新食魂島

王様は裸です、と叫びたい夜。

カードゲーマーのイカれた金銭感覚

無惨様もカードゲーマーはいかれてるっていってるから。

 

私はカードゲーマーだ。

小5の時に友人に誘われて買った遊戯王のパックを皮切りに、今でも遊戯王、3年前からMTGを始めたクソナードだ。

ちなみに遊戯王カードを初めて買う際、いい子ちゃんの私はママに

「買ってもいいか」

と聞いた。

 

ママは

「1パックだけよ」

といった。

 

私はその言いつけを律儀に守り、1パックだけ購入しスカをひいた。

それからしばらくして、コンビニでパックを買っている私がいた。

ママが買っちゃダメと言ったのに、買ってしまったので、開けたパックの残骸はクローゼットの奥のおもちゃ箱にぶちこんでおいた。

もちろんしばらくしてバレる。

そうしてママはわるいこの私にこう言った。

「どうせすぐやめるのだから買っちゃいけません」

 

母は、おそらく、パパにマフラー作ると言って毛糸だけ買って逃げた姉、合唱班から逃げた姉を先例だと思いこういったのであろう。

 

そして今、母は私にこう言うのだ。

「お願いだからカードは辞めて」

知らん、と32歳の私は切り捨てるのであった。

 

さて自分語りはこれくらいにして、カードゲームというのはやたらに金がかかる。

常に最新のアップデートを希求し、自らのデッキをより強くより良きものにしようとするのだから当然だ。

カードゲームは

与えられた環境で、いかに自分が踊れるか、という

リアルライフで問われる厳しい課題を、ゲーム、娯楽という形で楽しむことができるためのツールだ。

デッキ、それも一線級のデッキを組むためには、とてもパックをちまちま買っているだけでは間に合わず、カードショップ、通販を用いる必要がある。

んなアホなと思われるかもしれないが、よく考えてほしい。

 

カードゲームにはカード毎にレアリティがあり、ボックスで買ったとするならば、そのボックスごとに封入率が定まっていて、さらに欲しいカードが必ず入っているとは限らないのだ。一言でいえば非効率だ。

 

もしあなたのパートナーがカードゲームにはまっていてそういった店舗を利用するのならば。

パックを無駄に買うよりましと思おう。制御したいのならば月額の上限を提案するといいだろう。ちなみにカードを買わせないと呼吸困難を起こし、最悪の場合死に至るので気を付けてほしい。

 

さて先ほど私はパック買いは非効率だといった。

私にとってパック買いはガチャ欲を満たすための道具である。偶然にいいカード、欲しいカード、高額カードが出たらうれしい。そのためのものだ。

貴方は、一般的に見かけるガチャガチャにいくらまで出せるだろうか。

間違っても5桁にはいかないだろう。

よくて1000円、ソシャゲのガチャなら3000円、出せてその程度だろう。

 

だがカードゲーマーは違う。

一箱3000オーバーのカードのボックスをジャブジャブ買う。

もしかしたら、ショップや通販の中古は嫌で、新品が欲しい主義者なのかもしれないし、それともショップの効率より非効率に身をゆだねるのが好きなマゾヒストなのかもしれない。理解不能だ。

私に言わせればただのギャンブルジャンキーと大差ない。

ジャンキーがパッキーに金額をぶち込むのと同様だ。

快楽への衝動が強すぎるのか自律がパーなのかは知らぬが。

 

さらに、悪いことにシングル買い、ショップでカード単体を買う時にもそのイカれた貨幣概念を見せてくれる。

曰く、1万円のカードが9千円で買えたからアド、だそうだ。

 

単価考えてくれ。

いや、わたしにもそういう側面はあるのだ。3千円のカードが傷アリで2千円切ってる!買い!という衝動に身を任せて購入したこともある。

いやもう、紙一枚に千円超えてる時点であたおかだから!

