新食魂島

王様は裸です、と叫びたい夜。

チー牛の根本的問題

プロデューサーがプロプレイヤー(高校生)に対して「真面目そうっていうか・・・チーズ牛丼食ってそう」と侮辱発言をしたことで有名なe-sports()、ぷよぷよ

それが去年から国体の競技として採用され、その予選がオンラインで行われている。

そして、各県の代表者が続々と決まっているのだが・・・

 

なんで全員、そろいもそろってチー牛顔なんだよ!!!

 

いや、なかには普通のニーチャンもいるんだ、全員がそうだってわけじゃねーんだ。それでも、それでも!よくもまあチー牛顔のパターンフルコンプと言わんばかりのチー牛顔のオンパレードだ。

 

ちなみに俺の中でチー牛顔は4パターンある。

1つ目は

 

・やたら濃い髭の剃り跡

・藤木くんのような血色のない唇

・やたら深いほうれい線

 

これらの「+20歳、お前は課長か」顔だ。老けづらなのに、妙に違和感のある顔立ちだ。

 

2つ目、

 

・やたら厚い唇

・低くてデカい鼻

・マッシュルームみたいな髪

 

の「潰れたトマト顔」

 

3つ目、

 

・丸顔

・それに似合わない髪型

・団子っ鼻

・目小っさ!

 

の「ハリセンボン春菜」タイプ、ラーメンつくってそー!

 

4つ目、

 

・汚い笑った顔

・子供のように赤い頬

 

なんか不愉快な「ひかりうむ顔」だ!

 

共通点としては

・鼻の穴が見える

・薄すぎる表情

・髪型はべっとり、目も耳も髪で隠れてる、または昆布、またはハゲ

・笑っても唇が重力に負けたように口の端が下がる

・妙に色白

・目が死んでる

・クソ弱そうなボディ

 

だろうか。

 

いや、どうしようもないところもあるんだ。鼻の形だとか、頬の赤さだとか、唇だとか。

でもそこが問題じゃないんだ。

あげていった共通点でまずいのは

 

・髪型

・口の端が下がる、などの表情の薄さ

 

だ。

大体の陰キャオタクは「それお母さんに切ってもらったの?」と言わんばかりのイケてなさだ。

毛量の多い人なら、というか絶対的にショートカットにして、デコを出す、耳を出す、それだけで絶対的に印象は違う。オタクヘアの人をかっこよくしてるスタイリストさんのツイッター(結構有名な人だよね)

twitter.com

伸ばすのなら、絶対的に「ふわふわ感」が必要だ。

ワックス・・・いや俺髪伸ばしたことないからわかんないんだけど、何か整髪料で空間を作りださないと、ベトっとした重さが出てしまう。そしてそれはオタクくささと同値だ。

ただ空間を作り出すのではなく、あくまで計算された規則正しい空間を作る必要がある。

え、これは無造作ヘアー?ごめんね・・・

というかまずは美容院いけ。床屋でもいい。3000円以上とるところから行け。

先日1000円カット(1500円だけど)に言って切ってもらったのだが、まーひどい、いつも切ってもらっているところでは1か月半は伸ばしたままでもそこまで気にならないのに、切って2週間で「もー嫌、切りに行きたい」となった。

んで、整髪の仕方聞け、教えてくれるから。・・・といっても聞いた通りやっても決まんねーんだよなwww

その辺はやっぱネットで調べろ。

え、そういう人と会話するの無理?じゃあキモイままでいけ、それでキモイと誹られても俺のせいじゃない。

大体、オタクはキモイと言われると、「オタクはキモくないよ!」と怒るが、お前がキモイんだよ、んでお前がオタクだからオタクはキモイになんだよ、お前がオタクの評判下げてんだよ自覚しろ。

 

