新食魂島

王様は裸です、と叫びたい夜。

アブザンパーミッション:MTG(パイオニア)

いつもの通り実際回したわけではないので・・・たぶん行けると思います、こういうアイデアもあるよ程度に。

 

MTGにはこのような格言がある。曰く

「同じ能力のカードが2種類あればそれはデッキになる」

である。

最近のレガシー環境ではハンデスが弱いとされている。トップから引くカード1枚でメンコされる可能性が高い上に、そもそものカードパワーがどれも同量に強力だかららしい。

なるほど確かにレガシーならそうだろう、そんな気がしてくる。

ただパイオニアならどうだろうか?

イオニアならまだまだカードパワーにばらつきがあるといえるだろう。

そうまだまだハンデスは悪い文明なのだ。

イオニアで使える強力なハンデスカードとしては思考囲いがあるだろう。

ライフ2点を犠牲に1マナで1対1交換ができるナイスカードだ。

サンダージャンクションでの再録で少し値が下がったこのカード、今だけだぞ!!

ちなみに私は再録決定1週間前に1枚シングル購入してしまった、なに致命傷で済んだから問題ない。

 

 

2枚ハンデスなら墓地対策を兼ねる真っ白もあるし、PWならヴェールのリリアナおばさんもいる。・・・ダブリエル君もいるぞ!

 

とはいえハンデスだけでは勝利できない。所詮は1対1交換にしかならないし、ハンデス行為は相手の勝ち筋を潰す、自分の負け筋を潰すためのことであって、自分の勝ち筋を通すものではないからだ。

そこでクロックを追加したいのだが・・・やはりここもハンデスを交えたいところだ。

黒にも帆凧の掠め取りがいるがさすがに1点では細すぎる。

そこで白の出番だ。

もっとも白は疑似ハンデスという形になるのだが、精鋭呪文縛りという3点クロック兼手札崩し要因、そして最新のエイヴンの阻む者

で相手のテンポを阻害しまくる、そしてもじもじしてる相手をよそめに早いクロックを刻んでいくのだ

 

www.hareruyamtg.com

ということでデッキという形にするならこうだろう。

ハンデスカード2種8枚、中隊でハンデスをしながらクロックを刻みドラニスの判事で封じ込めを図る。

雑に相手メインフェイズにえい!すればいいだろう。

 

・・・・・・

エイヴンの阻む者高い!

 

グランドスラム(パイオニア)ネオニューゴージャスエディション:MTGデッキ紹介

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今回の発見は金色の両翼である。

【MTG】《金色の両翼/Gilded Pinions》[SNC] 茶C

 

なんと装備品のくせに出すだけで無条件で宝箱が生成されるぞ!

ビルギで生成した赤マナ2マナでこれを出す→ビルギの能力誘発で1マナ、宝箱で1マナ(白マナに変換)でトントンなのがいい霊体のヤギ角だと返還に3マナかかるからな!

そして装備品なのでスラムでドローができちまうんだ!

 

さらにニューフェイス!カルドハイムへの侵攻だぁー!

カルドハイムへの侵攻|カードギャラリー|マジック:ザ・ギャザリング 日本公式ウェブサイト

手札を全て追放してそのカードは次のターンまで使用可能、そして追放した同じ枚数を引くこのカード。

もともと場に出した装備品を回収する役割のカードがもう少し欲しいと思い、もう一度青をタッチして逆説的な結果をいれたのだが・・・

フルタップの状態でマナがたまっているのにフィルターがないせいで青マナが出せない状態が何度も発生するので、さすがに予想以上のストレスとして逆説的な結果を外すこととなった。

フルタップの状態で赤マナだけ生み出される状況でキャストできないのは雲遊も同じなのだが・・・

そして私が至った結論はデッキを掘る量を多くして雲遊をツモりに行くである。

その過程でなんとかマナフィルターもツモれば万々歳である、結局のところデッキを一発でドカンと掘りたい。

ここですでにデッキに入っているヴァラクートの覚醒(裏面土地、望む枚数デッキボトムに送ってドロー)や萍寄(変換が面倒なのでコピペした、余波で赤+3マナで望む枚数を捨てて同じ枚数引く)でもいいんだけど・・・

このカードは捨てたカードを次のターンまでは使えるので仮に失敗してもワンチャン残るし、なにより残しておきたいカードをそのままにぶっちっぱできるので引く枚数の期待値が他のものよりデカいのもGOOD。

そしてなによりパーマネントなので雲遊で回収することもできちまうんだ。

 

 

サンダージャンクションの無法者からはフォモーリの宝物庫が面白そうだね!