なんでたかが遊びにそこまで金を掛けねばならぬのだ。(そこにそういう値がついてるからだけど)

一般的な認識からすればカードゲームというものの立場は高くない。むしろ地を這っているだろう。

せめて、2千円超えるのなら躊躇してくれ。ブルジョワじゃないんだから。

 

ちなみに今のたとえで使った傷アリ2千円のカードだが、それを買った翌週、構築済みデッキにレアリティを下げて収録と相成った。そのため、書籍付属でもう手に入らない、という一点で価格を保っていたそれは一気にその相場価値を失った。クソが。

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カードゲームでの悪ふざけ。(MTG:モダン)

ゲームは真面目に不真面目がモットーです。

 

 

さて、今私はこのカードでドラッグガン決めスーパーウィンを決めたくて仕方がない。

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このマローがマリファナきめながら作ったとしか思えないこのドラゴン、6マナ6/5飛行トランプル、とスタンダード的な目線で見ればそこそこイケてて、モダンレギュとなるとほかにもっといいやついるだろとなるが、こいつには特殊勝利条件(限りない敗北フラグ)がある。

アーティファクトを20個以上コントロール

ふむ・・・さすがにダメージを与えると相手のアーティファクトを奪い取る能力があるとはいえ、普通のデッキでは3個揃えられればいいところ、しかし自前で用意するには少なくともデッキの3分の1近くをアーティファクトに回したうえで、こいつが出るターンまでしのぐ・・・

 

いや無理だろこれ。

一応こういった、アーティファクトを水増しするカードがあるのだが

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それをやるなら、この手のトークン単体で立ってる状態の時にも役立つ

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これでも立てておいた方がましというものです。

要するに、このヘルカイトの暴君とかいう奴で勝とうとすると別の勝ち筋が生まれてしまい、そちらの方が優秀、ということです。

チキショウ。

 

そしてこのカードの何がたちが悪いかというと、多人数、比較的マナアーティファクトを使用する、統率者戦における需要があり

そのつまり、地味に高い。一枚1000円の悪ふざけだ。

クソニートの私には財布に超打撃である。

 

 

 

ん・・・なんだこのカード?

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・・・強い!間違いなく強い!さいきょう!TUEEEEEEEEEEE!(ラヴァルバルチェイン)これで相手のカード全部奪えるじゃないか!!!

 

 

まあそれはともかくこちらの画像をご覧下さい。

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TAKEEEEEEEEEEEE!

そしてこの画面をさらに下にスクロールするとぉ?

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>このカードはモダンで禁止されています

 

war is over.I am dead.

続・ゆたぼんはks

いや、12歳児に何を言っているんだお前は、と言われても仕方がないが、クソなものはクソだから仕方がない。

連立方程式という足し算と引き算、掛け算をするだけの計算ができないのが悪なのと同じだ。

まずはニュースからの引用。

東京スポーツ

>中村氏は「『不登校の子を擁護してその子の将来に責任とれるんですか?』って質問してくる人いるけど『じゃあ、あなたは学校に通い続けて人生上手くいかなかった子の将来の責任とれるんですか』って話」とツイートした。

 

自分と同じように、成功への正道である学校へ行って、それでも失敗して人生がうまくいかなかった人のフォローをするのは全く構わないが、

勝手に自分のやりたいことやります、お前らはバカだから気が付いてないだろうがな、と人を見下しながら道を外れた奴が、やっぱだめでしたwwwとおめおめと戻ってくるのはクソむかつきます。

 

このアホ親は、「自分の人生に責任をとれるのは自分だけ」と親としての責任を放棄しているように見えるから人々のヘイトを買うわけだが。

この親の言う子どもの自由を許してたら社会は立ち行かない、学校は正しく商品を作る場所だ。だからこそ皆そこに通い、模範を学び、社会秩序を学び、学を学んでいるのだ。

正直、学校の勉強なんてクソどうでもいい。ルールを守る遵法精神くらいがあってくれれば、最低限社会の中に適応できる。他の難しいことは頭のいい連中がやってくれる。そいつらに使役させられる、うまいよう扱われるのでいいのであれば、という但し書きが付くが。

 

あれ、前回も同じこといってるわ!?