んで次に表情だが・・・これは俺も薄いんだよなぁ、姉貴に「お前は表情が薄くて怖い」と言われる。

表情は筋肉で表されるので、表情筋を鍛えるのが一番だ。

笑顔というのは基本的に他人にいい印象を与える。ぶすっとしていたところで一文の得にもならない。

どんなに不細工でもしっかり表情筋が動いてて、感情が伝わってくる人に不快感を抱く人はいない。それで不快に思うのなら思う方が間違っている。

 

 

とりあえず何か変えるなら髪型が一番手っ取り早い。絶対的な印象が変わるので今すぐ美容院を予約しよう。床屋で髭剃りしてもらいてーなー俺もよー。

カードゲームにおける「宣言」

私がプレイしているカードゲーム、遊戯王MTGには以下のようなカードがある。

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発動できるタイミングに差はあれど

「カード名を指定して、そのカードを持っていれば全て捨てる」

カードだ。

正直、陰謀団式療法の方はマインドクラッシュと同じタイミングで使えるとしたら大問題なのでWotC社のオツムがまともなようだ。まともだったらオーコなんて作らないなんて言わないであげてくれ。

 

さて本題は「カード名の指定」というところだ。

この件に関しては遊戯王側がジャッジにゆだねるところではあるとはいえ、その判断はどうなんだと首をかしげざるを得ない。

この宣言に関して、遊戯王wikiからの引用

 

カード名は正式名称を宣言しなければならない。
略称および俗称は不可能で、ルビを正しく読む。
間違えた場合は、ジャッジに相談してその判断に従う。

 

対してMTGにおける考え

  • 名前の宣言は正確であることが望ましい。しかし完全な名前が示されてなくとも、カード1種のみを特定できるだけの情報が示されたのならばその名前が示されたとみなされ、省略や間違いも容認される[3]。マジックは名前の記憶ゲームではないためである。このときジャッジや対戦相手は、示された情報だけでは1種に特定できないと判断したならば特定できるだけの追加の情報を求めなくてはならない。

 

つまりMTGの言い方を借りれば、遊戯王は名前の記憶ゲームだということだ。

MTGのカードで例を出してみよう。

MTGにおけるストーリー、そこで大きな役割を担っているジェイス・ベレレンをサンプルとする。

このジェイスという人物(プレインズウォーカー、以下PW)は、PWとして幾度もカード化されている。その回数、12回。

こち亀のコラなら全部一緒じゃないですかーと言われているところではあるが、人物的には同一人物なので本当に一緒だ。

MTGの流儀に従えば、宣言時に「ジェイス・ベベ便」と宣言してもこれが一番上の「ジェイス・ベレレン」を差すことは明白だ。他のジェイスなら〇〇のジェイスと宣言するなり、〇〇(パック名)のXマナのジェイスといえばよいのだから。

またこの中でとても有名ないわゆる神ジェイスは上から2番目の「精神を刻むもの、ジェイス」であるが、神ジェイスと宣言を受けて他のジェイスを想像することは少なくとも日本人プレイヤーにはありえない。

 

さて遊戯王の方はというと、正式名称を言わなくてはならないのだった。

遊戯王のカードではないが「束縛なきテレパス、ジェイス」を例にしてみよう。

「束縛なきテレパス、ジェイス」と宣言したとする。

すると相手はこう返すのだ。

「そんなカードはない」

と。

どういうことかというと、この束縛なきテレパス、ジェイスというのは両面にカードイラスト、能力が描かれているカードの裏面であり、宣言するときには表面のカード名である「ヴリンの神童、ジェイス」と宣言しなくてはならないのだ。

 

面倒くさい。。。

今度は遊戯王のカードで説明しよう、このカードだ。

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このカードはドイツ語で深き悲哀の竜という意味だそうだ。

名をば、「ユベルダスエクストレームトラウリヒドラッヘ」といいけり。

決して、エキストリームではないし、ドラッヘンでもないし、トラウリグでもない。ダスエクストレームトラウリヒドラッヘだ。

 

いや、嫌がらせかと言わんばかりに長い名称だ。ちなみに遊戯王で最も長いカード名は

CiNo.1000 夢幻虚光神ヌメロニアス・ヌメロニア(かおすいまじなりーなんばーずせんむげんきょこうしんヌメロニアスヌメロニア)

35文字!?いやまあこれは覚えやすい。

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まあ、これもいい。

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いやもうわかんねえな!?