ポケカ初心者がシティリーグに乗り込んで引退を決めた話と英語のスピーキング

 

私はMTGをプレイしているが、このゲームにはヴィンテージ、レガシー、モダン・・・とそれぞれ例外を除いてすべてのカードが使えるレギュレーション、ヴィンテージの中から強すぎるカードを禁止カードにしたレギュレーション、2003年以降に発売されたカードが使えるレギュレーションがある。

高額カードが跋扈するゲームという印象が強いこのゲームだが、ヴィンテージともなると100万越えのBlackLotusを筆頭に50万以上するMOXシリーズが使えるともなるのでガチデッキを組もうとすると平均的なサラリーマンの年収越えをしてしまうこともある。

よくヴィンテージや10万近くするデュアルランドが欲しいレガシーは手が出ないという人がいれば、私からすれば別にそれらのカードを使わなくても多少の劣化を覚悟しておけば十二分に強いデッキは組めるし、なによりデッキがあればそのレギュレーションを楽しむことができると思っている。

少しずつ楽しんだうえでおいおいどうしても欲しくなったら高額カードをそろえればいいはずだ。

なので私の基本スタイルは

「あそびなんだからどんどん挑戦したほうが楽しい」であるといえる。

 

さてポケカ初心者の件は、失礼だが投稿者に問題があると思う。

デッキの基本的な動きを理解していないからスロープレイを指摘されやすくなるし、基本的なルールも身をもって体感しないうちに競技度の高いシティリーグにでたのはそれは相手もすこし態度がきつくなることもあるだろう。

今はさすがの田舎でもカドショくらいはあるのだからまずはそちらから参加して優しく教えてもらえる可能性を少しでも伸ばすべきだ。

 

ぽけ●んの掲示板でサッカー大会に参加してきたけどハンドしまくりのやつが乱入してきたとなれば楽しくもなんともないというコメがあったが的を得ていると思う。

 

ツイッターの返信を見てもそう考える人が多いので、おそらく彼らは「場にふさわしい正確さ」を求めているのだろう。私もそうだ。

 

さて、これがどう英語の発音につながるかというとだ。

よく英語を話すときには「発音なんか気にするなジャンジャン話せ」という人がいるが私はこれに反対する。

挑戦しろ、じゃんじゃん話せという部分は同意するが正確さ、発音や文法は大いに気にすべきだ。

支離滅裂な日本語を話す外国人となんとか会話を成り立たせる、というのはよく聞く話だがそんな時日本人はとてつもない疲労感に襲われるはずだ。この立場をひっくり返せばしっちゃかめっちゃかな英語を話す日本人との会話は外国人にとって苦であるのは想像に難くない。

 

なので何か始めてやることに関してはじゃんじゃん挑戦していいが、その事柄の正しい立ち振る舞いは大いに学ぶべきという話が実はカードゲームと学習の間に横たわっているのだなと言うことです

カンニング竹山「古文なんて役に立たない」を論破してやろう。

そして竹山をただのアブラマシマシにしてやろう。

フルチンだかなんだかしらない社会学者?多分抱いたぜ。

 

・・・まじめにいこう。

最初にキャッチ―なフレーズをぶち込んでおけばマンバズ確定なので

 

役に立つか立たないかなどという考えは学問の前では下賤な考えである

 

と主張しよう。

役に立つ、立たないという議論はまずバカげているのだ。

どの学問も役に立つといえば立つし、立たないといえば立たない、どの立場に立つかで変わるものだ。

その中で何を学んで学ばないかを取捨選択するかはどの程度「直接的に」生活に有用かで決めるしかない。

そしてこの「直接的に」役に立つという概念は甘言であり、短慮な人間がこれにとびつくのだ。

その筆頭が英会話である。

英会話は現代では触れ合う機会の多い英語話者との対話という、ひどく単純に、眼に見える形で表されていて確かに必要課題のように見える。

私の考えでは、会話を充実させようとするより文法や地道な英作文をはじめとする読み書きの技術の習得が最優先だと思っていてその充実が会話の充実にもつながると確信している。

このように会話においては間接的に役立つ読み書きの技術が結果的に目的の実現に有効なのだと主張したい。

 

さてその考えにおいて古文はどうだろうか?