賛否両論、人それぞれ()

世の中には様々な意見がある。

あるものを肯定的に見るものに対する批判意見、逆に批判的に見る者に対する肯定意見。

私は自分とは真逆の考えをできる限り知りたいと思う。

傲慢に過ぎるが、自分がそうだと思っていることに対して、それを押すような意見は心は救われるのだが、あまりそういった自己と同一の意見に対しては強く心を動かされない。

逆に自分と違う考えをみて、なるほどそういう考えもあるのか、と思ったり、なにいってんだこいつバカか?と思ったりする方がエキサイティングだ。

だからこそどうしても理解し得ない、この世のダークマターに対して文句を言っているのがこのブログだ。クソかな?

 

私は、自分のことを正しい人間だとうぬぼれている。私の理解し得ないものを褒め称える連中はゴミだと思っているが、私がよいと認識しているものをたたく人間には寛容でありたいと思っている。

今回の話は前者のパターンだ。このブログで取り上げている、麻枝准のクソアニメ

shokutamalog.hateblo.jp

 を褒め称えている、頭keyヒロインのクソオタクの戯言によくあるコメント。

それこそが「人それぞれ」「賛否両論」だ。

この二つの言葉の有するところは、みんなちがってみんないい、だ。

私はこう思うよ、あなたの考えもわかるけどね。ということだ。

基本的には他者の肯定のための言葉だと思う。

 

だが私はこの言葉を使っている奴らが正しくこの言葉をとらえているとは思っていない。

私は、先ほど述べた通り傲慢なまでの自分至上主義、そして鍵オタクは頭のおかしい奴しかいないと思っていることから、

どうせこいつら否定意見なんて言い返せないだろうし、認めすらしないだろうな、

としか考えない。

この言葉をいう奴は大体、自分自身の肯定のために、人それぞれなどと抜かすのだ。

そして、議論から逃げる。ふざけるな。

そもそも、ものの考え方で人それぞれなのは当たり前のことだし、そのうえで最大公約数的に問題解決を図ったり、互いの考えを交換することこそが最も尊いのにそれをぶちこわしにするのだ。

この言葉を軽々しく使う奴は大抵私が低く見下している作品を好む連中ばかりだ。(といってもそう見ているのはこの3作とクソそのもののなろう系くらいだが)

 

麻枝3作については、私はもはや理解を諦めている。信者コメをみてクズしかいないと思うための道具だとしかとらえていない。

そして人それぞれなどと思いたくもないのがこれらの作品だ。これのファンが同じホモ・サピエンスだと思うのは苦痛だ。

こんな低級のシナリオしか書けないのがエロゲ界のビッグネームだと思うと泣けてくるぜ。

 

長いのでまとめると、それをいっちゃあおしめえよ、ということである。

ダークロウ先輩

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間違えました。

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遊戯王においてHEROモンスターとは、アニメ「遊戯王GX」の主人公、遊城十代エド・フェニックスの使用するモンスター群である。

十代はE・HERO(エレメンタル)、闇落ち時にE-HERO(イービル)、エドD-HERO(デステニー)を使用する。

十代は融合という魔法を「HERO同士のつながり」とし、融合モンスターをくりだしていき、敵をバッタバッタ倒していくのだ。

 

ああ、中黒とハイフンで扱いが変わるので熱狂的信者の前ではHEROとだけ言うのが無難だ。またエド役の石田彰氏はガンダムSEEDアスラン役を演じていて、その彼がデステニーデステニー連呼するのも何か因縁めいたものを感じる。

 

さて、今回のダークロウはM・HERO(マスクド)と呼ばれる、漫画版十代の使用するモンスターだ。

マスクドの名前の通り、魔法カード、マスク・チェンジでしか場に出すことができない制約があるかわり、通常の融合のように2体以上のモンスターを用意する必要がない、条件さえそろえればリソースの消費が少なく済むように作られている。

なんで漫画とアニメで違うのさ、というと漫画版はオリジナルモンスターを使ってほしいとのことだったらしい。影山くん・・・

 