 

というか、正確性が問われるというのなら

吃音の人が

「お、オシリスの天空竜

と宣言したら

「オオシリスなんていませーん^^」

 

さ行がうまく言えない人が

「オスリスの天空竜」

と宣言して

「オスリスって何wwwアンチ乙www」

となることもあるわけだ。

先日の記事のように遊戯王民の民度はクソなので普通にありえそうだ。

ちなみにどもり持ちは後輩に、さ行がうまく言えないのは同級生にいた。

大学の幾何の先生もさ行がうまく言えない人で、講義は聞きずらいものだった。その発音を笑う同窓生をみて、「こいつらほんま教員志望なのか?」と疑ったものだ。

 

結局何かいいたいわけでもないのだが、日本人思想が強い遊戯王と欧米的思考の強いMTGにこういった認識の違いがあるのだな、として締めたいと思う

カードゲーマーに嫌悪をリアルな嫌悪を抱いた話

モダンホライゾン2の発売日、私はなけなしの4000円を片手に近隣のカードショップに入店した。

プレリリースキットを買うと言っていた人がいたので、そちらを買ってスカイプで遊ぼうかとも考えたが、ただ6パック買うのと、コレクターブースターを買うのと、どちらがいいか天秤にかけた・・・

 

嘘です、文字通り私は4000円しかなかったのでコレブを買うことにした。

開封の結果は悪くない・・・と思いたい。悪くないよなこれ。

そのショップの店長さんは俺の一つ年下で、こちらとしては気を楽にすることができるので、しばし歓談していたところ、一人の男が入ってきた。今回の話の主役の茶髪君だ。

話を聞いている感じだと、茶髪君は、遊戯王メインでポケカははじめたて、らしい。もともと、カードショップの店員もしていたらしくカードゲームに一家言あるというタイプだ。

仕事先にラインしたらすぐ送ってくれた。と彼は店長に話していた。・・・この封筒の感じ、カード〇ッシュぽいな。ポケモン界の恥晒し、SEEDの存在しない北米産クレセリアを使用、オンライン大会でトス疑惑と真っ黒なシャ〇ンもあそこの店員だったな。

 

彼が言うには、遊戯王の人ってコミュニケーションとってくれない、そうだ。

店長がタバコを吸いに席を外す(仕事中なのにそれでいいのかとも言いたくはなるが)

期せずして彼と二人っきりになる。・・・気まずい。気の置けない人間となら沈黙が気まずいと思うことはないが、初対面の相手と二人っきりは気まずい。

彼はひたすらスマホをいじくっている。

少し話を振ってみる。

ぼく「どんなデッキ組まれているんですか?」

茶「tier1は組まないっすね」

ぼく「・・・」

茶「・・・」

だから気まずい。

その後も何度か彼に話を振ってみたが、なんとも返答しがたい答えしか返ってこない。

・・・

 

いや、遊戯王の人がコミュニケーション取ってくれないのってお前の話題のふくらまし方が下手くそなんじゃねーの!?明らかにこっちからコミュニケーションとりませんかって話題ふってんのに全部払いのけてるじゃねーかなんだこいつ!

 

などという怒りは、家に帰ってきてから抱いたもので、その場ではただひたすらな気まずさを私は感じていた。

顔なじみなのだろうから当たり前だが茶髪は店長とは話す。

ポケカのデッキを組んだばかりだそうで、店長に相手してもらい、試験プレイをしていたが

まあ手札シャッフルがすごい。

それも下手くそ。

うまいシャカパチが、延々とシャカシャカ、釈迦でーす!という感じなら

茶髪のは

シャカシャ(どっかで引っ掛かっている)・・・・シャパパという感じだ。

ポケカに相手ターンに動くことができるカードがあるなら別だが、もう相手ターンだろうとお構いなしのシャカパチだ。

相手ターンに動かないなら手札をじゃな?

