この食事もなくなってきているようです。

 

では、あなたに質問です。

あなたは明日死ぬとして、最後の食事に何が食べたいですか?

 

最後の食事、というからには自分の一番好きな物が食べたい、と思うのが自然なことで、例えば母ちゃんのメシが食べたい、例えば昔食べに行ったトンカツが食べたい、例えば結婚記念日に行ったフレンチがもう一度食べたい。

少なくとも、最後の食事というからには「自分が最も幸せだった」時のもの,

あるいは「自分が幸せになれる」ものがたべたいものです。

私なら以前紹介した中村屋のうどん中村屋 - 上田/うどん [食べログ]

下諏訪の新鶴の塩羊羹http://shinturu.com/

になるでしょう、中村屋は私にとってホームの味、新鶴は初めて食べた時の感動が忘れられないからです。

 

さて、表題にもあるラーメンですが・・・

私は死の間際、最後の食事に食べたいものがラーメン、どこどこのお店の、ではなく、それこそスーパーのラーメンも含んだそれを食べたいというのはとてもでないが許容できないものです。

どこまで突き詰めてもジャンクというイメージがぬぐえず、どんなに意識高い系ラーメンでもマックのハンバーガーと大差ないと考えるからです。

ラーメンが一生の思い出になる家庭、というのは想像でしかないが恵まれない家庭と考えられます。一杯のラーメンがそうなるのであれば、私が口をはさむ余地などありません。その人の幸せな記憶というものを否定する権利は私にはありません。

 

しかし、私がラーメンというものを否定する理由は、「ごく一般的な家庭に生まれた人間が」「自立してラーメンばかり食いまくるようになった結果」「まともなものはラーメンしか食ったことがない」というその食に対する意識の低さがとてつもなく嫌なのです。

別に日本にあるいろいろな食事を楽しんだ結果、ラーメンに達したのならいいのです、ラーメンしか食ったことのないその発想の貧困さがダメなのです。

別に居酒屋のモツ煮が食べたい、でも、鳥貴族の焼きトリが食べたい、でもいいのです。それに付随する酒を飲んでなった幸せな気持ちがあればいいのです。

特に理由もない何の感慨もなく普段通りの感覚で選んだラーメンでいいや、が嫌なのです。

なので、同じラーメンでも、しこたま飲んで、その後の締めのラーメンが食べたいというのなら全然OKなのです。酒を飲んだ後ラーメンを食べるのが好きという感情が理解できるからです。

 

つまり、ラーメンというものに如何に思い出が詰め込まれていますか?と問いたいのです。

飯画像といえば、ラーメンしかあげない、という人が多いかと思います。しかしラーメンが大好物でラーメンだけ食べてたいという人は希少でしょう。

少なくとも私の中のラーメン像はそんなんなのです。

店は余るほどあり、日本人はとりあえずラーメンでも構わないという人も多く、ポピュラーすぎ、ラーメン、特定の店舗のものではなく茫洋としたラーメンという集合体

が食べたくてしょうがないということはないと思うのです。

 

願う事なら人生に意味のあるラーメンというものに出会いたいですね。