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マスクチェンジではチェンジ元のHEROとチェンジ先のHEROの属性を合わせる必要があるが、E・HEROにはエレメンタルの名の通り様々な属性のモンスターがいるのでそれぞれに対応したチェンジ先のHEROを用意することでどんな場面でも強力なモンスターをだせるというわけだ。

 

融合HEROモンスターの性質、モンスター効果に触れていくが、基本的には殴ることに特化した性能になっている。

相手の攻撃力をダウンさせる、場のカードを手札に戻す、破壊するといった、いわばカウンターで殴るというのが基本だ。

そりゃそうだ、主人公がハンデスしまくるとか、デッキデス狙ってくるとかさすがに絵面がヤバイ。遊戯王主人公の戦術は陽キャのものでなければならないのだ。

肝心のダークロウだが、なんと漫画版では効果がないただのバニラモンスターだった。

ただの攻撃力の高い案山子でしかなかったのだ。

そしてこれがOCG化されるに際し、効果が付与されるのだが・・・それは後程。

 

このマスクチェンジのギミック、実はカード化された直後は

「チェンジ後のモンスターが少ない」

「マスクチェンジをサーチする手段がないので戦術に組み込みにくい」

「そもそも融合しても勝てない」

などといった悲惨さを抱えていた。

この当時は5D’sの時期、つまりシンクロ召喚が全盛期で、サモサモキャットベルンベルンだったわけで・・・なんの展開札もないHERO、一応ヒーローアライブがあったが、本当に出したところで何も仕事しないので実質死に札であった。

ところが、ZEXALにおけるエクシーズ召喚の導入はHEROに一筋の光を与えた。

そしてHEROからランク4が充実してくると環境デッキにも名前を連ねるようにもなった。

当時のワンキルルートで

アライブからエアーマンSS(特殊召喚)→バブルマンサーチ→あらかじめデッキに入れるモンスターを減らすことでバブルマンの特殊召喚をしやすくしておいてバブルマンを出す→機甲羅忍者ブレード・ハートSS効果でエアーマンを墓地に落として二回攻撃可能に→戦士の生還でエアーマンを戻す→エアーマン通常召喚バブルマンサーチ→バブルマンSS→H-CエクスカリバーSS→2200×2+4000でワンキル

 

というのがあったがこれが割と高い確率で決まるので恐れ入る。

しかしこれは後攻で強いデッキであって、その当時の潮流である先攻でカードをだして相手の動きを封殺する、という動きはできなかった。

どこまで行っても脳筋で、またそれでいいと思われていた。

 

あの時までは。

 

2014年5月のこと、私はバイト代が入りホクホクになっていた。そしてその金で以前から欲しかったこのカードを購入した。

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このカードは別段超強いというわけではない、しかしその当時3500円はザラで販売されていた。

理由は明快、このカードはVジャンプの定期購読でもらえる希少性の高いカードだったからだ。

しかしその当時からHEROを愛用していた私にはどうしても欲しいシロモノ、そりゃ買う時は若干ためらいがあったが、購入した喜びは格段のものだった。

 

その二日後くらいにHEROをテーマとした構築済みデッキに再録されるのを聞くまでは。

そしてこのデッキは今までのHEROの常識を覆した。

 

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シャドーミスト。このカードが特殊召喚に成功したとき、マスクチェンジと名のついたカードをサーチできるという、いままでのマスクチェンジの欠点であるサーチ手段というものが用意されてしまった。

それだけならよかった。

このシャドーミストは闇属性なのでこのカードからダークロウを出すことをできる。もう一つの効果はマスクチェンジをサーチした場合使用できないが、ターンをまたぐことで使用できるので、このカードからダークロウをだすのは相手ターン中というのが基本であった。

さてダークロウ君の効果を見てみよう。

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・・・なんでHEROが制圧系の効果もってるんですかねえ・・・。それもどえらいレベルの嫌がらせをしてくる。

このストラクチャーデッキは本当に革新的でこれを3つ買えばちゃんとしたデッキが作れるほどだ。

だからってこれは・・・

 