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他にも雄弁に語ってくれた。

「CS前なのに調整しないのはない」

「いっぱいデッキ持ってる奴に強い奴はいない」←これはわかる気がする

「ガチだろうがなかろうが、サイドボード組まないのはありえない」

 

きっと彼にとって、カードゲームは勝利体験のための手段なのだろう。

彼に言わせればきっとカードゲームは遊びじゃないのだろう。

私からすれば歪んだスパイク思考そのものだ。カードラ〇シュの接客を考えればなんともわかるような気がする。

発言やプレイの態度からカードゲーマー特有の身勝手さがひしひしと伝わってくる。

カードゲームは遊ぶためのもの、と捉える私とは絶対にわかりあえない。

なんというか親にカードゲームなんてやめろと言われてマジギレするタイプの人間だと思った。

自分で勉強できない奴が塾通っても無駄という漫画をみて

たしかに、と納得させられた、という話です。

自分で見てきた子供(小中学生)の中で

「うおー偏差値〇〇から大逆転勝利うおーーーーー!」

という展開があった子は0です。

できる子はそのままできていきますし、できない子はできないままそれなりの高校へ進学します。

 

いや、お前、できない子をできるようにするのがお前の仕事だろ、と言いたくなるその気持ちはよーくわかります、妥当な感想だと思います。

 

ですがね、できない子にですね

「〇〇がこうなるでしょ、それでどうなる?」

と、質問しても

「(無言の無言)」

と何言ってんだこいつって眼でこちらを見つめ、そのうち

「(早く答え言えよ)」

となるのです。

 

考える、ということは、私の聞いていることはどういうことか整理し、例えば前提条件は何か、使える定理は何か、条件から得られる定理は何か、を少なくとも説明できるようにするということです。

ここで第一の絞りがはいります。

「まず、考えられるか考えられないか」

しかし、残念なことに勉強ができない子はここまでたどり着けません。

第二の絞りです。

「定理、定義を覚えているか」

例えば直角三角形の証明を習った後、普通の三角形の証明で、直角三角形の証明を当てはめようとする(定義を理解してない)

円錐の側面積を「はんぼぱい」としか覚えていないため、母線でなくその扇形の円周や円の円周で聞かれるともう手が出せない、そもそもこれが(半径)×(母線)×πの略であることも理解していない(小手先のテクニックに頼り本質的なルールを覚えていない)

これは高校数学における6分の1の公式なんかがわかりやすいですね、これで簡単に計算できると過信し使うべき場面を考えないやつです。

 

おそらく勉強ができない子というのは、勉強とは詰め込むことだと勘違いしているのでしょう。そしてその反動で詰め込み教育は間違っていると宣うのです。

勉強が詰め込みだというのは半分正しく、まず詰め込みすらしていない状況では考えるというのには程遠く、一言で言えば話にならないです。

そして半分の間違いは、詰め込んだだけでは終わりではないという事です。

人間の脳はインプットよりアウトプットをした方が記憶に残りやすいそうです。

つまりインプットした情報を、アウトプットすることでインプットした内容の咀嚼をすることが肝要だということです。

英単語をおぼえたら、英文法をおぼえたら、まずは書いてみればいいのです。そのままでは咀嚼しにくければ、自分なりにかみ砕けばいいのです。

英検準1級のテキストをみて、resilentという単語が見たことあるんだけど思い出せないなーとなっていたのですが、children  are resilent.という構文をみて、あ―たしかにそうだとすっと落ちるものがあったのを思い出します。

ちなみにresilentは弾力性のある、という意味です。

 

とにかく、インプットは勉強の前段階でしかなく、それ相応のアウトプットが必要となります。おそらくですが、学校の先生もそうした形をとっていると思うのです。

それなのに覚えていない子が大多数を占めるのはなぜか、と考えると

 

そもそも人の話を聞いていない

 

ことなのではないでしょうか?