特に現代会話で多く使われるわけでもなく、古文の文法を知ったところで現代の言葉の理解につながるとも思えず、なにがいとをかしだよとなる、まるで直接的有用性を見出すことはできない。

しかし、古文・漢文における思想は現代にも脈々と流れているし、古文の言葉における日本的美の思想は日本人という人種がどういったものを好むのかをより明瞭に映し出している。

夏の夜に蛍が一匹か二匹、ごく少量飛んでいる、秋の夕暮れに雁が遠くの空に消えていくのが風情があると感じるのも詫び寂びを信条とする日本人だからこそだ。

つまり古文とは精神である。精神の修養は人としての健全な心の維持である。最高じゃねえか。

 

さてここでさらに批判が来ることが1つ予測できる。

その精神の修養とやらが大事ならそこだけ抜き出して文法などやらんでもいいじゃないか、と。

 

やはりそこは俗人の浅ましさ(って海原雄山が言ってた)

学問において、いや人間が生きる上に置いて重要なのは知ろうとする心である。過程を軽視して結果だけを重んずれば必ず滅びるだろう。

 

古文の文法など見てもよくはわからぬ。

わからないのだから知ろうとする、それがテストでしか使わないだろうと思っていてもである。

殺せんせーも言っている、学校で習ったことなんぞ忘れてもいいと、同じルールで競い合って脳を強くするんだと。

私も同意見だ、学校のお勉強なんぞ最終的に忘れてもいい、ただし何か知りたいことがあったとき正しく知ろうとして正しく努力できればいいと思っている。

 

例えばAという項目がありAに至るまでの考察で1,2,3の要素があるとして2の考察は間違っているものとして棄却されたとする。

よく主張される効率の良さを考えると、「Aという主張は1,3の要素でできています、2はどうでもいいです」と扱われがちだ。

 

しかし2という要素をなぜ間違っていたのか、どこを直せばよさそうかを考えた人は、別の学習でその反省を生かすことができる。うわっつらの要素だけ取り出した人間にはこれができない。

これこそが学びである。

 

古文でもし現代語訳だけの学習をしたならば、言葉が意味することも真剣に考えないだろうし、違う文章で同じ文法が使われててもなんとなくでしかそれを認識できず応用が効かないだろう。

文法や言葉の学習そのものが役に立つ人は少なくても、学習の家庭が役に立つ人はごまんといるのだ。

 

結論として、少なくとも英会話よりは国際人としての教育に有用である、だ。

英会話英会話とうるさい人は欧米化と国際化を混同しているのだろう、美味しんぼでいってた。

グランドスラム(パイオニア)、ダイエットする:MTGデッキ紹介

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前回までがこれ。

ぶっちゃけ過去の記事を見てほしくもあるがこのデッキは

 

①上級建設官、スラム(装備品、オーラ、機体がでると1ドロー)と語りの神、ビルギ(呪文を唱えると赤1マナを加える)をそろえる

②0マナ装備品を出してドローマナ加速、回収カードと赤のドローカードでデッキを掘る。マナの色は霊体のヤギ角で解決

③デッキを掘りきると、伝承のドラッキスを使って回収カードを回収し、スラムも回収すると、ビルギでマナが発生し続ける+回収カードを回収するで無限ループするので、苦悩火でフィニッシュ、不安ならタッサの神託者もいれておく。

 

こんなコンボデッキである。

このデッキを久々に回したところ色事故の嵐を引き起こしたことに私は憤慨した。

曰く「私の完璧なデッキが事故るはずがない、これは不運(ハードラック)と踊っちまっただけだ」と。

しかし何度回しても事故る、コンボもうまくいかない。

そして致命的な事故要因に気づいてしまう。

 