案の定、ものすごくヘイトを買った。しかしこいつ単体だけならHEROデッキからでてくるだけだし・・・

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そんなことはありませんでした。このカードは手札1枚を引き換えに、元のモンスターよりレベルの高いM・HEROを出すことができてしまう。なによりデッキを選ばない。

 

こいつのせいで闇属性が入るデッキならとりあえずこれ入れといて困ったらダークロウである。

はい、すさまじいヘイトです本当にありがとうございました。

この後HEROは餅カエルという相棒を得て、余計にすさまじいヘイトを買うのはまた別の話。

 

このように使い手からは愛され、使われる側からはキレられるダークロウ、実はずっとHEROデッキを使用し続けている私のデッキから一度だけ抜けたことがある。

カードパワーは強力だが出せなければ意味がない、というのが理由だった。

そして今はかなり安定して出せるようになったので復活した。

こうして今日も俺はヘイトを集めるのであった

 

ゆたぼんさん!?あなたはただの不登校さんですよ!?

別に不登校だから悪い、という意味ではありません。

 

ゆたぼんについては・・・

 

ウザァアアアアアアアアイ!説明不要!

 

な存在ではあるが、彼、または彼の父親の主張について少し考察をしてみよう。

・・・そのために彼の動画をいくつかチェックしているのだが、もし許されるのならば、そりゃもうありとあらゆる手段で、

 

わからせたい。

なんなら彼をわからせ役にしたオネショタ本が欲しい。

VTUBERと絡みあったし、ちょっと伊丹警部のタイプの叱ってくれる系VTUBERとのオネショタ・・・

うんいいね!

 

さて私のこじらせた性癖はともかく彼の主張を整理しよう。

 

・学校に行ってみんなと同じことをするのはロボットのすることだ。

・中学校の校則やべえwwwあほらしいルールしかない(制服の下、長袖禁止!?→沖縄だしまあ)

・親は教育を受けさせる就学の義務があるであって、学校に行かさせる義務ではない。

・一番大切なのは自分の心、命

・アンチは黙って自分のことしておきや

・自分で責任をもって中学校に行かないことにした

・アンチは自分みたいのが大成功したらうらやましくてしかたなくなるのが怖いだけ

・今、YOUTUBERとコラボできて楽しんでいるのも、こういうことをし続けたから

・応援してくれている人達もいっぱいおる。

 

・・・正直な、あの甲高い落ち着きの声聞くの疲れんだよな・・・目の前にいればカウンターできるけど。

 

一つ、気になるトピックがあって、それは

・親は教育を受けさせる就学の義務があるであって、学校に行かさせる義務ではない。

というところ。

子どもには一切の義務が課されていない(憲法おける義務の考えは成人にのみと考えるのが妥当) 

 

憲法第26条第2項  すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

 

ここでは確かに義務教育を受けさせるとはなく、あくまで普通教育を受けさせる義務があるとしか言っていない。

そしてここでいう普通教育とは実は定義があやふやで(そうでないと不登校の問題で面倒だし妥当)

 

ここで学校教育法21条

第二十一条 義務教育として行われる普通教育は、教育基本法(平成十八年法律第百二十号)第五条第二項に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

 学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
 学校内外における自然体験活動を促進し、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと。
 我が国と郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うとともに、進んで外国の文化の理解を通じて、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
 家族と家庭の役割、生活に必要な衣、食、住、情報、産業その他の事項について基礎的な理解と技能を養うこと。
 読書に親しませ、生活に必要な国語を正しく理解し、使用する基礎的な能力を養うこと。
 生活に必要な数量的な関係を正しく理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。
 生活にかかわる自然現象について、観察及び実験を通じて、科学的に理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。
 健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養うとともに、運動を通じて体力を養い、心身の調和的発達を図ること。
 生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸その他の芸術について基礎的な理解と技能を養うこと。
 職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと。

 