 

私自身、あまり成績のすぐれない子に「英語の単語勉強するならこうしな」と提言したところ、「あーなるほど」とその場では納得した感じだったのです。数か月後、依然と同じやり方(ひたすら英単語を繰り返し書いている)をしているのを見て

あ、こいつ話きいてねーなとなりました。

 

要点をまとめると、できない子はそもそも話を聞いていない、聞いていても自分が理解できるよう考えない、インプットだけしかしていない、インプットしてから早い段階でアウトプットしないため、必要な時にアウトプットできない、ということです。さすがの私も考える能力がない、となどとは思いたくないのです。

とはいえ同じセリフ同じ時思わず口にするような奴にはそう思いますけどね。いい加減学べよって。

 

このなんともならない状況を何とかするには、まずはインプット、即アウトプットの流れを作るしかありません。

そのためにはまず勉強を自分事にしてもらわなければなりません。

世の中の親御さんは受験期になればおのずから勉強するなどと、思いあがっていらっしゃられるかもしれませんが、それは絶対に違います。

子ども、少なくとも中学生までは親の顔色を窺っています。そして親のそういった期待をわかっているからこそ、勉強しろと言われるのが嫌なのです。親の期待に沿おうとしているのに、そうしない自分を責められるのは嫌なのです。

高校生にもなって自分のために勉強できない奴はただの愚か者ですが、中学生まではそんなもんです。

いってしまえば受験とは「自分のために勉強する」儀式といって差し支えありません。

合格、不合格というのはタダの結果にすぎず、どこまで自分のために頑張れたか、自信が持てるだけの自己を形成できたか、そこが大事です、頑張れず結果を残せず後悔するのも経験というものです。

ちなみに私はそれを母親に妨害されました。一生恨むつもりです。

 

結局は何かを勉強するという行為、それこそ学校の勉強を離れて資格、人間関係のようなものであっても「自分のために頑張る」ことなのです。

そして勉強ができない子というのは勉強ができない→勉強が嫌いだという苦しみに捉われているのです。

嫌いだけど頑張れる、というのは美徳で、嫌いだからやりたくないのが普通です。

つまり自分で勉強できない(できなくて嫌いだから)という子どもが、頑張るための塾へ行ったところでベースとなる考え方が負けている以上、行っても時間を無為にするだけ、ということなのです。

たかが塾講師にそういった人の根底にある、深い気持ちを変えられると思う方がどうかしていると私はおもいます。

俺のHEROデッキがこんなにグロいわけない:遊戯王

www.nicovideo.jp

 

最終盤面はダークロウ(墓地除外、サーチするとハンデス)、BlooD(相手の場のモンスター効果無効)メルカバー(捨てた手札の種類のカード無効)餅カエル(なんでも一回無効)

 

以前までのわたしのHEROデッキは

「なんでかよくわからない理由でヴァレルロードSドラゴンがでてくる」

「なぜか最終的にコズミックブレイザーが出てる」

「なんでHEROでシンクロしてんだ」

「最終盤面がHEROいないし、なんならHEROである必要ない」

などと散々罵られてきていた。

そこで私は最終盤面をHEROにすべく、極力ダークロウを出せる、かつBlooDを並べることにした。

その結果、なぜか融合体であるサンライザーを二体並べて・・・

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悪魔合体させた結果が宇宙船となり・・・

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たのしい!