こいつだ。

効果自体はとても有用だ。しかし、雲遊+へいき(変換面倒なので市内)という

マナコストが軽く、カードを引くこと自体もこれで解決するカードがある以上、逆説的な結果は過剰なカードであるといえる。

改めて考えると雲遊のモードは持ちろん余波の効果も十二分に強力であると今回気づかされた。

その上でリストを見ると、ジェスカイカラーである必要がないことに気が付いた。

伝承のドラッキスは青を含むカードだが変容コストなら赤マナだけでなので問題ない。

土地の22枚から青が排除できたらマナベースが非常にすっきりした。デッキの構成上1ターン目はタップインで問題ないが、2,3,4ターン目のタップインは困るので、ショックランド4枚、小道4枚にファストランド4枚M10ランド3枚に基本土地、タップイン許容できるスペースがあるので隠された火山をお守りにいれた。

余談ではあるが、3年前購入した感動的な眺望所が当時の3倍の値段に跳ね上がるのはこの李白をもってしても見ぬけんだった。

 

逆説的な結果を消すことで空いたスペースには、伝説のカードをサーチできる栄光の探索、上から5枚みて歴史的なカードを加えるウェザーライトへの乗艦を加えてデッキそのものの安定を図った。

そしていくばくかの整理をして、スラムとビルギを守る救済の波濤を刺しておいた。

その結果がこれである。

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いい加減デッキを画像リストで表示してくんねーかな。

 

やることは変わらないが、マナはあるが回収カードが引けない、そのときは「へいき」の余波でルーティングしよう、ハーンフェルで消耗しきってたら諦めるしかないが。

登場人物全員ケイネス先生のFate/Zeroとゲーム

現代と銘打ったが多分現代じゃなくても、例えば戦後のカジュアル麻雀における思想としてもいい気がするが。

 

ケイネス=エルネロイ=アーチボルト。

彼はFate/Zeroに登場するとても優秀な人間だ。

私は彼をゲイデス=エロネライ=ンアッー!チンボルトと呼んでいるが優秀だ。

魔術師がサーヴァントと呼ばれる歴史神話上の英霊を使役し殺し合う当作品において、彼の血統、能力は疑うまでもなく高い、そして高いが故にプライドも尊大。優等生だ。

 

そして優等生故に教え子にサーヴァント召喚に必要な聖遺物を奪われ、優等生故に教科書外の戦術を繰り出す死んだ魚の目をした主人公に、プライドと自分が有利になるように仕掛けを施したホテルの階層を吹き飛ばされ、何もかもを奪われ最後に残った婚約者の命と引き換えに「主人公は手を出さない」という約束の元戦いから降りさせられた挙句、主人公「の手駒に」婚約者ごと撃ち殺されるという

 

本当にかわいそうな人だ。人の心とかないんか?

彼の名誉、架空の人物に名誉もクソもあるかと言われればまあそうだが、彼自身の能力、とった戦術は正しいものだったと思う。相手が悪すぎた。

 

さてこれがどうゲーマーと結びつくのかといえば、ゲーマーというのはほとんどの人がケイネスなのだ。

普段の生活は不真面目なのに、ことゲームになった瞬間、異様なクソ真面目さを発揮する。有名強者の考える構成、情報をもとにtier1を擦り、真面目にみんなもそうしているからと言わんばかりにお真面目に考察する。

もっと遊べばいいのにとは思うが、まあいいでしょう。

そして突如現れた超新星のアイディアにすべて吹き飛ばされるわけだ。おもしろいことに超新星のアイディアも現代では隠すことなく公表されるし(かくしたとこで感あるし)、吹き飛ばされたところで死なないので、やはりそれを大真面目に考察するわけだ・・・

まじめか!