これらを兼ね備えたものを普通教育と定義しても差し支えないだろう。

そしてゆたぼんの問題点はこれの第一項、自主自立、協同の精神、規範意識、公正な判断力 というところだろう。

彼の主張は「俺はしたいことをする、他人には縛られない、みんなもそうしよう」だ。ここから感じさせられる

規範意識の薄さ」は相当なものだ。

もし彼が本当にみんなも他人の決めたルールなんかに縛られる必要がない、みんなもそうしようと思うのなら、学校へ行ってそういった解放活動でもすればいい。

しかし彼はそうしない。

この規範意識、とは違うが、算数や国語、英語、面倒なのですべての教科において大事なことは

 

ルールを守る、ルールを使ってルールの範囲内で動く

 

ということです。小中学校の児童生徒で、他人のいう事を素直に聞く、考える、普段から校則をしっかりと守る、そういった悪い言い方をすれば「いい子ちゃん」、よく言えば模範的生徒というのは大抵学校の教科の出来というのはいいはずだ。

 

さて彼がやっていることは、「彼の知っている彼なりの正しい理論を自分にだけにする」要するに、他人なんかどうでもよく自分のしたいことだけをするガキそのものだ。社会の発展になど寄与できない。

そもそも彼の言うように皆がしていたらこの世界はカタストロフィーだ。

働きアリの8:2の法則とはいうが、したいことだけをする2割に、なぜ勤勉な8割がワリをくらわねばならぬのか。

悪いことに親が介入しているから余計にたちが悪い。この誤った理論を肯定し、より増長させている。歪んだ価値感を植え付けている。

 

学校教育法22条では

第22条   保護者(子女に対して親権を行う者、親権を行う者のないときは、未成年後見人をいう。以下同じ。)は、子女の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満十二歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを小学校又は盲学校、聾学校若しくは養護学校の小学部に就学させる義務を負う。ただし、子女が、満十二歳に達した日の属する学年の終わりまでに小学校又は盲学校、聾学校若しくは養護学校の小学部の課程を修了しないときは、満十五歳に達した日の属する学年の終わり(それまでの間において当該課程を修了したときは、その修了した日の属する学年の終わり)までとする。
2   前項の義務履行の督促その他義務に関し必要な事項は、政令でこれを定める。

 

すくなくとも、親というのは小学校中学校に行かさせようとする必要がある。

もし最寄りの学校が不信だというのなら、違う学校を選びそこに通わせようとしなければならない。

さてこの中村とかいう親は・・・しようとすらしてないですよね。

これは法律に反しますよね。

一番大事なのは自分の心やろ、といっちょ前に抜かしているが、お前は少しでも他人の心を慮ったことがあるのか?

他人を尊重できないで言うその発言はただの自己チュー宣言以外でもなんでもない。

 

そもそも他のYOUTUBERとコラボしたなどと言っているが、それは金や話題性になるからだけで、この先5年程度で、彼はホイ卒パパのペットになるが、その時、お前にどの程度の価値があるんだと。

成功したら面白いね、人の感情を逆なでするだけの下品な売り方だとは思うけど。

でもまあ失敗するだろうね。

グラブル引退勢の記事をみて思ったこと

さて、10年くらい前、モバマスあたりが全盛期だったあの頃、私はスマートフォンではなくガラケーを使用していた。

私が今のiphone7plusにしたのは、これが発売された当初なのだから2015年あたりまではガラケーであった。

理由は単純で、変える必要がなかったからだ。それどころか、スマートフォンユーザーを「お前バカなのに携帯だけスマートなのかよ()」と言うほどには、アレだった。

 

それはともかく、10年前、というとスマホが普及しだした直後で、ソシャゲというのもこのあたりから公然と多くのユーザーが使うようになっていった。

 

そしてOTDR式である。OTDR式とは何か、というと説明するのもあれだが「バイトなしの学生が50kモバマスに課金して水着ちゃんみおキメる」ことである。

 

それを見た私は「やっぱソシャゲはバカがやるものだわ」という意思を強固なものにした。

当時の私曰く「賽の河原」「札束と時間で殴りあってる」「お前ソシャゲなかったらずっと黙ってそうだな」「おんなじところをぐるぐるしてる姿が、自分のしっぽを追いかける犬」