 

……

………

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怪物が、誕生した。

www.db.yugioh-card.com

 

動画では餅を出しているが、何分重たく出しにくい、取り回しがしにくいにもほどがあったので現レシピに落ち着いている。

水属性レベル4ガバガバ融合体・・・

そう沼地のドロゴンだ、間違えても旧神ノーデンとかいうあたおかの鎌足みたいなやつではない。

餅を使わない今、こいつである必然性は割と薄くなってはいるのだが、こいつはこいつで結構便利だ。最悪リンク素材やエクシーズ素材にしてもよし、そのまま居座って対象をとる効果から身を守るのもよしだ。

みんなもこのゲテモノHERO使ってくれよな!

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猫狩り族の長、レビュー:これは小説ではない

これは小説ではない、というタイトル、普段の私の麻枝准の評価

アニメレビュー:麻枝准が生み出した素晴らしい丸太3作 - 新食魂島

を見ると、またいつものようにクソミソに言うんですね、と思われるかもしれないが、半分正解で半分間違っている。

 

まずは間違いの方から。まあほめるとは言っていないんだけどね。

 

あらすじについては引用する。


海辺で出会った彼女は、美しく饒舌で世界で誰よりも――死にたかった。

猫が戯れるのを眺めていた女子大生・時椿は、断崖絶壁に立つ女性に声をかける。
飛び降りようとする黒髪の美女・十郎丸は、多くのヒット曲を手がける作曲家だった。
彼女は予想に反して、雄弁で自信に満ちた口調で死にたい理由を語ってのける。
人生で初めて出会った才能豊かな人間が、堂々と死のうとしている事実に混乱する時椿。
なんとかその日は十郎丸を翻意させ、下宿に連れて帰ることとなる。

なぜか猫に嫌われる死にたい天才作曲家と、何も持たない大学生。
分かりあえない二人の、分かりあえなくもあたたかい6日間が、始まった。

 

この作品に出てくる人物は、大学生の主人公(女の子)と年齢不詳の美人のお姉さん・・・いやこの二人の名前が時椿と十郎丸なのでいちいちタイプするのが面倒なのだが、この二人が作品の99%を占めていて、主人公の祖父と大学で出会ったちょっと気になる男の子が1%、あとはモブだ。

十郎丸は作曲家で自称作曲の基礎しかしらない、この世のすべてを退屈だと思う厭世的な人物、そのくせSNSを使用し自分を発信する人間だ。

そして作中の会話で音楽にやたら♭やらを入れたら歌にならないやらと言っている。

これは私の知る限り作者の作曲法そのものじゃないかと察し、

そこから

 

十郎丸=麻枝准そのもの

 

という結論をえた。言ってしまえばこの作品は作者の自叙伝と言え、そういった意味では小説ではない、と考えらえるのだ。

他の何かを理解できず、他の何かから理解されず苦しみ、レゾンデートルを求めるもそれすら疲れ果て、人の3倍とも思えるような時間の流れを感じ(断るが決してタイムトラベルだとかそういうものではなく感覚的なものである)、哲学的な問いを常に自分に課し続ける人間。

この作品を通して作者という人物がよく見えてくる。

私は嫌いだがね。

ちなみに数学者と哲学者はよく自殺で死んでいる。●●とは何かと問い続けるあまり、自分が生きる意味とは、というところにたどりつき、またその意思も強力なためだ。

 

もしあなたが作者のファンだというのなら、この作品は買いだと思う。彼の内面が赤裸々に語られているし、内容も彼らしいものだ。作者のことをもっと知りたい、という人には特におすすめできる。

面白いストーリーが読みたい、というのならまーったくオススメできない。彼のファンなら楽しめるだろうが。

 

さて、次は半分の正解、文字通り小説ではないという点について語ろう、すなわちいつものけちょんけちょんけなしだ。

 

プロローグを読む。・・・なんか変だ。本編を読み始めて数ページ、作者の大好きな無駄に高いテンションのリアクションがある、まあいつものだな。

そしてしばらくして気づく。

 

これギャルゲの台本だ。

 