 

教育学部数学科と理学部数学科のカリキュラムについて調べてみた

ある「教育者気取り」で「数学科気取り」の登録人数200万人のYOUTUBERの批判記事を探していた時のことである。

 

いやなにしてんだお前と思われるだろうが、私には彼を良い目で見ることができないのでそこは突っ込まないでいただきたい。

YAHOO!知恵袋で彼に対する批判コメントを見ていたのだが、その中に

教育学部数学科は中高の数学を教えるにあたり信頼できない」

とのコメントがあった。

おそらくは、教育学部という数学に集中できない雑多な環境で鍛えた人間より、数学に集中して研究をした理学部数学科のほうが信用可能だといいたいのだろう。

 

確かにそうかもしれないし、否定するほどの材料もないので、まあいいんじゃないのか、と思うわけだが。

実際のところ、どの程度に数学への注力に差があるのか、というのは疑問ではある。

 

そこで、その信用できない教育学部数学科卒の人間たる私が、自身を引き合いに考察してみようというわけである。

 

まずは教育学部数学科。

 

1年時

解析学テイラー展開、無限級数の収束、有界性 前期後期1つずつ。

代数学線形代数 前期後期1つずつ。

幾何学…初等幾何学、平面解析幾何 前期後期1。

・集合などの大学数学の基礎的な授業。1つ。

 

2年時

解析学…2変数関数の微分積分複素解析 前期後期1つずつ。

代数学群論、何か忘れた、前期後期1つずつ。

幾何学…球面幾何、何か(必修ではないのでとってないw)で前期後期1つずつ。

統計学…推定、検定、確率論orプログラミングで2つ。

3年時

解析学ルベーグ積分or関数解析 から1つ

代数学…体、イデアルなど 1つ

幾何学…位相幾何 1つ

フーリエ解析 1つ

3年後期から各ゼミで。

 

これらの中から基礎的な授業を除いた、18の講義のうち15で単位をとればOKだった。

これに加え、各種教育学、心理学、指導法などの授業が加わるわけだ。

 

 

では理学部数学科はどうだろうか。

ここでは神戸大のものをみてみよう。

http://www.sci.kobe-u.ac.jp/jimu/kyomu/zaigakusei/binran/binran_2012/pdf_contents/2012_02_rigakubukisoku.pdf

 

卒業に必要な単位は必修含めて80近く必要だそうだ。

うわみっちりやるなあ。

シラバスで内容を確認すると、およそ自分が学んできた内容とほぼほぼ合致するので、理学部と教育学部の違いで言うと、教育学部の方が1講義あたりに詰め込んでやるせいか、ある程度の抜け落ちが許容されて、理学部はゆったりやる分単位が多く必要になるので、教育学部より詰め込んだものになると考えられる。

 

ああ、そういった意味では教育学部の人間が信用ならんというのはやはり筋が通っていると言わざるを得ないだろう。

ただ、こういうのもなんだが、学部生の間であるならそんなに差はないんじゃないかなとも思ってしまう。

ぶっちゃけ大学数学は、高校数学が好きなだけという人にはあわないし、自分は数学ができる、数学に向いていると思いあがってた学生を打ちのめしてくれやがるので、できる人とできない人の差が激しい。

その差が理学部と教育学部で違いがあるようには思えない。ちなみに私はドロップアウトボーイです。2変数関数の積分に「これどんな形になるんだよ!」とブちぎれていた(今にして思えば空間に対する知覚認知が働いていないのが原因だったのかもしれない)

 

さて、結論を言おう。

教育学部の人間は理学部の人間より信用ならない、という知恵袋民の発言は間違っている。

正しくは、数学科の人間で修士以下の人間は信用ならない、というべきであろう。

 

さて、事の発端のクソYOUTUBERだが。

私には彼のしていることは数学ごっこであると思えてならない。

厳密な説明を取っ払い、とりあえずの理解をさせる、という意味ではわからなくもないが、そういった小手先のものに頼る人間が、その先にある厳密さや正しさに目を向けるとは私には思えない。

なぜなら人間は楽をしたがるからだ。

彼は、彼自身がわかってるからその程度の認識でも問題ないということと、きちんと物事を考えられない人間が同じ認識をしたときに「わかったつもり」に陥る危険性を認識していない。

だから「はじき」などという史上最悪の方法、ああああああああああああああああああああああああああ最悪だああああああああああああ(亀田並みの感想)

などを使うように言ってしまえるのだ。

これは数学に対する不義といっても差し支えない。

彼が評価されていること、それ即ちなんとなくでしかわかってないのに、わかったような気持ちになれるあさましい人間がいかに多いのかという表れでしかないのが、どうにも私を悲観的にさせるのであった。