 

散々ないいようだが、これは現在でもそれほど変わっていない。

そもそも、いい年をした大人が口を開けばゲームの話しかしないというのは恥ずかしい。それではただのでかい子どもだ。

そしてソシャゲのばかばかしさは、「どう工夫して」敵を倒す、収穫を得るということより、「いかにいいキャラいい装備を整えて」「最大効率のみで」「最大の結果を得る」ことにのみ終始していることだ。

レベルをマックスにする、スキルをマックスにする、これらの行為はどうしても敵が倒せない時する最終手段のはずだ。

敵に行動パターンがあるなら、それに応じた自分の行動を選ぶ、そうして少しずつ勝利へ近づくのがゲームであるはずだ。

 

しかしソシャゲは違う。レベルマックス、スキルマックスは前提、これによってレベリングは「勝つためにする選択肢」から「しなければならないこと」になる。

そしてソシャゲユーザーは短絡的なので、敵の行動パターンはネットで予習済みだ。

そんなに負けるのが嫌か。

そうしたユーザーの増加は生配信などでも悪影響を吐き出してくれる。

最大効率のプレイしかしらない猿が、すべてを知ったような口で「この敵には〇〇すればいいですよ」と言う、いわゆる名人様だ。

そしてその猿は、効率の悪いプレイを見るや否や、キレ散らかす。

 

とにかくこういったユーザーは「負ける」という行為を嫌う。

 

楽しく真剣勝負ができる

 

というゲームを

 

勝つ快感を得る手段

 

としか思っていない。

 

さて表題の、グラブルに触れよう。

正直、ソシャゲとしては100点あげてもいいだろう、つまりゲームとしてはクソだ。

古戦場のシステム、ガチャシステムはソシャゲの根本思想である「金と時間のあるやつが勝つゲーム」そのものだ。

そしてプリコネのクランバトル、スクフェスのスコアバトルにあたると思われる古戦場で出すスコアは、「自分がいかに暇な人間か」をアピールするためのものだ。

プリコネに関しては正直、かばえない、グラブルと同じだと思うが、スクフェスは少なくとも音ゲー部分をプレイするというゲーム部分があるので、ギリギリゲームといっていいだろう。

基本的にはくだらないとしか思えない。

 

今、「ソシャゲは金と時間のあるやつが勝つゲーム」といったが、これを正しく繙くと、金とはせいぜい一回のガチャの天井、9万円を定期的に得られる層、つまり社会人であれば自分の生活を無視することでなんとかやりくりできる範囲の金で、時間とは自分の生活を無視することでやりくりできる時間だ。

つまり、社会人であればだれでもできることなのだ。学生なら金銭的な縛りが大きいが。

一般的なゲーム、対戦ものに限定すれば、これに勝つためには「時間と努力、自らの能力の向上」が必要だ。

しかしソシャゲは「金と時間」である。

ソシャゲにはまるような奴は大抵努力を嫌がる(偏見)、できることならすぐに勝ちたいし、すぐに楽したいのだ。

ソシャゲはそういった人間でも勝てるように(思えるように)、作られている。

 

これは私の偏見にすぎる偏見だが

「ゲームをやりこみました」という人間の中で「全員レベルを100にしました」などと抜かす人間はゴミだと思っている。

それは時間を掛ければ誰でもできる、ただの作業であってゲームではないからだ。

私にはそういった人種のその発言は「私は暇人です!」と言っているようにしか見えない。

ソシャゲも同じだ。

スコア〇〇稼ぎました、などというのは、「私は運営様の家畜です」と自己紹介しているに他ならない。

普通の人がちょっと努力すればできることをドヤ顔でいうな。48時間くらいぶっ通しでやり続けて、スタミナ回復に〇万つぎこんだ、とかそれくらいのことをしてからドヤれ。

普通の人ができる努力程度ならまだ努力と言うべきではないだろう。尋常じゃないからこそ努力の価値が光るということを知ってもらいたいものである。