想像で浮かんでくるのは、舞台のような動き連続性のあるものではなく、ギャルゲの背景、立ち絵が切り替わったりしてリアクションするものばかり。

主人公の「●●だったー!!!」というやかましいツッコミもギャルゲなら、と納得するものだった。

読み進めていくとその傾向は顕著だ。最初に●●な服装、といっただけでそれ以降の6日間、服装について触れたりする場面はない。

プロローグのシーンとクライマックスのシーンは別の場所だが崖っぷちなので、同じ背景が使われているそんな気さえする。

中盤くらいになるといよいよギャルゲ感が半端なく、地の文が消失する。

たまにある地の文はギャルゲの背景や立ち絵の説明程度のものだ。

草。

会話もひどく、ほとんどが作者の一人語り、早い話が愚痴である。

作者のファンでもなければ大体退屈だ。

地の文が薄いものの代表格に「化物語」がある。

あれは情景描写よりもキャラ同士の掛け合いを楽しむものだし、少なくともどんな場所、どんな雰囲気なのかは描写してくれる。

この作品における会話は、掛け合いというより問答に近く、そして問いに対しての答えはない。となるとどうなるかというと、一方通行の会話になるのだ。作者の分身たる十郎丸先生独演会だ。うーん微妙!

 

まあ別に、ギャルゲっぽいからダメというつもりはないんだけd・・・いやダメだなこれは。景色、セリフ以外から読み取れるしぐさ、感情、ああこれギャルゲなら勝手に絵が説明してくれるんだ、だから描写がないんだな。納得。

 

ギャルゲの台本であることを差し引いてもひどい。

セリフ以外から読み取れる情報がない、文体が主人公の一人称視点なのでその情報が全てだが、そこからもほとんど読み取れない。

このストーリーはガールミーツガールだが

一般的な流れでいけば

「出会う→相手を知る→変化がおきる」

となるところを

「出会う→相手を知る(正しくは知ったような感じになる)→特に何もおきない」

・・・クソか?

作者脚本のアニメ3作でも同じ流れだった。

キャラクターと出会うが、内面や行動、周囲になんの変化ももたらさず、結局お前何がしたいの状態に陥る。

十郎丸というキャラは非常に面倒くさい。

この小説もどきはこいつの駄々に延々と振り回されるだけのものだが

「十郎丸さんって●●なんだな」と思うこともなく「十郎丸さんの●●なところが魅力的だ」というのもない。ほめているのは外見だけだ。

私が気づいてないだけで主人公の内面には変化が起きているのかもしれない、ちゃんと見ればそういう描写があるのかもしれない、だが私はこれを見返したいとも思わない。

おっさんがこねているわがまま、駄々を見せつけられて喜ぶ趣味は私にはない。

 

最初に出てくる登場人物を挙げたが、その中の一人、主人公が大学で気になる男の子がいるのだが、彼の存在意義とはなんだったのだろう。

「神様になった日」で言うなら5話目のないイザナミサァンみたいなものだろうか。

おじいちゃんも、ほとんど存在意義がない。

このおじいは自殺の名所でその自殺志願者を引き留めることをしていて、たまたま主人公が代わりにやっていてそこに十郎丸がきた、というのがストーリーのプロローグだが・・・このプロローグ以降、クライマックス手前、作品の進行で言うと9割をすぎたあたりまで出てこない。

しかもその役割は、十郎丸の考えが有名な哲学者たち、プラトンやら荀子ソクラテスと同じであると教えるだけの役割である。

なんなんだこのおじいはwikipediaか。wikipediaでいいじゃんもう、いらねえよこのジジイ。

せめて途中でおじいに相談するとかして、へえー十郎丸さんってそういう考えだったんだーと気付かせるロールでも持たせればいいのに。

多分ラストでかっこよくキメたかったんだろうな、という作者の意図が見えて萎えます。そのせいでキャラの存在意義がなくなってんだよなぁ。というかこれもいつもの麻枝作品じゃん。

しかもその哲学者を挙げるシーンがこのクソ作品の中で一番面白い。なぜなら

なぜなら

なぜなら!

 

ミルクボーイのパクりだからです!!!!

 

・・・えーとクリエイターが他人のパクリでほめられるってどうなんですかね?

 

そして、このクソのタイトル、猫狩り族の長、というものだが・・・Angel Beats!みたいに何か深い意味があるんだろさすが麻枝先生だぜ!!とはならない。

残念ながらこれはcharlloteの方だった。特に意味はない。エピローグでチョロっと触れる程度だ。一応伏線っぽく猫の描写を詳しく描いているが、特に意味はない。

オチに関しても、まったくいいと思わない。そこは個人の感想でしかないのだが、そこに至るまでの描写があまりに稚拙で、クライマックスを迎えた時はようやく話が終わってくれるぜと思ったくらいだ。

山なしオチなし意味なし というわけではない、確かにオチも意味もなかったが山はあった。

優秀な作品が富士山を作るとしたら、これは高尾山といったところだが。

中盤までが終始しらけるのに山場が面白くなるはずがない。・・・やっぱりいつもの麻枝准じゃないかいい加減にしろ!!!

アニメ、特にクラナドまでの京都アニメーション産のkey作品が評価されたのは、9割以上アニメーション制作人の優秀さ故だと私は思っている。

別にP.A.Worksが劣った存在だと言うつもりはないが、比較したとき格が落ちるのも確かだ。それでもAB!はバカに売れた。

さてそういったアニメーションスタッフのない本書だが、そりゃもう「あこれいつものだ」と悟る程度の出来でしかなかった。

前々からこのゴミ作者の作品を褒め称えるやつはバカしかいない、と言ってきたがそんなひどい考えは心のどこかで否定したいところがあった。

どこか光るところがあるんだって少しでも信じてたい。

 

そう信じた俺がバカだった。こんなに味も匂いも、色彩も感じられないものに執着してるクソオタクはゴミだ。

もう今度からそう公言していくことにする。

 

<総評>私は麻枝准の信者はバカでどうしようもない人間だというが、もしあなたがそうであるというのならオススメします。

もしあなたが、そうでない人、麻枝ファンでない人にオススメしようとするのなら、その人が自分と似た人間であるかどうかを見極めてからにしましょう。まともな感性を持っている人に渡した場合、あなたの自尊心はズタズタに引き裂かれるでしょうから。

 

 

追記

shokutamalog.hateblo.jp

よんでないよ、せんせい

ヤフコメはこの世の地獄、とはよくいったものですが、地獄めぐりをするのもまた一興です。

 

あ、こいつ頭わるわるだな!?

なコメントもあれば

なるほど、こういう考えね

と思えることもあり

いやあ人間って色々いるなぁと思うわけです

 

さてそんな地獄の中でも地獄なコメ、それが「こくごのせんせい」だ。

 

どんな優秀な人間にも、たまにはミスを犯すことがあるのですから、この世の地獄たるヤフコメ民なら呼吸をするようにミスります。

 

 

そのようなふいんきの中でゲームをするのは大変だ。

 

とのコメントがあるとします

こくごのせんせいは即座にシュバり

 

ふんいき ではないでしょうか

 

などとリプを飛ばす。

うっせえわ。

測ると量るを間違えようものなら、即座に飛んでくるぞ。

誤用にもうるさい。

言いたいことはわかるからいいだろ。

 

類似例としては「さんすうのせんせい」もいる。

〇〇の確率ってどれくらいだろうなー、といえば、

 

FF外から失礼するゾー

そのツイート面白すぎィ!自分アンサーいいっすか?

〇〇と△のとき、確率は何分の何でー

それに×のときの確率があるんでー(以下略

 

いいから結論だけいえよ、と言いたくなるやつだ。

 

こういう発言をする奴とはどういう奴なのだろう・・・真面目、学校のお勉強はできる・・・

 

うーん、よくわかりませんがチーズ牛丼くってそうですね!